27-1 メシアスside 小さな愛が動かした夢 / weeping may endure for a night



 開いた正門から明かりが差し込み、目を閉じた彼女の顔が鮮明に映る。

 毎晩隣で見せてくれた寝顔と変わらず穏やかな表情をしていて、肌は透明と見まがうほどに白く、儚げに輝いていた。


 これ以上壊れてしまわないように、ゆっくりと抱きかかえて立ち上がる。


 力なく折れた首が彼女の髪を垂らして、あらわになる顔の輪郭……


 本人は気にしていたが俺はこの丸顔がとても好きだった。

 笑った顔も怒った顔も困った顔も、全部大好きだった。

 それなのに、なにがあっても守っていかなければならなかった彼女を、自分の浅はかな行動で取り返しのつかないところまで追い詰めてしまった。


 もっとしっかり向き合っていれば避けられた悲劇。

 愛おしさが募れば募るほど、後悔ばかりが胸に残る。


「……苦しかったのは、お前のほうだったんだよな」


 閉じられた瞼から滴る彼女の涙を掬い取った。

 指先には、柔らかな温もりが残る。


 最後に落とした思いの欠片が取りすがるように染み込んできた。俺はそれを夜風から守ろうと懐に隠す。だがそれは、あえなく冷えてなくなってしまった。


「結局、最後まで泣かせてばかりだった。俺は本当に情けないやつだ」


 まだ温かい彼女の頬に手を当てて、鼓動を確かめた。

 かろうじて息は続いている。レインの言ったとおりだった。


「お前には俺達がついている。まだ諦めるなよ」

 

 俺は駆け足でゾルトランス城の地下へと向かった。



 目指す場所は最下階、そこに希望が残されていると信じて進む。

 螺旋に伸びる広い階段を降りた先に開かれていたのは、地下二階の扉。

 女王の間と呼ばれる空間には、ひっそりとした暗闇だけがあった。


 部屋の奥に隠されている扉を開き、そこからさらに階段を降りる。

 直角に折れた段を進んでいくと、地下三階の扉の前で『二人』は待っていた。


「遅かったわね」

「……あの、メイル様、こんばんは」


 レインはこちらに一瞥するなりマーマロッテの瞼を開いてその奥を覗き込む。

 アザミは沈鬱な表情を浮かべたまま、床に目を落として唇をきつく噛んでいた。


「眠っているだけみたいね」

「おそらく、そうだと思う」

「現時点でほぼ五日が経過しているとなると、そろそろ『危険な状態』に入ってしまうわね。アザミ、すぐに取りかかるから準備して頂戴」


 レインは俺の腕に乗ったマーマロッテを強引に抱え上げてアザミが開けた扉の中に入っていった。アザミも一礼をしてから彼女の後に続く。


「説明は後でするわ。あなたはそこで待っていて。それと、なにがあっても中に入って来ないで。お願いよ」


 こちらの返答を待たずに勢いよく扉が閉まった。

 一人取り残された狭い足場に薄暗い照明が当たり、ほのかに熱を帯びる。



 俺が入ってはいけない理由。

 きっとそれもレインは秘密にするのだろう。

 


 しかし、案外悪いものでもない。マーマロッテを救い出したいと願う仲間がいてくれただけでもありがたいことだ。


 こう思えるようになったのは、みんなと出会えたからだと思う。

 そして、きっかけを作ってくれたのは最後まで俺を見捨てなかった彼女。


 ここまで生きてこれたのはお前のおかげだ。

 心の底から感謝しているよ。



 俺はマーマロッテの処置が終わるまで扉の近くの床にしゃがんで待った。

 レインとアザミという謎に満ちた女性に希望を託して、ゆっくりと目を閉じる。



 あの笑顔を、もう一度見たい。



 頭の中をその思いだけで埋め尽くして、他のことはなにも考えなかった。

 彼女が助かってくれればそれ以上のことはなにも望まない。瞼の裏に元気だった頃の彼女を何度も映しながら、俺は静かに待ち続けた。



 ……。



 どれほどの時間が過ぎただろうか……

 まるで止まっていたかのような長い時が流れた刹那、閉ざされていた部屋の扉は、静かに開かれる。


「メイル、いる?」

「……ここだ」

「大分待たせてしまったわね。いいわ。入って」




 部屋の中は青白い光で覆われた機械まみれの空間だった。リムスロットの医療室とはまるで別物と言わんばかりの物体が様々な色に光っていて、壁に張りついた機械の箱の上部からは太い管が何本も床に向かって伸びている。

 天井にも巨大な機械が配置されていたがそこから光るものはなく、緩やかな風が吹いているだけだった。


 女性二人が立っている場所の床には縦長の機械の箱のようなものが三つ置かれている。おそらくこの箱のどれかにマーマロッテが入っているのだろう。


「ここはなんだ? 女王の寝室か?」

「ある意味ではそうね。けれどここはもっと複雑なことをする場所なの。そうね、あなたになら言ってしまってもいいわ。ここはね、『ゾルトランスの間』よ」

「ゾルトランス? この城の名前じゃないか」

「そう。もともとここはそこに置かれている箱、ゾルトランスを守るための城だったのよ」

「その箱は、一体なんなんだ?」


「あなた、そんなことよりも結果を聞きたくないの?」

「あんたの声色でなんとなく分かるさ。……少しほっとしていたんだ」

「だったら私も遠慮なく話せるわ。もっと近くにいらっしゃい」


 つまずいて転ばないように足元を見ながら歩く。

 レインが指定した場所は三つあるうちの真ん中の箱の正面だった。


「あの、レイン様。私はそろそろ……」

「あなたにも辛い思いをさせてしまったわね。ありがとう、アザミ」

「いいえ。こんな私でお役に立てるのなら、いくらでも……」

「疲れているのでしょう? 無理をしないで今日は休んで。明日からまた忙しくなるのだから」

「……はい。それではメイル様も、失礼します」


 アザミは俺達に深くお辞儀をして、背中を丸めながら部屋を出て行く。

 王女の使用人だった女性の背中には孤独を含んだ悲哀が滲んでいた。



 なんとなしに部屋の入り口をぼんやり眺める。

 どういうわけか、去っていくアザミを追いかけたい衝動に駆られた。

 ……。



 レインが囁くような声で俺の名前を呼ぶ。

 視線を戻して彼女を見ると、ゾルトランスの箱に手をかざしていた。


「この中にいるんだな?」

「ええ。見ることはできないけれど、近くにいたほうがいいでしょ?」

「それで、どうだったんだ?」

「結論から言うと、命を落とすほどの状態ではなかったわ」


 深い溜息が出た。

 彼女は死なない。

 その事実を知れただけで、最高に嬉しかった。


「でもね、身体の損傷は大変なものだった。きっと人間には耐えられない量のアイテルを放出したのね」

「俺も間近で見た。あれはどう考えても普通じゃなかった」

「いずれにしても、この子は当分ここから出ることはできない。まともに生活できるまでは、そうね、少なく見積もって五年、いや十年はかかると思う」

「そうか。でもこいつが助かってくれれば、それだけで十分だよ……」


 正直なところ発狂しそうだった。

 どんなに時間がかかったとしても待ち続けるつもりだが、それでも一人で生き続ける寂しさはどう考えても拭えそうにない。


 俺みたいなやつの側にずっといてくれたもう一つの尊い命。

 そんな、世界に一人しかいない人の声を十年も聞けないなんて……


 彼女なしではこの先を生きていけない。

 そう言葉にしてしまう寸前の感情が、喉から溢れ出しそうになっていた。


「それにしてもよく頑張ったと思うわ。こんなに強い子になれたのはあなたのおかげよ」

「……あのなあ、レイン」

「なに?」

「もう隠し事はやめにしてくれないか。戦争は終わったんだ。いい加減、話してくれよ」


「カリスの血のこと? それとも、私のこと?」

「両方だ。ただし、あんたのことはもう分かっている」


「みんなには、黙っていてくれる?」

「当たり前だろ。それに、関係のないやつに喋ったところで誰も喜ぶようなことじゃないくらい見当はついている」


「分かったわ。……なら、この顔で話すのは失礼になるわね」

「……お、お、おい!」


 レインは両手をゆっくりと持ち上げて、仮面に触れた。

 内側で空気が抜けるような小さい音がして、静けさが戻り、白いものが顔から剥がされる。

 そして、恐怖を誘うあの『形』が表に出てきた。


「確か、前回はここまでだったわね」

「は?」


 外した仮面を床に落としたレインは、もう一度顔に両手を当てる。

 すると今度は顔の内側から大きな空気が漏れて、『二つ目の仮面』が外れた。


「う、嘘、だろ……」

「これが私の本当の素顔よ。はじめまして、でいいかしら?」


 目の前に晒された、信じられない顔。

 まさかこんなにも『似ている』なんて夢にも思わなかった。


「だから、隠し続けていたのか……」

「この子は私の生き写しみたいなものだから一緒に行動しているといろいろとおかしくなるでしょ? 実際にあなたも今、混乱しているじゃない」

「どうして、死んだことにしたんだ」

「理由は単純。『女王』が前線で戦うなんて言い出したら元老院が機能しなくなるからよ。それと、彼らにはアイテル砲を撃ってもらうという重要な役割があったわけだし。まあ、残念な結果になってしまったけれどね」


 やはりレインが、『先代女王』だった。


「カリスの血についてはどうなんだ。なぜあんたが知っていたんだ」

「あれは初代女王が提唱する新たな政治に端を発した『ある男』が作り出したものだから。と言っても分からないわよね」

「ああ、全然分からない」

「つまりね、あれは女王を殺して権力を奪い取るための兵器だった。作った本人はもうこの世にはいないけれど、それを生み出す装置は未だに動き続けているってわけ。私は、シンクがカリスの血を追いかけていることを知っていたから、この子が地下都市ジュカに行くと決めた時に嫌な予感がしたの」


「だから機嫌が悪かったのか」

「あとのことはあなたに任せようと思って気持ちを切り替えた。私よりも信頼している人の言葉だったら、きっとこの子も踏み留まるだろうと。でも結果はこうなってしまった。あなた達を苦しめてしまったことに責任を重く感じてる」

「もういいんだ。あんただけのせいじゃない。それにこいつはまだ生きている。どういう理由で助かったのかは分からないけど、とにかくあんたが塞ぎ込むことはない」


「……ええ、そうね。でもそのことなんだけれど」

「どうした?」

「この子が助かったのはね、身代わりになってくれた人がいたからなの」

「身代わり?」


 レインの言葉に首を傾げながら、自分の顔が引きつっていくのが分かった。


 彼女が眠る箱の中で、閉じられた時間が通り過ぎていく。


 事実を想像することに耐えられない。この思考を早く否定してもらって楽にならなければ、自分が自分でなくなってしまいそうになる。




「この子のお腹の中に、いたの。赤ちゃん」




 湧き起こった感情は悲しみだとかそういうものではなかった。

 それは、我が子の未来を奪ってしまったことに対する、自分への怒りに他ならない。




 親の腕を掴み、


 愛をもらおうと必死に泣き、


 言葉を覚え、将来を夢見て、


 楽しいことや苦しいことを積み重ねて、


 最も大切なものに出会い、生まれてきた意味を知り、


 次の世代へと愛を伝えていく




 叶えられなかった現実を思うと悔しくてたまらなかった。

 代われるものなら、今すぐにでもそうしてやりたい。



「お母さんのこと、守ってあげたかったのよね、きっと」




「その子の気持ち、無駄にしちゃ駄目よ」




「頑張って生きるの。それがあなた達に託した思いなのだから」



 ……この世界に残してくれた愛は、絶対に忘れない。

 ……マーマロッテを救ってくれて、本当にありがとう。



「さあ、今日だけは思いっきり泣いてしまいなさい。そして明日から笑顔を届けるの。いいわね?」


「ああ。そうだよな」


「もう、泣き虫なお父さんだこと」



 こんなに声を出して泣いたのは生まれて初めてだった。

 レインは優しい声で愚痴をこぼし、俺をそっと抱き寄せる。


 母のような温かい手に背中をさすられながら、子供のように泣きじゃくった。何度も何度も大きな声を出して、小さな愛に詫びながら、枯れるまで泣いた。



 ……心が落ち着いた後も、いなくなった子を思い続ける。

 笑顔が可愛らしい、マーマロッテに似たその子のことを……



 いつか『再会』できる日が来ることを信じ、その時は笑顔で抱きしめられるように強い心を持って、大きく逞しく、家族を温かく包み込む男になる。


 そして、成長した姿を見られないかもしれないけれど、これからも心の中でゆっくり育てていきたい。


 そんな『彼女達』に捧げる人生が、俺の中で今、産声を上げた。


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