6-3



 家の中は想像していたよりも簡素な作りだった。流し台があり、用場があり、食卓があり、椅子があり、寝台があるだけ。

 余計な丁度は一切ない。着る物は住民専用の上下が一式あるのみ。素材は木綿によく似ているが異常な弾力性がある。これも高度な前文明が残した欲望の結晶なのだろうか。自前の服を気に入っているので指摘がない限りこれを着ることはなさそうだ。

 洗濯はどうしているのだろうか。さっきレインが口にした洗浄場がそうなのかもしれない。明日行ってみることにしよう。早いところ、この臭いを取ってしまいたい。


 寝台の脇にはおかしなものがあった。これはもしかしたら鏡というやつだろうか。爺さんから聞いた覚えがある。これは本来の世界の反対を映し出すものだ。光そのものを反射しているので、それを見る側が逆を認識してしまう。

 顔や姿を手っ取り早く見る道具としては秀逸だが、俺には気持ち悪いものとしか見られなかった。自分の顔を見るなんて苦しいだけでちっとも便利なんかではない。



 ……大袈裟に太い眉毛、やや垂れ下がった目、自己主張の強い丸鼻、それに下品な口元……。



 全てが醜い。そしてみすぼらしい。こんな顔を持ったやつと会ったことがないし、会いたくもなかった。

 笑った顔も大嫌いだ。並みのものでも持っていさえすればどれだけ気持ちよく笑えただろうか。己を不幸にして他人も不幸にするこの笑顔は、今までもこれからもこの世界にはなにも生み出さない。

 悪いのは全部自分だ。誰かのせいではない。だからこの笑顔は自分だけが傷つくように最初からないものとして振る舞うことが適切だと思ったし、それで不自由なく今日までやっていけている。


 鏡を壊してしまおうか。だがもしかしたらこれにも高度な文明の細工が施されているかもしれない。今余計なことをしたら笑えないどころか泣きを見る羽目になる。適当に布でも被せておこう。



 寝台の上に寝転んで天井の模様をぼんやり眺めて暇を消化していると、突然部屋のどこかから不快な音が鳴り響いた。対応に困ったのでとりあえず誰かに聞きに行こうと思い玄関を開けてみる。


「よかった。いないのかと思った」

「まだ慣れていないんだ。入るか?」

「うん」


 レシュアだった。

 レインのお下がりだという彼女の服は、いかにも女らしい飾りつけをされた淡い薄紅色の一繋ぎ物だった。髪の毛は二つ結びに分けられていて耳元がすっきりしている。きっとこれが楽な状態なのだろう。

 袖からわずかにはみ出している細い腕からは、固まりきっていない血の滲みがあった。


「これ塗っとけ。少し外の空気吸ってくる」


 地上の家から出る前に持ってきておいた薬を手渡して玄関を出た。こくりと頷いていたので意味は理解しているだろう。

 待つのは好きではなかったがなぜか苦痛でもない。誰かの役に立っていることに高揚でもしているのだろうか。このまま長い時間を待たされても文句は言わなくて済みそうだ。


 ……。

 ところが、二分もしないうちに玄関の扉は開く。


「あの、お願いがあるんだけど……」


 背中の傷に薬をうまく塗れないらしい。レインに頼めと言ったがそれは嫌だと断られた。

 一応塗れていることを本人の口から確認する。うまく塗れていなくても切り傷程度ならすぐに塞がるので問題ないと告げた。ありがとう、という寂しい声が返ってきた。

 こいつは俺を使ってなにをしたいのか。召使いかなにかだと思っているのだろうか。城にいた頃のわがままっぷりが目に浮かぶ。とても不愉快だ。

 余程自分に自信があるのだろう。顔を見れば分かる。この顔は俺が抱えている苦しみを知らない。大勢の一部となれば日陰で一生を過ごさなければならない惨めさとはどんなものなのか。この顔が気づくことは一生ないと断言できる。

 そんな不自由しない人間が不自由な人間もどきである俺を見ている。これに耐えられるかどうか不安だった。もうなにを言われても理解できないような気さえした。両者が納得する会話を成立させることなんてもっての外だ。


「あ、そうだった。これね、レインさんからメイルにって。使い方さっき教えてもらったんだけど私にはなんだかちんぷんかんぷんだった。メイルって確か機械に詳しいんだったよね?」


 手渡されたものをよく調べてみると、どうやら交信機のようだった。機械兵飛来時の速やかな対応をこの道具を用いて行うのだろう。

 しかしなぜ俺が持たなくてはならないのか。ちんぷんかんぷんでも憶えようと思えば自分で使えるだろうに。

 露骨に嫌な顔をして見せたが反応は返ってこなかった。


「で、用は済んだか? レシュアにも家が割り当てられたんだろ?」

「あ、その、そのことなんだけど……」


 耳を疑った。一人で住むには確かに広いと感じていたが、まさか一緒に暮らす相手が爺さんではなく、自分よりも少し若い女だったなんて。

 もちろん賛成もできない。どんな理由があろうともこれを考えたやつはどうかしている。よりにもよってこんな身分違いを同居させるなんて呆れてものも言えない。


 異星人との争い以前にこの家が戦場になってしまいそうだ。


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