2ー1  豊穣の森の魔王

まおだら the 2nd

第1話 豊穣の森の魔王



大陸の南西部にある豊穣の森。

その森の奥には魔王が住んでいる。

彼に気に入られれば繁栄し、機嫌を損ねれば破滅すると言われている。

その噂は全てが現実となり、世界は大きく様変わりした。


絶望的な苦痛から解放された者たちもいれば、一夜にして没落した者たちも数知れず。

大陸に浸透していた悪しき慣習は、いち人物によって打ち砕かれたのだ。

奴隷として生きることを強いられ続けた亜人たちは独立し、大陸の至るところにコミュニティを形成していった。


だが、話はそこで終わらない。

覇者として君臨し続けた人族と、長年搾取され続けた亜人。

わずか数年で勢力図は一新してしまった。

心の整理をする暇もなく、かつての覇者であった意地と虐げられた恨みがぶつかり合う。


それは新たな紛争の火種であり、次の動乱を呼び覚まそうとしていた。



ーーーー

ーー



「カリカリィ~」

「もっちもちぃ~」

「カリカリもちぃッ」



シルヴィアはワンフレーズ歌いきると、パンを2個頬張った。

それを見届けてから、オレも1個だけ食べた。

オレたちが口にしているのは『お菓子なおじさん』こと、クライスが教えてくれたレシピのパンだ。


油で揚げた小さなパンの中に、アンコウという甘いペースト状のものが詰まっている。

名付けて『アンコウパン』というらしいが、それはどうでも良いか。



「おとさん、見へぇ。リスさん!」

「ほんとだ。ほっぺがプックリしてるな」



シルヴィアが小さな頬をパンパンに膨らませて言った。

もう、なんて可愛いんだろう。

天使なんじゃないか、いや天使そのものだ!

そのキラッキラの笑顔だけでお父さんはお腹一杯だよ。



「手がベタベタなの。ばっちぃの」

「汚れたならその辺の布で拭いちゃいな」



何せここは寝室。

さらに言えばベッドの上で寝転がりながら食っている。

手を拭くものに困ることはない。



「アルフー。ここに居るのー?」

「ヤバイ、リタだ。隠せ隠せ!」



リタが寝室へとやってきた。

だからオレたちは阿吽の呼吸でジャレ合いにシフトする。

どこからどう見ても、親子のスキンシップにしか見えないはずだ。



「……何してたの?」

「何って、ちょっと遊んでたんだよ。なぁ?」

「そうなの。おとさんとムツマジク遊んでたの」



リタの背中にうっすらとキツネさんが浮かんでいる。

これは怒る一歩手前の危険信号だ。

そんな不穏な空気を出しつつも笑顔なんだからおっかねぇ。



「そう……ならいいけど。何度も言うけど、ベッドで食べたりしたらダメだからね?」

「わかってるって。もう73回も怒られてるんだから。流石に学んだぞ」

「81回よ。ここは掃除するから空けてくれる?」

「おう、そうかい……!」



背中に隠していたパンを皿ごと窓から放り投げた。

仮にもオレは魔王と名乗るもの。

相手の目を盗んで証拠隠滅など朝飯前なのだ。



「じゃあ掃除を……。んんー?」

「よし、シルヴィア。お外で遊ぶぞ!」

「そうなの。おもてで遊ぶの!」

「なんだか甘い匂いがするような」

「掃除よろしくなー!」



オレたちは逃げ出した。

リタの長ったらしい小言から。

家の外に出れば安全圏。

後は晩飯まで時間を潰していれば問題ない。



「あぁ! 口がぁ、口がすんごい甘いッ!」



アシュリーが地面を転がりながら悶絶していた。

その近くには皿が転がっている。

こんな所で食事だなんて、マナーがなってないな。



「何やってんだ。外で物食うなよ」

「ちがッ 突然ちっさいパンが飛んできて、口にダイレクトに入ったんですってば」

「へぇーそんな事もあるんだなぁ。オレも気を付けるか」



悪いなアシュリー、全力ですっとぼけさせてもらったぞ。

これもリタの小言を回避するためだ。

委細知らぬままに証拠隠滅の片棒を担いでくれ。



「アシュリーお姉ちゃんも遊ぶの。おとさんと3人で遊ぶの」

「私はちょっと仕事が……というか、エレナがシルヴィの事を探してましたよ?」

「あっ! もうお稽古の時間! おとさん、行ってくるの!」

「そんなっ! シルヴィア、待ってくれ!」



マイエィンジェルが森の奥へと消えていった。

最近シルヴィアが始めた習い事のためだ。

ちなみに内容は日によって違う。

エレナは剣技、アシュリーは歴史と薬学、リタからは計算と魔術を教えているらしい。


だから前のようにベッタリという訳にはいかない。

オレは寂しい。

本当に寂しくて仕方ない。

何度も邪魔を試みたが、シルヴィアに怒られて以来控えている。


せめて愛娘が頑張っている姿を眺めよう。

そう思っていたオレに呼び声がかかる。



「アルフー、ちょっといいー?」

「リタ?! な、なにか用か?」



まさかもう気づかれたのか?

シーツで散々手を拭いたことがバレてしまったか?



「何をオドオドしてるの。クライスさんが来たわよ」

「なんだそんな事か。追い返せ」

「もう上げちゃったわよ。アルフと話すまでは帰らないって」

「あぁ、本当に面倒なヤツだ」

「あと、新作のお菓子を作ってくれるまでテコでも動かないって」

「いっそ撃ち殺しちまえよ」



グランニアとの決戦から早一年。

その間オレは全力で自堕落を楽しんでいたが、そのまま生きていくことは許されないらしい。

幼いシルヴィアでさえ、訓練という義務が課せられている。

オレにも次の義務を背負う時が来たらしい。


それをもたらしたのがクライスというのは腹立つが、仕方あるまい。

数々の断り方をシミュレートしつつ、家へと戻った。


久々の執政官クライスとの対話。

オレはそこで、大陸の危うい情勢を知ることとなる。

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