2ー36 ママデビュー
まおダラ the 2nd
第36話 ママデビュー
あぁ、すっごい。
子供の世話ってもう大ッッ変。
本気で体がもう一個欲しいくらい。
迷子の男の子を世話し始めて3日経つ頃には、あの子もすっかり落ち着いてくれた。
良く笑うし、話しかけてくれるし、私の回りを駆け回るようになった。
それは良い事なんだけど……。
「ほら、ご飯まだ途中でしょ? ちゃんと食べなさい!」
「ぷぃーん!」
例えば食事。
まず私はノンビリなんか出来ない。
何せ子供が途中で遊び出してしまうから。
パンを半分残し、スープをトレイにこぼし、肉汁で汚れた手であちこち触る。
純白で高級感溢れるシルクのクロスも食事の度に台無しになってしまう。
そしてテーブルや椅子の下に隠れて、私に叱られる。
これを飽きもせずに毎回のように繰り返す。
もちろん、こんな場面は一例に過ぎない。
「コラッ お風呂で泳いじゃダメ!」
お風呂だってゆっくりできない。
洗っている間でさえ大人しくならず、石鹸の泡を落とす前にあちこち回り、湯船に入ったら入ったで泳ぎの練習を始めてしまう。
今もこうしてダッパンダッパンお湯を跳ね散らかしている。
「あぁもう、手が掛かるなぁ! 私が子供のときはもっとこう……」
もっとこう……。
うん、どうだっけ?
フワッとした記憶の糸を手繰り寄せてみる。
豊穣の森のあのお家。
グレン兄さんやミレイアちゃんがやって来る前の頃。
ーーおとさん、オサカナさん!
ーーシルヴィア! もっと大人しくしなさい!
ーーみてみて、じょうずでしょ?
ーーあ……、うん。上手上手ゥ!
あぁ、私もやってたわ。
ごめんねお父さん、いちいち大変だったよね?
実家帰ったときにちゃんと感謝しなきゃ。
「やっと寝てくれた……。あぁ、疲れたなぁ」
お風呂からあがってベッドに寝かせると、すんなり寝てくれる。
それからやっと自分の為に時間を使えるけど、正直言って体力が保たない。
昨日なんかは添い寝している間に自分も寝てしまったし。
「どうしたもんかな。これからもこんな日が続くのかなぁ」
スヤスヤとした寝顔に向けて問いかけた。
あ、今ちょっと笑った。
可愛いから苦じゃないけど、身動きできないのは困るんだよなぁ。
しばらくそのままで考えていると、廊下から人の声が聞こえてきた。
「テレジアお嬢様。お二方はこちらに」
「そう、ありがとう。下がっていいわ」
使用人のお兄さんに連れられてテレジアが部屋に入ってきた。
彼女は頭も肩も揺らさず、こちらへと静かに丁寧に歩み寄る。
監視者がいる間だけの貴重なシーン。
それからお兄さんが出ていくと、途端に格好を崩した。
この魔法がかったような豹変には毎度驚かされる。
「ただいま調査終わりまっした! お嬢様もお疲れさまッス!」
「ええ、ありがとう。何か分かったことはある?」
「まずは坊っちゃんッスね。群れのボスガキに聞いてみたところ『そんなガキは知らん。産んだ話も聞かない』だそうで」
「じゃあ、他所の街の子なのかな? 家族でやってきたときにはぐれたとか」
「騎士団や自警団に問い合わせたッスけど、そんな相談は受けてないそうッス」
「それはここ最近だけじゃなくて、過去に遡っても?」
「みたいッス。何せ獣人対策は国策なんで。手を抜くと魔王様にどエライ目にあわされるって、誰もが目の色変えるんスよ」
まるで、突然降ってわいたかのような子供だ。
ここまで手がかりが無い迷子も珍しいだろう。
さらに私を『ママ』と言って譲らないのが話をややこしくしている。
「これは予想なんスけど、親御さんを探すのは……かなり難しいかなぁと」
「そう、かもね。念のため他の国にも確認を……」
「それだったら手配済みッス。レジスタリアのお菓子マニアに頼んだんで」
「あぁ、クライスおじさんね」
「これで見つからなかったときは、どうされます?」
「その時は……」
ーーママァ! いっちゃヤダァ!
ーーおとさん、シルビヤのこと、きらいになっちゃったの?
ーーママァ! おいていかないで!
ーーわたしのこと、ひとりにしないで。
かつての記憶と、この子の言葉がいくつも重なる。
誰かの愛を求めて必死に伸ばされた手。
私はそれを払い除ける事が出来るのか?
誰かに預けたとして、それでお互い納得がいくのか?
答えは既に出ていた。
「私が育てるわ」
「マジッスか……。絶対大変ッスよ? そこまでする義理も無いッスよ?」
「いいの。確かに楽な選択じゃないけど、きっと良い手があるはずよ」
その言葉を聞いて、テレジアが体をプルプル震えさせた。
彼女の大きな瞳は眩しいものを見るかのように細められた。
「いやぁ、ほんっと人情厚いッスね! アタシはシルヴィアお嬢様に生涯忠誠を誓うッスよ!」
「えぇ? あなたプリニシアの騎士でしょう?」
「あくまで心の内の話ッスから。出奔まではしませんとも、たぶん。それじゃあ次の情報について……」
テレジアが路地裏に住む獣人について教えてくれた。
まず、大半が身寄りの無い10代の男女ということ。
住居は教えてくれなかったけど、王都内の緑地だろうこと。
食事は国が定期的に供出していること。
それらが掴めた情報だった。
「なんでその子たちは亜人の村とかに行かないのかな?」
「縁もゆかりも無い中で暮らすのが嫌みたいッスよ。下手すると奴隷時代と変わらない待遇になりかねないーって。まぁね、込み入った所まではアタシらには力が及びませんし」
「そうよね、自治権だっけ? 細かい部分には口出しができないとか」
「コロナとロランは頻繁にやり取りがあるんで、まだ風通しは良いっぽいッス。でも20人かそこらの村となると、ねぇ?」
彼らの考えがなんとなく理解できた。
見通しの利かない所へ飛び出すよりは、知った顔に囲まれている方が安心できるんだろう。
だから多少窮屈でも路地裏や森の中で暮らしていく、と。
「一度家に帰ろうかなぁ。姉さんたちと相談したいし」
「それはもしかして豊穣の森ッスか?」
「そうよ。ちょっと騒ぎになるかもしれないけどね」
私はチラリと枕元に目をやった。
そこには安心しきって寝入っている、幼い顔があった。
翌朝。
私たちはプリニシアから発った。
一ヶ月ぶりの帰省に、自然と足も軽くなる。
「ところで坊っちゃんの名前はどうするんです?」
「名前かぁ。どうしよう」
今も私に抱っこされている男の子。
確かに『あの子その子』では可哀想だね。
「そうだなぁ……」
静かな湖面のような青く透き通った目。
動物のたてがみを思い起こさせる、焦げ茶色の硬めの髪。
前髪の一束だけ、なぜかピョコンと上を向いている。
手櫛で直そうにも、撫でたそばからピョンと立つ。
「アハッ。クセのある毛ッスねぇ。ビンッてなっちゃう」
「よし、決めた! あなたは今日からケビンよ!」
「けびん?」
「そうよ。よろしくねケビン!」
「うんッ!」
「……名付けってそんなんで良いんスかねぇ?」
私たちは大草原に大きく一歩を踏み入れる。
雲ひとつ無い青空が、みんなの顔を明るく照らした。
首を捻っている一人を除いて。
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