18-5
タデマルと二人きりの時に言われた言葉が頭の中を駆け巡る。受け入れがたい事実をどうにかして消化させたいと思う自分が惨めでならなかった。勝ち負けの問題でないことは分かっている。でも、あの男に負けたと一瞬でも思ってしまったことがどうにも許せなかった。
何事も起こらなかったからよかったなどという単純な出来事ではない。必死に包み隠していたはずの『心の内側』が初対面の男によって簡単に暴かれてしまったのだ。これは深刻な事態としか言いようがない。
自信なんてものはとっくに壊されていた。残っているものがあるとすれば、それはメイルへの気持ちと私の胸にわだかまる偽りのない感情だけだろう。
開けた玄関の扉を抜けて静かに閉めると、私はすぐにダクトスーツの腰に空いた小さな穴へ微量のシャットアイテルを放出した。そうすることで中に空気を送り込むことができ、膨らんだ反動で一気に脱げるのである。
……アイテルを照射してから、約十秒でそれは作動する。
「おう、おかえり。意外に時間がかかったな。調整はどうだった? そういえば……」
ダクトスーツは、勢いよく私から剥がれ落ちた。
もちろん下着はつけている。肌の露出が極めて少ないやつだ。彼は何度かこの姿を見たことがあるので、急に発作を起こすことはないだろう。
でも、すごく驚いた顔をしている。
無言で近寄る私を見て、さすがに異常を察知したみたいだった。
「……ねえ、しようよ」
「ん? 塩か? 塩なら食堂に行けばあると思うが、なにに使うんだ?」
「塩じゃないよ。ねえ、……メイルぅ」
彼の首の後ろに手を回した。不思議そうな表情でこちらを見つめてきたが抵抗する気はないようだった。
私は密着したままの彼を寝台の上に押し倒した。
「……メイルとしたいの。ねえ、いいでしょ?」
「したいって、なにをするんだよ。キスだったらさっきしただろ」
恥ずかしくて言えなかった。それに、はっきり言ってしまうとなんだか儀式めいた行為を求めるような気がしたので、そうすることは避けたかった。
私は言葉で説明するかわりに……
「お、おい、そういうことか。ちょっ、ちょっと待て!」
……あれ? まだなにもしてないのに気づかれちゃった。
「なんで? 駄目なの?」
「駄目というかなんというか、いろいろとおかしいだろ。とにかくだ、冷静に話し合おう。それからでも遅くはない。な?」
彼の言い分は実際正しい。追い詰められた感情だけを処理したところで二人の関係が安定する保証はない。私を動かしたものについてをしっかり理解してもらわなければ、最低の初体験が待っているだけだろう。
結局私はメイルを押し倒した状態のまま、ことの一部始終を話した。彼は黙って話を聞きながら、私の短くなった髪を触ったり背中をさすったりしてくれた。
タデマルが発した言葉の内容は全て話したが、なにもかも言い当てられたことについてはあえて説明しなかった。
ところが彼は、そんな私の小細工は通用しないとばかりにあっさりと見抜いてしまうのである。
「それってつまりさ、タデマルってやつの挑発が悔しくてやけになっているってことなんだろ? まず、動機が不純だ。俺達はそいつを負かすためにくっついているわけじゃない。それに、別によくないか? したとかしないとかで人間の価値が決まるわけじゃないんだから。そんなやつなんか真に受けないで冗談の一つでも返してやればいいんだよ。あとな、俺はお前が子供っぽいから嫌いになるなんてことはないからな。この先どう変化していこうが、お前に対する気持ちはずっと変わらない」
痺れた。どうにかなりそうだったもどかしい気持ちがこんなに早く解消されるとは思わなかった。
私はなんて人を選んでしまったのか。タデマルとはまるで比較にならない。今のやりとりだけで動機ができてしまうと思うくらいに全身が熱くなった。
本当に、私にはもったいない人。
「でもね、私はね……」
「おい、それ以上は言うな。お前がよくても俺は駄目だ。なあ頼むよ」
「どうして? ちょっとだけでも、駄目なの?」
「ちょっととかそういう問題じゃない。いろいろと準備だってしたいし、なにより今はまだ朝だぞ。とにかく、少し落ち着いてからもう一度考えてみよう。な?」
「うん。……分かった」
確かに彼の言うとおりだった。それにこの問題は私達が前向きに判断したことによって起こった状態なのであって、他人に口出しされたからといって急ぐようなことでもない。よって今回の一件は私が先走ったことで発生した事故のようなものだと考えることにした。
「だが、そのタデマルってやつのことは見過ごすわけにはいかないな」
「うん。そのことなんだけどね、さっきレインさんにお願いしてきたんだ」
「俺を戻すのか?」
「もしかして、駄目?」
「いや、全然構わないぞ」
「でも忙しくないの? あっちのほうに影響とかない?」
「こっちのほうに影響出ちゃってるんだから、無視できるかよ」
「……メイルぅ」
「その甘えた感じ、嫌いじゃないけどあんまり使いすぎると癖になるぞ」
「大丈夫だよぅ。ちゃんと使い分けるからぁ」
「あのなあ、わざとやってるだろ」
「……ばれた?」
「全部お見通しだ」
「へへへ」
「ああ、それと、言い忘れていたが今日はスクネを預かることになっている。もうじき来るだろうから、そろそろなにか着てくれないか?」
「ちぇ、つまんないの」
「わがまま言うな。夜中は断れって言ったのマーマロッテだろ。それに俺はスクネの保護者なんだ。親が自分の子供ほったらかして彼女といちゃいちゃなんてしてたら、子供もそういう大人に育ってしまうだろ」
「私、クローンだから、そういうのよく分からないな」
「その話は前にもした。生まれた条件は関係ない。子供の成長を近くで見守るのが親だ。何度も言わせるな」
「はい、知ってます。ちょっとした出来心でした。さっきの件が一旦納まってほっとしたのか、すごく甘えたくなったのです」
「とにかくな、お前もスクネからいろいろ教われ。親っていうのも子供からたくさんのことを学んで成長していくものなんだ」
「うん。私、頑張る」
「まあ、お前の気持ちも十分に理解している。だからスクネに取られたとか無意味な嫉妬はしないでくれ。……あの、なんつうか、いつだってお前が一番なんだから」
「うわ、強烈な一言。嬉しすぎる」
「……俺は? 誰のものなんだっけ?」
「私ぃ」
「それ、絶対気に入ってるだろ」
「へへへ。またばれちゃったか」
こんな感じで朝の混乱はなんとか切り抜けた。
そういうわけで最終的に服を着させられた私は、医療室で散々言われたダクトスーツの大胆な見た目のことを彼に話した。すると彼は非戦闘時にだけ上から羽織る専用の服が既にあることをあっさりと白状した。
私は当然、そのことについて今まで黙っていた理由を彼に激しく追求した。ところが彼は反省する様子もなく、いいからまずは着てみてくれ、と言う。
仕方ないので実際袖を通してみた。すると驚くほど可愛らしい出来栄えだったので、結果的に、まあよし、とすることにして一悶着は無事収まったのだった。
そして今日は新しい人物が一人、地下都市リムスロットへやってきていた。
それは防衛が終了した直後だった。シンクライダーが遠くに見える丘の上から歩く人影を見つけたのである。
ふらついた足取りでこちらに向かってくるなにかをはじめに警戒したのはレインだった。彼女の忠告に耳を傾けた私達は、その人影らしきものの様子をしばらく観察することにした。すると私達が見ている前で倒れこむような動きを見せてその影は視界から消えてしまった。
その後、監視室にいたタデマルはその人影のの回収を指示し、私達は大柄の男性を救出することになる。
確保した男性は自分のことを『ライジュウ』と名乗った。そしてスクネちゃんの時と同様に彼もシンクライダーの精密検査が行われた。しかしそこで厄介な問題が生じてしまう。その男性は登録情報に該当しない人物だったのだ。
当人は、生まれてからずっと地上で一人暮らしをしていたとのことで、地下都市には一度も入ったことがないから登録はされていないはずだと主張した。
所在の分からない人物を入居させることに懐疑的な態度を示したのは、やはりレインだった。
タデマルは当初無関係な素振りを見せていたが、ライジュウの農民出身という発言をきっかけに目の色を変えた。最終的に自身の権力を行使したタデマルは、周囲の反対を押し切ってライジュウを都市に迎え入れてしまったのだった。
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