第8話 庇護者

 岸辺にゴムボートを引っ張り上げてそのままへたり込んだ。生後一年にも達していないだろう。妹が赤ん坊の頃をみていたから、それなりに解る。

 ハルヒが走ってきた。

「ほれ、ハルヒ。確保したぜ。おまえのもんだ」

「ちょっとなんで赤ちゃんなわけ?」

「俺が知るか。所有者が来るまでお前のもんだったな。俺は知らんぞ」

「バカ」

 ハルヒはひざをついて赤ちゃんをだきあげた。その持ち上げる様子は驚くほど優しい。

「キョン、ゴムボート持ってきなさい」


 俺とハルヒの様子にただならぬものを感じたらしい、たき火を囲む全員が立ってこちらを見ていた。

「それまさか、赤ちゃん?」

 鶴屋さんは集団のなかの立場の弱いものには庇護ひご心みたいなものがあるらしい。別名リーダーシップとも言う。このなかでは朝比奈さんと俺の妹が対象だったりする。

 たき火の煙のせいか赤ん坊がむずかりだした。

「キョン、あんた赤ちゃんの扱い離れてるでしょ」

 ハルヒはいきなり俺にふった。

 俺がかわりに抱くと何だか、赤ん坊もこれから泣きますってなタメがはいっていまにも高周波を発生させそうだ。機嫌の悪いときの妹もこんな顔をしてたっけ。

 宇宙人製アンドロイドに預けるのもどうかとためらっていると、朝比奈さんが手を伸ばしてそっと赤ちゃんを俺から受け取った。するとすとんと赤ん坊は落ち着いたような顔をしている。

 改めて赤ん坊を観察する。元気そうな男の子だ。肌着に古風な名前が書いてある。名字はない。朝比奈さんはじっと名前を眺めていたが、少し顔色が青い。

 古泉は好奇の色を隠しきれない視線でその様子を観察している。



「警察に連絡した方がいいかもね。それからキョン、上流にそってこの子の親を探すわ」

「子供をボートに乗せたままだなんて、不注意にもほどがあるな」

「なに言ってんのよ、いまごろ探しているはずだわ。キョンはあたしと上流探索、ほかのみんなは後片付けしておいて」

「あたしはこのあたりの地理はわかるから探す方にまわるよ」

「では僕も参加して二人ずつに別れていきましょうか」

 お前はここで服でも乾かしてろ。

「そうね、日が落ちると風が冷たくなるし、古泉君はここで服を乾かした方がいいわ。それに二手に分かれるより、ここは一緒に行動するわ」

 結局、鶴谷さんを案内役にして俺とハルヒで上流探索に出かけることになった。のこりのメンバーはたき火で待機だ。

「古泉君、赤ちゃんを捜している人がきたら携帯で連絡してね」

「了解しました」



 鶴屋さんは慣れた調子で、とっとっと川辺を進んでいく。何回もこのあたりに来たことがあるからだろう。たぶん旧領地見回りのおりにでも。

 ハルヒは警戒おこたりなく周囲を見回している。どこかにそれらしいキャンプかその跡地を探しているようだ。俺はそんな二人のあとを少し遅れてついていく。

 子供が溺れたのはたぶん偶然だ。しかし上流から赤ん坊が流れてくる確率なんてそうないだろう。あり得ない確率を跳ね上げる存在を二人ばかり知っているが、一人はきのう明らかに自分でもわからないと言っていた。あの長門がだ。

 となると、消去法で俺の直ぐ目の前を歩いているこいつと言うことになるのだが、なんでこんなもんを望んだんだろう。食後のデザートに上流からスイカが流れてきたほうがよっぽど納得できるのに。


 上流に行くに従って川幅はせまくなり、だんだん岸辺も小砂利から大きめのゴロンとした岩が目立つようになってきた。なおも鶴谷さんは岩だらけの河岸を俊敏しゅんびんに進んでいく。ハルヒも遅れてはいない。俺はついて行くのがやっとだ。

 ときおり飛び石づたいに川を横断して、歩きやすいほうの岸辺から上流に向かっていくうちに水深も浅くなっていく。

「ハルにゃん、ちょっとおかしくないかい? ゴムボートがこれより上流から流れてきたんなら、ここらへんで引っかかって下流には流れつかないんじゃないかな」

「だとするとここからボートが動き出したと考える方が自然ね」

 岸には人がいた形跡がない。キャンプで来ていれば、火を焚いた跡とかゴミの一つもあっておかしくはないはず。

「キョン!」

 いきなり大声を出すな。

 ハルヒの指さす先に上流に向かって右岸側にちょっと開けた場所があり、赤茶けた岩が並んでいる。上空の一点を中心とする光点からあたりを焼いたような色だ。近づくと、細かい破砕された岩のかけらが飛び散っている。


「これはミステリーだわ。子供が上流から流れてきた。しかし上流には人のいた気配はない。そしてこの焼け焦げた岩くず……。キョン、これはSOS団として解明に当たるべきだわ」

 ハルヒは携帯で周囲の写真を撮り始めた。俺も念のため数枚撮って古泉に送信する。長門にも見せるように伝えておく。ここらへんは情報共有したほうがいいだろう。


「ここに来たことがあるような気がするよ」

「えっ、いつですか」

「じいちゃんとここに来て、何かを待っていたような。はっきりとは思い出せないんだけどさ……」

 らしくない言い方だ。鶴谷さんが口ごもるなんて。岸辺の岩に腰掛けた鶴屋さんは腕組みをして何かを思い出そうとしている。


 ここから先は勾配がきつい上に、岩が多くて普通の運動靴では無理だろう。川筋はとっくに河岸道からは離れ、左右の岸辺は木々の枝が伸び、昼でもうっそうとしている。

 周囲を撮りまくっていたハルヒが戻ってきた。

「ミステリー探索もいいが、赤ちゃんを何とかしないといけないんじゃないか?」

「そうね。いったん、さっきの場所に戻るわ。これ以上いても何もなさそうだし」

「ハルヒ」

「なによ」

「あの赤ちゃん、本当は誰かに見つけてもらうために、ここから流したんじゃないか」

 なんかそんな気がする。昨日、朝比奈さんに言われたことを抜きにしても。

「どこにそんなことする親がいるのよ。馬鹿馬鹿しい。きっと今頃探しているわ。きっと……」

 ハルヒだってもう事故なんて信じていないことが俺にも解った。そんな親を許せないのだ。

 ハルヒは携帯を取りだした。

「古泉君、警察の人は来た? まだなの。すぐそっちにもどるわ」



 朝比奈さんと妹の待っている下流に歩きながら俺は考えていた。これまでの経験上、ハルヒがらみの事象には必ず何らかの意味がある。

 普通なら潜在的な小さな意識の断片が一つにまとまって初めて、人は行動する。意識の前に無意識ありだ。ハルヒの場合、言葉や意志に現れる以前の「何か」がいきなり現実世界に影響を与えてしまうハタ迷惑な資質があり、ハルヒの生み出した世界で宇宙人や未来人、超能力者、そして間違いなく凡人の俺が右往左往うおうさおうしてきた。

 今回だって、ゴムボートに乗ってドンブラコ、中にはかわいい赤ちゃんが、と言う時点ですでに何かが逸脱している。

 その上、朝比奈さんから聞いた話もまだ俺はよく飲み込めていない。


 河岸広場に戻った。

 たき火を囲む四人組と一緒に、さっきの溺れたこどもの母親が一緒にすわっている。沈んだ顔をして赤ん坊を抱いている朝比奈さんと、彼女に身を寄せている俺の妹の姿が同情をひいたみたいだった。

 抱かれた赤ちゃんはぐっすり眠っていて、俺の妹まで朝比奈さんの肩に頭を寄せてうつらうつらしている。こいつも疲れたんだろう。

「この赤ちゃんは私になつかなくてね。本当にこの人になついてるわ」

「どうもご迷惑をかけてしまって」

「いいえ、これぐらいは全然」

 そう言っておばさんはサンドイッチの入った容器をナプキンに包んで戻っていった。

「古泉、どうするこれ」

 もう川遊びどころではない。古泉の言葉より早く、長門が言った。

「この子供は軽い脱水症状。熱がある」

「どれくらい流されていたのか解りませんが、その可能性はありますね」

 長門が言うなら間違いない。けれど水をやろうにも哺乳瓶ほにゅうびんなんかない。

「鶴谷さん、このあたりに病院とかない?」

「小さな診療所ならあるよ。バスで行けるよ。連れて行くの?」

「あれに連れてってもらいましょ。便利なのが来たわ」

 ハルヒはニヤリと笑った。


 河川敷に下りる斜路にパトカーが止まった。いかにも純朴そうな若い警官と年配の警官が車を降りてこちらにやってくる。

「連絡したのは君たちかね」

「ゴムボートが流れてきたと思ったら、中に赤ちゃんがいたんです」

「それで少し上流までさかのぼって見たけど、それらしい家族はいなかったわ」

「なるほどね」

 年配のほうはなんか全然信じていないような目つきである。

「最近の若い奴はわからんからねぇ……。この子とあんたの赤ちゃんといっても驚かんがね」

 赤ちゃんを抱いた朝比奈さんが真っ赤になっている。なにいってんだこいつ、てな俺の気持ちが顔に出たんだろう。年配警官はじろりと俺をにらんだ。

「まあ、聞き取りはする。行方不明の連絡が届いていないか確認もな。人捜ひとさがしと言うことであれば応援を呼んだ方がいいようだ。まあ、赤ん坊を捨てたんなら、もうとっくに遠くに行っているはずだがな」

 周囲の気温が急に上がったような気がしたと思ったら、ハルヒの怒気が俺に伝わってきた。

「そんなはずないわ。捨てるつもりなら、こんなに肌着につつんだりはしないはずだし、それに……」

 警官とトラブルになりそうな気配を察知した古泉がすかさず間に入る。

「赤ちゃんに脱水症状があるようです。早く病院につれていったほうが」

「えっ脱水症状? じゃ近くの診療所まで連れて行ったほうがいいな」

「あたしとみくるちゃんは一緒に行くわ」

 妹が俺のズボンを引っ張った。

「キョン君、あの赤ちゃんお母さんにすてられたの?」

 という声はすでに涙声である。年齢の割には幼いせいか、今回のことがこたえたようだ。

「あたしも、みくるちゃんと行く」

 妹が走ってハルヒと赤ん坊を抱いた朝比奈さんを追いかける。若い警官の方は、赤ちゃんを押しつけられなくてほっとした様子で、ハルヒ達をパトカーに乗せた。

 応援を呼んだあと、残った警官が隣の家族連れに聞き取りをはじめた。

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