第5話 出発

 翌朝。

 初秋の空にはちぎれ雲すら見当たらない。

 俺と宇宙空間の間には青い大気層のほか、さえぎる物は何一つなく、秋のお肌のUV対策を俺でもちらりと考えてしまうような晴れっぷりだ。おまけに気温も今日一日だけ夏がぶり返したような暖かさである。何というピクニック日和びよりだ。

 玄関ドアを開けると、古泉の貼り付け笑顔とかち合わせした。迎えに来なくってもいいのに。

 昨日は食材だけだったが、今日は家にあった一番大きな鍋と、水の入ったペットボトルが二つもある。古泉は学校によって焼き芋を作り損ねたときの廃材を少しばかり持ってきたらしい。そうなると二人でわけても集合地点に到着する前にへばりそうだ。

「今日はインディアン・サマーってやつですかね」

 と言わずもがなのセリフを吐いた古泉は半世紀前の青春映画に出てきそうなサワヤカ青年風のなりだった。日本人なら小春日和こはるびよりだろ。

 ま、天候はどうでもいいが、その服装はもっと現代的にならんのか、という俺の服装はジーパンに着古したTシャツに中坊の時から使っているリュックサックでいかにもさまにならない。


「今日の準備は万端ばんたん、といっていいのかどうか」

「わからん」 

「僕の言っているのは食事のことだけではありませんが」

「朝比奈さんがくわしく教えてくれないからな」

「今日はもしかすると時間旅行となるかも知れず、正直なところ昨夜は睡眠が浅かったですね」

「そんなにいいもんじゃないぜ」

 こいつは時間がらみの事象には妙なこだわりがある。なぜだろう。

「時間旅行するつもりなら、酔い止めは用意しておいた方がいいかもな。効くかどうかしらんけど」

「白状すれば、僕の睡眠不足の大部分は“夜勤“のせいですけどね」

 これは吉報とは言えない。ハルヒの何かが活発化しているということなのだ。しかも長門、朝比奈さんのふたりが警告している前日にだ。

「またビルでも破壊して回ってたのか」

「珍しいことに苦悩や怒りなどは微塵もなく、快調に破壊し回っていました。強いて言えば、楽しんでいるとしか」

 お前も期待いっぱいで楽しそうだな。

「とにかく、今日何かが起こることは確からしいですね」


 妹が出てきた。古泉に元気よく挨拶あいさつをしたが、ハルヒに言い含められたたらしく、水筒一個のほかは手ぶらだった。俺が食材を運び出しているのに手伝おうともしない。日に日にあの女は妹に悪影響を与えている。

 ちょっと贅沢だが、パスターミナルまでタクシーを使った。この荷物では自転車は無理だ。妹を引き連れて段ボール抱えて歩きたくはない。



 駅に着いたが古泉はタクシー料金も払わず下りた。ということは、『機関』の作戦と言うことになるのか古泉?

「昨夜のことは上に報告しましたから。少なくとも傍観者ぼうかんしゃにはなりません」

 それからは古泉も語らず、淡々とタクシーのトランクから荷物を取り出している。

 タクシープールからハルヒ達がいつもの待ち合わせ場所にいるのが見えた。

「みくるちゃーん!」

 真っ先にかけだした妹が朝比奈さんに飛びついている。

 朝比奈さんはシャツの上に秋物のカーディガンを羽織はおって、古風なチェックのスカートといった出で立ちだった。飛びついた妹を聖母のごとく優しく受け止めている。妹といる朝比奈さんはとても自然な笑顔でこちらも幸せになるのだが、これから起こるはずの何かがそれを何割か減じていた。

  

「遅いわよ。古泉君が遅れたのはキョンといっしょだからということで大目に見てあげてもいいけど、あんたは相変わらずねぇ」

 ハルヒは、ジーパンにTシャツ、事もあろうにZOZのあの奇っ怪なロゴをプリントしたヤツに、ベージュのウインドブレーカーで、いつもながら動きやすい服装だった。この女に優雅さは期待できない。おまけに細長い布袋につつんだ釣り竿みたいなものを持っている。

 長門はモスグリーンのTシャツにロングデニムのトップスが妙になじんでいて、黒のショートパンツから白い足をのぞかせている。俺に気がついたのか手に持っていた文庫本から俺のほうに視線をコンマ一秒くらい向けたような気がする。

 そして……鶴谷さんは、品のいい感じで周りから数段上の上質さをかもし出しており、どこかのやんごとなき人々が秋の行楽こうらくに行くときはこんなんだろうな、と納得してしまうような姿だった。上品で、シックで、素敵だ。豪快な笑い声は別だが。

「キョン君、今日は期待してるよっ!」

「あたしも思わず朝食を軽く済ませたわ。キョン、あたしの期待を裏切るようなまねはしないほうがいいわよ」

 ハルヒの言葉はキツイが、瞳には期待感がほの見える。何の期待なんだか知らないが。

 朝比奈さんは右手に高級デパートでもらうような紙袋を一つもっていた。

「あ、あのこれはお菓子とか入っています」

 と、どぎまぎする朝比奈さんはとってもキュートだ。そういうことにしておきましょう。期待してますよ。



 目的地までの案内役は鶴谷さんが買って出た。バス待ち時間の間、彼女の話をそれとなく聞いていたのだが……。

 ずっと昔、目的地周辺から現在の県境の半ば付近まで鶴谷家の地所だったらしい。鶴屋さんは子供の頃、祖父に連れられて“昔の領地”を見て歩いたそうだ。この人は相変わらずとんでもない人なのだった。


 バスに乗り込んだ俺と古泉の真向かいに、ハルヒを始め一連の女子が座った。古泉は珍しくどこか上の空で窓の外を見ている。

 長門は、ごく自然な感じで読書中だが、相変わらず表情は判別不能だ。こいつが俺に託した選択とは何なのかいまだに解らない。それがハルヒの望みと一致するかどうかも。


 バスに揺られること三十分、妹を交えてわいわい騒いでいたハルヒだったが、唐突に言った。

「この時期に出かけたことってあんまりないのよね。中学んときも体育祭とか試験とかいろいろあった時期だし」

「たまにはいいにょろ? 大昔は春より秋の行楽のほうが盛んだったらしいね。うちのご先祖様も一族総出でこのあたりに来たらしいよ」

「たしかにサクラとかより紅葉や秋の行事に関わる古歌が多いってきいたわ」

 そういえば長門とハルヒ、鶴屋さんの三人で短歌大会みたいなことを春先にやったっけ。長門が勝ったけどな。鶴屋さんはともかく長門までが古歌に興味があるのはよく解らん。しばらく俺の分からん短歌談義がハルヒと鶴屋さん、散発的に長門の間で交わされていた。

 やがてバスが川沿いに走り始め、周囲の家屋も減ってきた。ハルヒは車窓から眺めたかと思うと、

「こんな田舎だと上流からおはしが流れてきても不思議はないわね」

「お箸、ですかぁ」

「え、みくるは八岐大蛇やまたのおろちを知らないにょろ?」

「ちょっと、みくるちゃん。あなたほんとに日本人なの? 時々みくるちゃんの常識のなさにあきれるわ」

 お前の常識とやらが世間一般から乖離かいりしてんだよ。朝比奈さんはれっきとした日本人にきまってる……よな?

「いいわ、これから川遊びにいくんだから、これぐらいは知っておかないとね」

 ハルヒはえへん、とわざとらしく咳をして、

「ヤマタノオロチの話。むかしむかし、一人の神様が川辺を歩いていたのね。そうすると上流から箸が流れて来るじゃない? お、これは上流に人家があるなと思った神様は歩いて行ったの。以下略するけど、とにかくヤマタノオロチに苦しめられている村人に会うのね。村ではとうとう、村長の娘まで人身御供ひとみごくう、つまり生けにえを捧げるところまで追い詰められてたわけ。それを聞いた神様は、八つの門とそれに対応する大きな壺。その中にお酒をいっぱい入れなさいって」

「で、イベント当日なんだけど、ヤマタノオロチがやってきた。こいつは頭が一個でも残ってたら残りを再生するから、いっぺんにやっつけないとダメなことになってる。お酒を飲んだヤマタノオロチが蛇ならぬ大虎になった時点で、えいっと首を切り落として、無事解決……のはずだったのよ。ところがヤマタノオロチってくらいだから、又がやっつ。つまり頭は九つあったの。それで最後の一個がのこりの頭を再生して、村人はヤマタノオロチになぶり殺しになりましたって話。算数が出来ないと神様でも酷い目に遭う、そんな話よ」

「算数出来ないと大変ねぇ」と我が妹。俺の方を見て言うな。


 朝比奈さんは話の内容と言うよりハルヒの勢いある語りに感心した風である。こんな話を未来に持ち帰ってあらぬ誤解を巻き起こさなければいいが。

 バカ話に付き合いきれないのでハルヒの語りを聞き流す内に、ガードレール越しに見える川幅も徐々に狭くなっているようだ。


 古泉は珍しく寡黙かもくなまま、バスの車窓から紅葉に染まりつつある山々を見つめていた。なんとなく、ピンと張り詰めた感じを受けるのは気のせいか。

 こいつが俺の知らないところでどんな暗躍をしているか考えてもしょうがないが、時折疑問に思うことがある。

 転校前はどこに住んでいたのか、『機関』はボランティアなのかそれとも給料があるのか。一人の高校生が背負うには古泉の仕事――閉鎖空間での神人迎撃から、対抗組織との暗闘、部室ではハルヒ向けイベントの企画立案――は重すぎる。こいつだって普通の高校生活を送りたいと思うときもあるに違いない。


 俺は車中を見渡す。古泉以外にも異能の存在が監視してたりするんだろうか。

 バスには俺たちのほか、同じようにピクニックにでも行くような家族連れと、町への買い出しから帰宅途中のようなじーさんが一人。機関とは無関係そう、というかこんな連中が秘密機関の工作員だとしたら、よほど人材不足か、超能力者を生み出した創造主がテキトーだからに違いない。


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