第17話 古泉一樹の動揺
「古泉君、休んでるんだって」
翌日、世界は閉鎖空間に覆われることもなく、俺はいつも通り遅刻気味に自席に座ったその直後だった。
「九組の子にきいたんだけど、担任にはご家族から連絡があったって。入院してるって」
ひょっとして……。
「去年あんたが階段から転げ落ちて入院したとこ。古泉君があの病院の理事長とコネがあるって話、本当だったみたい」
「お見舞いに行こう」
ごく自然に声が出た。あいつが昨夜どんな戦いをしたのか気になる。体のほうもだ。
ハルヒが召喚した異能三人衆の中で古泉が一番割を食っているような気もする。朝比奈さんの犠牲も大きいが、やがて強く聡明な大人の女性へと劇的な成長を遂げるのは確定している。けれど古泉は閉鎖空間を出ればただの人間だ。世界を救い続けるのも限界があるだろう。
それなのに、あいつはこれまで愚痴ひとつこぼさずに陰に陽に俺たちを支えてやがる。
なんとなくイラついたまま午前は流れていき、昼休みになった。弁当箱を俺の机に置いた谷口はいかにも軽い。こいつが少しばかりうらやましくなる。
「よう、お前んとこのメンバーが入院だってな。ため池に飛び込んで風邪でも引いたか?」
まだ去年の映画事件のことを根に持っているらしかった。そういえばこいつはよく風邪をひかなかったな。ま、風邪を引かないタイプの人間ももいるからな。
あとから来た国木田が弁当箱の箱を開けつつ、
「先週の焼き芋騒ぎと関係があるのかい」
「いや」
「昨日、見舞いにいったんだろ」
「古泉が入院したのは今日だろ」
「うちのバーサンを病院に見舞いにいったらお前らを見かけたぜ。ハルヒがえらく不機嫌そうだったからスルーしたがな」
「そのときはまだ誰も入院してないのになんで病院に行ったの」
う、なんか嫌な流れになってきた。ここは適当に煙幕を張るか。
「最近、俺も胃が悪くてさ、薬をもらいに」
「あの病院の診察は午前中だろうが。それに胃が悪い奴がイカフライなんか食えるかよ」
俺は箸でフライをつまんだまま答えに窮した。まあ、隠し立てすることもないだろう。赤ちゃんにまつわる騒ぎを俺は簡単にまとめて話した。
「へえ、ハルヒのやつも意外なところがあるんだな」
「俺が助けたんだよ」
「涼宮さんも派手な噂が飛び交っているけど、しっかりしたところもあるんだよ」
「二人ともやけにハルヒに肩入れするじゃないか」
「全ては成績が物語る、さ。努力だけじゃ学年一位にはなれないよ。長門さんだって同じくらい勉強できるし」
う、痛いところを突かれた。好成績は一連の騒ぎの免罪符にはならないが、まあ一目置かれていることは確かだ。
放課後、俺たちは総合病院へと向かった。古泉の病室は俺が去年の階段転落事件――ハルヒ視点で――で入院した同じ個室だ。俺たちがハルヒを先頭に入室すると、
「鶴屋さん」
「一度に押しかけると迷惑かと思って先にちょろんとお見舞いしたのさ。じゃ、あたしはこれで」
鶴屋さんは古泉にかるく手を振って病室を出て行った。古泉と鶴屋さんは何を話していたんだろう。気になる。
「古泉君、大丈夫なの?」
「ええ、川遊びに出かけた際、水に濡れたまま風に吹かれていたのが響いたようです。温泉にも入ったのですが効果はなかったようで。肺炎になりかけました。団の活動に支障を来してしまい申し訳ありません」
古泉は微苦笑を浮かべつつよどみなくハルヒに応えた。まるであらかじめ用意していたような
ハルヒは疑いを抱かなかったようで、ベッド脇によると、
「古泉君も水くさいわ。調子が悪かったらまず団長のあたしに連絡しなくちゃね?」
「日頃からお世話になりっぱなしで個人的な体調まで負担をかけるわけにはいきませんので……」
お前がお世話しっぱなしの間違いじゃないのか。どこまでこいつはハルヒに気を遣うんだよ。
「あ、そだ。古泉君、なにか足りない物はない?」
病室の中は見舞い品は見当たらず、誰かがここで世話をしている訳でもなさそうだ。簡素なベッド脇の棚に水差しとコップ、薬の入った紙袋があるばかりだった。
「あのう、なにか食べたいものないですか。あたし買ってきましょうか」
朝比奈さんは病室に入ってからは俺が倒れたときのように泣きじゃくったりはしなかったが、それでも気遣ってはいるようだ。
「みくるちゃん、病院の購買が一階にあったわね? いくわよ!」
「わっ」
ハルヒは朝比奈さんの手を引っ張って勢いよく病室を出て行った。
残るは笑顔を貼り付けたままの古泉と俺、そして沈黙を貫いているいつもの長門だけになった。
よし、ハルヒが戻ってくる前に話を付けたい。
「昨日の夜はどうだったんだ? 神人を倒したんだよな?」
「辛うじて、というところですかね。空間直径も長門さんの予想よりはずっと小さかったんですが、それでも神人は十体もいましたから。まあなんとか撃退しました」
貼り付けたような笑顔だけに、俺は古泉の話を信じない。絶対に信頼できる人物の裏付けが欲しいところだ。
「長門、昨日途中からお前もいなくなってたよな」
「閉鎖空間の消滅後、待機していた我々端末群は全力で機関員たちの救命活動を行った。古泉一樹は私が処置するまで心肺停止状態だった」
「おまえな……」
「僕自身には記憶はあまりないのですがね。森園生なら解るでしょう。いつかお話しできると思います」
古泉はさらりと言ったが、訊くんじゃなかった。
長門がぽつりと言葉をつづける。
「昨夜の
長門の言葉の意味がよく分からない。緩和措置って……俺がハルヒの相手をしたことか?
長門はゆっくり首を縦に振った。
「俺はハルヒがイラつくのが嫌だったからだ。それ以上でもそれ以下でもないぜ」
「そういうことにしておきましょうかね。それでも結構楽しそうでしたが」
「いっとけよ」
「あなたには次回も同様な協力をお願いしたいところです」
病室のドアが勢いよく開いた。
「へい、おまちっ!」
ハルヒが買い物ビニール袋を二つ、満載状態にして戻ってきた。朝比奈さんも息を切らしている。もう少し古泉と長門と話していたかったんだが。
ハルヒは早速、見舞客用のテーブルに流動食や果物をならべはじめた。
「みくるちゃんは、リンゴをむいてあげて。あたしはお茶を入れるから」
「病人の前でうるさいぞ」
「キョン。あんたはここでコントか漫談でもやりなさい。病は気から、って言うでしょ? 笑顔で病魔退散よ。コケたら承知しないから」
しかたない。俺は今年のクリスマス用に密かにネタを練っていたから、それをご
みんながいつもの状態に戻るなら俺のだだ滑りギャグでも何でもやってやるさ。
病院の
意外だったのはハルヒがここまで細やかに(声はでかいが)みんなの気持ちをくんで仕切ったことだ。俺の渾身のギャグもハルヒが合いの手を入れてくれたおかげでコケずにすんだ。やり過ぎだと思ったのは一回だけで、ハルヒが朝比奈さんと一緒に果物を切り分けて、
「はい古泉君。リンゴは小さく切ったから。あーんして。はいあーん」
「涼宮さん、それはちょっと……」
俺の時はやんなかったぞ。それ。すこし顔を赤らめた古泉なんて初めて見た。じゃ、俺もだ。
「あーん」
「キョン! 馬鹿じゃないの」
「じ、じゃあたしが」
「みくるちゃん! 甘やかしちゃダメだって!」
今度ばかりは本気度七割くらいの笑みで古泉は俺たちを見つめている。いいさ、俺はピエロで。
お見舞い時間も終わりかけ、そろそろ病室を退出しないといけない。
「なんか俺にでも出来ることがあったら、遠慮なく言え。百回中三回くらいは聞いてやるから」
一瞬、古泉は真顔になってわざとらしく腕を組んだ。俺はベッドに戻って耳をそばだてる。
「では、お願いがあります」
「なんだ」
「こんど朝比奈さんに替わってコスプレでお茶係を、」
「はい決まりね。衣装はあたしが考えてあげるわ」
いきなり俺と古泉の会話に割り込んだハルヒは実にいい笑顔で、
「古泉君、早く元気になりなさいよ。団長命令だからね!」
俺はハルヒと古泉、そして久しぶりに温かな笑顔をうかべる朝比奈さんを見て、唐突に思った。
長門が熱で倒れたときも、ハルヒの動揺は尋常じゃなかった。ハルヒはこいつらが宇宙人、超能力者、未来人だってことを潜在意識的には理解しているのかも知れない。だから失いたくないんだろう。きっとそうに違いない。
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