第9話 トルキン・バロン・レジスタリア
この世界では名を名乗る際には「名前・役職・地名や所属国」を述べるのが習わしだ。
豊穣の森に面したレジスタリア地方を治めるこの男は、トルキン・バロン・レジスタリアと名乗っている。
この地方の有力な都市や拠点は、ここレジスタリアの街のみである。
本来であれば、広大な領土を分割して治めるはずだったが、中央から遠いこともあってウヤムヤとなった。
彼の権謀詐術と、惜しみない大金によよる面も大きかったと言える。
よって男爵の身分でありながら、格上である侯爵や辺境伯と比肩するほどの広大な土地を今もなお有している。
国といっても差し支えない程の封土に、荒稼ぎをする為の盤石なシステム、そして中央の強力な後ろ盾。
ーー向かうところ敵無し、とはこの事よ。
唸るほどに入る金が、彼の増長を加速させる。
ウィラド商会をはじめとした数々の闇組織と裏でつながり、間接的に領民から略奪を行い、邪魔者はことごとく消すことで莫大な富を築き上げた。
それらは中央への賄賂、或いは軍資金へと姿を変えた。
豊穣の森を陥落させるために。
トルキン以前の領主たちも、豊穣の森へ散々手を伸ばしてきた。
だが、その度に魔人アシュリーによって妨げられていた。
最近はアルフレッドも加わったので、被害は拡大する一方である。
ーー今のままでは勝てない。力が必要だな。
彼は敵の強さを再認識し、形振り構わず略奪に勤しんだ。
その甲斐あって、近々に他を圧倒する力が手に入るはずだった。
最新鋭の魔道具や腕の良い魔術師など、局地戦において過剰すぎる戦力が手に入りかけていた。
だが、目論みは呆気なく崩される。
あろうことか、資金源を直接断つという方法で邪魔が入った。
一夜にして子飼いの組織が殲滅されてしまったのである。
この影響は計り知れず、他の無傷だった者達まで怯えきってしまい、この地方から逃げ出して行った。
焦ったのはトルキンだ。
稼ぐ手段を封じられた現状では、いずれ干上がってしまうのは明らか。
だからなんとしても元凶を討ち果たし、またこの街に呼び戻すつもりでいた。
もう稼げない街だ、と思わせてはならないのだと。
ともかく情報を欲した彼は、行動に移した。
森に住む一団の調査を少なくない金を払って依頼したのだ。
待つこと一両日。
調査が完了したことを、執政補佐のクライスより聞くこととなる。
「失礼いたします。先日ご依頼された調査の報告書が届けられました」
「早かったじゃないか。早速読み上げろ」
「承知いたしました」
恭しく言葉に従うクライス。
どれだけの報告が聞けるだろうかと、いくらかの緊張をもって言葉を迎えた。
「調査初日、獣人の幼女とともに主人がアリさん遊びに興じる」
「……はぁ?」
しばらくの間、時が止まったような静寂が訪れた。
戦力は、武器は、敵の性格や癖は、他の国の息がかかっているかなど、意味のある情報を期待していたのだが。
想定外の内容に、さすがのトルキンも二の句が告げずにいた。
「ご説明いたしますと、アリさん遊びとは人差し指でこうツノをつくって」
「解説なんかいらねえ!」
「あがってきた報告書に書かれていますので」
「そんな情報なんか要るかッ! 読み飛ばせ!」
「初日は以上ですね」
「終わりかよ!」
クライスに目立った落ち度は無い。
それでもそのマイペースぶりに、トルキンはイラッときてしまうのである。
上役の怒り顔を物ともせず、平坦な声による報告は続いた。
「では二日目です。午前から注視しているが、誰も家から出て来ない。気配を極力殺して中を覗くと、手下の女3人とその主人が居た。薄暗い部屋の中で、彼らが身を寄せ会う姿を確認した」
「な……なんだ。何らかの呪術か?」
トルキンは緊張からゴクリと唾を飲んだ。
脂汗が額や背筋を流れていく。
何せ相手は正体不明の強者である。
人智を超えた力を行使しても、何ら不思議ではない。
「3人の中で誰の胸が一番好みなのか迫っている。答えない主人にしびれを切らした一人が勢いよく裸になろうとする。それを主人が唐竹割りで阻止したのち、部屋に逃げ込んだ」
「だからそんな情報はいらねえんだよ!」
「おやおや、さっき生唾を飲み込んでましたよね? エロいこと考えてたんですかークスクス」
「ぶっ殺すぞお前!」
「ちなみに夜はもっとすごいですよ? 聞きたいですか?」
「戦力の話をしろ!」
それからも報告を一通り聞いたが、有用なものは1つとして無かった。
これだけで金貨50枚。
まんまと金をせしめた情報屋に対して、彼は強く憤った。
そしてこの状況下でふざけた態度でいる、クライスにも怒りの矛先が向いた。
「クライス。てめぇは今日限りだ。そのまま路頭に迷ってくたばっちまえ!」
卓上のインク瓶が投げつけられる。
追って罷免まで告げられたクライスは落胆し、無様に取り乱す。
……なんて事にはならず。
先程と変わらない平坦な声で返した。
「そうですか、短い間でしたがお世話になりました」
そして静かに退出していった。
しかもスキップつきで。
『お暇をもらったヤッホッホーィ』という声までもが続いて聞こえてくる。
トルキンは頭痛を覚えたように、頭を抱え込んでしまった。
ーーこうなったら奥の手を切るしかない。
状況に焦れた結果、ひとつの決断が成された。
近くに控えていた奴隷に命が飛ぶ。
「狂犬の牙どもに通達だ。豊穣の森を制圧しろとな」
コントロールが一切効かない、快楽殺人集団である狂犬の牙。
肩書きは傭兵だが、その禍々しい性質や経歴はその範疇に全く収まっていない。
豊穣の森が荒らされるリスクもあるのだが、もはや手段を選ぶことを止めたのだ。
ーー最強のカードで奴らを皆殺しにしてやる。
トルキンは狂気に目を染めあげ、誰も居なくなった室内をぼんやりと眺めていた。
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