第4話 夜のショッピング
食欲が満たされた後のメニュー検討というのはつらい。俺は家にあった数少ない料理本を開いてシャーペンを握りしめていた。
ショッピングモールめぐりでは、ほかにもテスト疲れを癒しに来たであろう学校の連中とすれちがったが、なんて楽しそうなんだろう。俺たちときたら、ハルヒの適当な思いつきに翻弄される
晩飯を食ったらもう何もする気にもなれない。ましてメニューなんか。
食材は深夜営業のスーパーにでも行けばいい。が、何を買えばいいのかとんと思いつかない。先日のイモは朝比奈さん特製スイートポテトになるはずが、ハルヒ団長により予算不足の折から明日の食材に指定され、メニューの幅が狭まっている。長門の意味深な発言もちらついてなかなか身が入らない。
明日何が起こるかわからないのに、昼ご飯メニュー検討ってのもな。ま、いつものとおり、出来ない言い訳を考えているだけなんだが。さっさとかたづけよう。今から本気出す。
参加者は鶴谷さんを含めて六人。ハルヒと長門が二人分の食欲として、計八人分。軍資金として支給されたのはわずか三千円だ。つまり足りない分は俺が
結構な荷物になりそうだし、古泉と駅前で合流することにした。なにも俺一人で抱え込むことはないのだ。荷物も責任もな。
スーパーは駅からちょっと離れたところにある。十一時までやっているから余裕だ。
待ち合わせ……のはずだったのだが、しつこく買い物に同行したがる妹を引きはがすのに思いのほか時間をくってしまった。妹は明日のおやつをみんなで買いに行くと思い込んでいたらしい。自分で呼び出しておいて遅刻というのもなんだが、ちょっぴり古泉にすまない気持ちを抱きつつ、チャリを走らせた。
駅前に着くと嬉しいことに待ち合わせ場所のモニュメントの下に朝比奈さんがその麗しい姿を見せており、腹立たしいことに古泉の野郎が彼女に話しかけている。
さっきまでのすまない気持ちは直ちに蒸散し、うっすらと疑心暗鬼モードに移行する。未来人と陰謀大好き機関員とくれば、何もないほうがおかしくないか?
「今晩は、キョン君」
朝比奈さんは、ちょっと洒落た感じのベージュのカーディガンとタイトスカート、並ぶ古泉はこじゃれた感じの秋物ジャケットで、二人して通販カタログのヤングアダルトの部に掲載されてもちっともおかしくない様態だった。対する俺はちょっとよれた感じのチノパンに着古したジャンパーという。なんだかな、だ。
「朝比奈さん、俺たちの手伝いはハルヒが禁止しているんじゃないですか」
「古泉君が連絡してくれたの。キョン君の料理の腕は信じているけど、買い物くらいはお手伝いしたいし、うまくいかなくて涼宮さんの機嫌をそこねても……ね」
ありがとう朝比奈さん。まさに
「この際ですから、僕よりも朝比奈さんの方が頼りになると思います」
なにがこの際、なのかは不明だが、こうして三人でお買い物となった。この三人がイベントの前日にハルヒなしで集まると言うのも珍しい機会だ。ここは率直に、未来人と超能力者に援助を受けるべきだろう。
「で、何を話してたんだ」
「明日の準備というか、対応策を協議していたところです。くわしい話は朝比奈さんから聞いたほうがよいでしょうね」
それはそうだ。未来人なのに明日のことが解らないはずがないじゃないか。
「朝比奈さん?」
ためらいがちに話し始めた朝比奈さんの話で、これからの買い物や明日のピクニックなんかがみるみるうちに霞んでいく。
俺も長門の言動を二人に話したけれど、もともと良く理解できない内容なので朝比奈さんに伝わったかは心許ない。
スーパーの自動ドアをくぐったものの、さっきの話の内容が内容だけに気もそぞろ、カレーだってのに俺が豆腐なんかを買い物かごに入れたりするものだから、朝比奈さんが見かねていろいろ手伝ってくれる。
持っていたカゴが急に重くなったので、我に返った。朝比奈さんが、ニンジンの袋を俺のカゴにいれたのだ。
「キョン君、野菜のほかにお肉なんかも必要でしょ?」
古泉が俺の視野に入らなければ、二人でカゴを持ったりして仲むつまじいカップルのお買い物、という光景ではあるのだが。
今度は古泉がたまねぎを一袋、遠慮なく俺のかごに入れた。
「すると長門さんは以前同期した記憶から、明日のことを警告したということですね」
長門は能力を封じるまでの間どれくらい未来と同期してたのかはわからない。一度や二度ではないだろう。
「たぶんな」
「警告、ということは、そのあり得ないような出来事が我々にとって危険なのでしょうか」
「正直わからん」
スーパーの棚を巡りながら話す内容でもないと思うが、今は非常時だ。しかし入学以来、これまで非常時でなかったことなどあったろうか。俺の人生の危機はほとんど高校時点に集中しているにちがいない。
朝比奈さんは、野菜をじっくり検分したりパックの成分表示を真剣な面持ちでチェックしている。なんとなく目先の手作業に集中して嫌なことを忘れようとしているみたいだった。
予算の関係で、野菜は見切り品が多かったが、肉はまっとうなものにした。ハルヒは料理が上手だ。しかも抜群に。ということは異常な思考を
レジで会計を済ませると、おつりは一三〇円でほぼ使い切った。後は俺のジュースでも買おう。
レジを終えて、スーパーをでた。
「明日、我々に出来ることはどれくらいあるんでしょうかね」
「わからん。長門も絡んでるらしいし」
「あたしに出来ることは何もないの。でも、キョン君や古泉君なら。二人ともこの時代の人だから」
「それにしても余りにも情報が少なすぎませんか」
「あたしもこれ以上のことは知らないの。いつもと同じ……」
そのまま黙り込んでしまった朝比奈さんと俺たちは無言のまま歩き続けた。古泉は少しばかり話したそうだったが、朝比奈さんの気持ちを
別れ際に朝比奈さんは、俺からみても無理のある笑みで言った。
「キョン君、明日のお昼ご飯、楽しみにしてるわ」
そのまま路地を曲がって見えなくなった。朝比奈さんの両親がこの時代にいるとは思えない。長門と同じように一人で住んでいるんだろうか。ただのメッセンジャーとして故郷から遠く離れて、無力感にさいなまれながら。
近いうちに今の朝比奈さんの住んでいる場所に行くことがあるような気もする。
残った古泉には言いたいことがある。
「なあ、古泉。鶴屋さんのことなんだが……。今回は『機関』とやらも関係あんのか」
古泉は肩をすくめた。
「いいえ。僕たちも全くの予想外でした。ですが、鶴屋家は『機関』設立以来のスポンサー筋に当たります。何かの意図があっても不思議はありません」
「『機関』と鶴屋家について立ち入ったことを聞いていいか。いや、あんまり聞きたくはないんが予防措置とでも言うか……」
「わかります。僕があなたの立場でも質問したことでしょうね」
古泉は片手に買い物袋を持ったまま、ちょっと考えていたようだったが、
「鶴屋家は僕たちを影ながら支援していますが、これまで具体的に指示したことは一度もありません。これまではね。ただ、”いつかそのとき”が来るまで我々は泳がされているような気がしてなりません」
「どういうことだ」
珍しく笑みの絶えた表情の古泉が話す言葉だけに、俺も引っかかる。
「ここからは僕の想像、いえ妄想だと思っていただいて結構ですが、この状態が続くのも次期当主になれば代わるかも知れません」
「鶴屋さんが?」
「鶴屋家は遠く元禄時代以前より続く地方の名家です。それ故後継者問題もあるでしょうし」
ん? 何かおかしい。言葉通りに取れば古泉の言葉は一見正しいように見える。しかしこいつが話したという事実が、違和感を増大させている。
「たしか、去年……お前は今から四年前より過去は存在しないっていってなかったか」
「覚えていてくれたとはありがたいですね。まさにそれが問題の核心なのです。『機関』は涼宮ハルヒという存在によって作られ、それより過去は存在しない可能性がある。朝比奈さんのどんな努力も四年前より昔にはさかのぼれない」
「なのに三百年以上続いている家系が存在する……」
「実は両方とも正しいとしたら、どうでしょう?」
「どういう意味だ?」
「まだ仮説の域を出ませんので……」
古泉は薄い笑みを浮かべただけで、俺の問いを軽く流した。
「僕もそろそろお別れします。今晩もしかすると“夜勤”があるかもしれませんからね」
古泉は俺の自転車のカゴに食材の入った買い物袋を積んで、横断歩道を渡ってやがて姿を消した。
気が付くと俺は一人でかごに食材を満載にしたチャリを押していた。もう明日の旅行なんかどうでも良くなってきた。はたして俺は時間の乱流の中で、明日より先を迎えることができるんだろうか。
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