第3話 スケッチ
「お前も大変だな。ハルヒに振り回されてよ」
「それでもつきあいが続いているんだからね」
「気持ちが通じているっていうか、そういうことか?」
「それはない」
昨日の焼き芋騒動のことは校内に知れ渡っていたから、昼飯時のたわいもない会話のネタになることは想定内だ。二人ともからかっている様子はなく谷口ですら同情口調だった。
「キョンもそうだけど、岡部もちょっと気の毒だね」
「なんか校長からも目を付けられてるんじゃねーの。今のところハルヒは学力全校一でズバぬけてるからお目こぼししてもらってるけど、そのうちハルヒが校舎を爆破するとかやったら、岡部も
いや、もう二度ほど校舎はおろか、この辺り一帯が更地しか残らないような大暴れをしてるんだが。閉鎖空間で。
「ところでキョン、またどこかに出かけるんだって?」
「耳が早いな」
「こんな話はすぐに伝わるのさ。焼き芋騒動は収束したし、また何かやらかすのは自明だったからね」
「また山登りでもすんのか」
「いや今度は川遊びというか、ピクニックみたいなもんかな。お前も行くか」
「いや、いい。どうせ荷物持ちの手が足りないんだろ。断る。俺もちょっと身動きがとれねぇんだよ。うちのバーサンの具合が悪くてさ。お袋がつきっきりで看病してるもんだから家の手伝いが……」
「国木田、」
「僕もやめとく。塾あるし」
俺もさ、団疲れがたまる昨今、フツーの人間としてフツーの人間とノーマルなつきあいを楽しみたいわけなんだが。二人ともつれない返事だ。
掃除当番で遅れて部室に入ったがハルヒも朝比奈さんもいない。窓は半開きで、傾いた陽を浴びた向かいの校舎が朱色に染まっているのが見えた。
室内についさっきまで人のいた感じはする。長門は人の数に入れていいのかどうかはわからない。
長門は机に向かって何か書き物をしている。小さな手がノートブックを縦横に動き、シャーペンを滑らせていく。筆先にまったくためらいはない。
なにやら樹状のフローチャートのような物がちらりと見えた。俺は長門の斜め前に座った。
長門が
「ほかの連中はどうした」
「買い物」
「え、まだメニューも決まってないのに」
「食材ではなく、レク用品」
「で、俺はこれから追いかけないといけないのか」
「そう」
あの女の考えそうなことだ。長門を監視役として残して、一緒に連れてくるように言い含めたようだった。
俺が長門に従って仲良く追いかければ、昨年のクリスマスから続くハルヒの疑念がますます濃厚になる。長門をふり切って帰宅すれば、命令違反で罰金・つるし上げ――もっと悪くすると閉鎖空間が後日襲いかかるわけだ。
つまるところ踏み絵的トラップで、右に行けば崖から落ち、左に行けば首を落とす。戻るのは許さない。好きな方を選べ……てな外国の昔話があったな。
だが俺に長門を振り切ると言う選択肢はない。
長門によると、わざわざ郊外にあるショッピングモールに行ったらしい。ま、ハルヒがレールを引いたならその上を走るまでだ。少なくとも長門に迷惑はかけたくない。
長門が立ち上がって、俺にノートを渡した。
「これ」
「なんだこれは」
「あなたが理解できるように図化した」
と言うことらしいが、さっぱり解らない。
たぶん左から右に見るのだと思う。起点らしき箇所に丸印がある。
丸印は太陽のように右側に樹状のフレアを放っていて、その太い線も紙面の中央の三角印から先はプリズムで分光されたかのように多数の細かい線となって、さらに右に伸びていく。三角形の周囲は渦を巻いている。
なんだろう。なんかの古代文様でこんなのがあったような気がする。
「私は未来との同期を断っている。自分の行動の自由度を確保しておきたいから」
長門は顔を上げて2ミリくらい上目遣いに俺を見たような気がした。
これは俺の長門表情解釈によれば、普通の女子的表現に翻訳すると“念のためにいっておくけど”くらいの意味のはずである。
「ずっと以前、この時点の私と同期を試みたことがある。しかし今から数日後の未来は
そうか。長門は同期を絶ったが、それ以前に同期した記憶は残っているはず。というか俺たちを観察するのが目的である以上、未来を予測することは必須なはずだ。
長門はどれくらい俺たちの遠い未来をのぞき込んでいたんだろう。
「明日以降、決定的に優勢な未来は存在せず、カオス状態であると予想される」
「つまりそれがこの三角なのか? 明日以降はどんな可能性でもあるってことか。普段ではとてもあり得ないようなことでも、フツーに起きるとか」
「そう」
「どうすりゃいいんだ、俺は」
長門はちょっと間を置いて俺を見つめた。これで会話は終了したのか?
窓から流れ込む風が急に薄ら寒く感じた。長門が答えないので、俺は席を立って窓を閉めた。パソコンもつけっぱなしだ。俺がマウスに手を伸ばした瞬間、長門の体温を感じさせない小さな手に素早く押さえられた。
長門の短めの髪が俺の肩に触れるくらいの距離にある。なんだろうこれは。
俺の動揺など感知していないようで、長門は俺の手を持ったまま終了オプションにのせられていたマウスカーソルを元に戻し、ファイルフォルダを開いた。
画面にはいつぞやの文芸誌にハルヒが書き殴った絵が現れる。タイトルは――世界をおおいに盛り上げるためのその一・明日に向かう方程式覚え書き。
俺には正体不明のコメント満載の
「我々の分析によると、涼宮ハルヒはいかなるハードウェアに依存することなく時空改変する能力がある。この図は彼女に理解できる範囲内で記した心象とも言える」
だから? だからそれが俺に何の関係があるってんだ。
それにその手を離してくれてもいいような、そのままでもいいようなこの浮ついた感覚……。
「ここには将来起きる出来事の場所、確率、それに関与する涼宮ハルヒの意志が象徴的な形で記載されていると我々は考えている。……あなたのことも書いてある」
長門は俺の手を誘導してマウスカーソルを動かし、パソコンを終了させた。
部室に斜めに差し込む西日が長門の完璧な無表情を照らしている。言うべきことは言ったのだろう。長門は読んでいた本を鞄におさめ、椅子に座ったままの俺の前で待機していた。
このところ団員はそれぞれ当番やら生徒会関連で団の集団下校もなかなかできないし、長門と二人きりってのもしばらくぶりだ。正確には”この”長門とは初めてかも知れない。いや、よそう。
谷口ランキングでAAマイナス級美少女と連れだって歩くのは、目ざとい噂好きの
別に急いでハルヒを追いかけなくてもいい。ヤツは気分次第で携帯で
長門とはここしばらく話してない。ほとんど俺の一方的なモノローグなのは承知の上だが、そうしたい時だってある。長門ほど話しやすく聞き取りにくい相手もいないが、静かに並んで歩く長門に不思議と心が安らぐ。
だけどやっぱり今日使用する
俺はこいつの考えが分からないけれど、それでもいい。
……それが長門だから。
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