3-1 レシュアside 思い出の色/echo the fait(h)



 とても暖かい朝だった。

 部屋から差し込む眩しい光が悠久の別世界へと導いた、懐かしくも切ない光景が今でも目に焼きついて離れない。

 それは、鮮明な記憶だった。


「おはようございますレシュア様。今日は珍しく早い起床でしたね」


 アザミさんの快活な声が部屋に響き渡り、一日がはじまる。

 まだ八歳だった頃の私は永遠に続くだろう生活を心から楽しんでいた。

 女王も姉も妹もみんなが笑顔で、私も笑顔。

 誰よりも幸せに浸っていただろうし、誰よりもその大切さを理解していた。

 初めて本当の笑顔を知ったあの頃が、一番楽しかったと今でも思う。



 ――だからその日は、とても暖かい朝だった。



 朝食を軽く摂り、着慣らした運動着姿になって部屋を出るとルウスおじさまが部屋の外で待っていてくれた。


「おはようございます、おじさま!」

「おはようございます、レシュア様」


 この日は二人で『遠足』に行くことになっていた。アイテルを使えない私のために自然の怖さを知ってもらおうと女王とおじさまが考えた教育の一つとして考えたのがこの外出だったのだそうだ。


「ねえねえおじさま、早く行こうよ!」

「もうしばらくお待ちください。アザミ殿がもうじき参りますので」

「やーだー、もう待てないよー」


 将来の困難を生き抜くための大切な授業であることは当然知っていた。でもその頃の自分にとっては誰がなんと言おうと楽しい遠足だった。アザミさんから昼食を受け取る際に念入りな忠告をされた際もそれとなく聞き流しておじさまにいろいろな質問をした。すると二人とも困った顔をして「遊びに行くのではありません」と釘を刺してきた。


「それじゃ、行ってきます!」

「ルウス様の言うことをちゃんと聞いてくださいね」


 正門からではなく軍兵宿舎側の裏口から外に出ることを聞いた時、古い冒険の本に出てくる主人公と自分が重なった気持ちになって心が躍った。



 春を少し過ぎた森の中は新緑の瑞々しい香りに包まれていた。世界がどんなに変化してもこれらの命は星が生き続ける限り尽きることはない。おじさまはそんな感じの話をしてくれたと思う。

 私は、優しさが生きる強さの源なのだと言葉ではないなにかで感じていた。


「レシュア様」

「なに?」

「もしこの自然を壊そうとする者がいきなり現れたら、どうされますか?」

「みんなに相談する」

「ははは、そうですよね。では質問を少し変えます。もし自然を壊そうとする者がいきなり現れたら、どうされますか?」

「なんでそういうことをするんですかって言う」

「その人達はレシュア様の言葉が分かりません」

「ずるい」

「ずるくないですよ。この星にそんなことをする人は今もこれからもいません。つまり、この星の人ではないということです」

「じゃあ、どうやって話し合えばいいの?」

「ははは、レシュア様、それこそずるいですよ」


 この時はまだ真意を掴めていなかった。力がなくても強い気持ちさえあればなにがあっても乗り越えられる。そう信じていた。



 ルウスおじさまはこの時点でまだ迷っていたのだろう。

 これから起こることをきっかけに私を強くしようと考えたのではないだろうか。そして『彼』の気持ちに共鳴して私も変わろうと思い立ったのではないのだろうか。



 『あの』事件が起きたのは森を散策している時だった。おじさまに並んで草むらを歩いていると急に金属が鋭く擦れる音がして、私の左足になにかが突き刺さったのだ。

 甲高い声を上げて痛みを訴えると、おじさまが手早くそれを外した。


「罠か。なぜこのような所に。ん!? 誰だ!」

「それはこっちのセリフだ。あんたらこそなにもんだよ!」


 森の影から現れたのは一人の少年だった。名前はメイル。その頃はまだ十歳だった。

 彼は私の足の傷を見て、すぐに解毒しないと大変だから家に行こうと言ってきた。おじさまは少年の必死の表情を読み取ったのかすぐにその提案を受け入れた。


 少年の家に向かう道中でおじさまは毒のことをしきりに尋ねていた。だがメイルは手製の毒だから自分にしか治せないと答えるだけでどんどん先に進んでいく。

 彼の自宅は地上に建ててあった。小さな三角の屋根をした古めかしい平屋で、中に入ると木でできた寝床と小さな机しかなかった。


「知らない客を奥に連れて行きたくないけど、そうしたほうが手っ取り早いから今日だけは特別だぞ」


 床に張りついていた木の板をメイルが滑らせるとその奥から下りの階段が出てきた。

 私を負ぶったおじさまは少年にうながされて後を追った。


「これはこれは珍しい。客人かの」


 地下に降りると腰を曲げた老人が農作物を保存するための下処理をしていた。


「ああこれ、うちの爺ちゃん。……なあゲンマル爺ちゃん、この子罠にかかっちまった。毒抜きすっから爺ちゃんは消毒の準備しといて」


 罠にかかった左足は金属の棒に強く挟まれていただけで痛みは治まっていた。足の甲には小さな針のようなものが刺さっていても出血はなかったので全然平気だった。

 その時のルウスおじさまは相当慌てていたのだという。私は床に降ろされたあともずっとメイル少年の行動を見ていたので青ざめているおじさまの顔までを拝むことはできなかったのだけれど、すごい顔をしていたらしい。

 少年は密閉型の小さな透明の容器をどこかから引っ張り出してきてゲンマルお爺様が持ってきた消毒液を傍らに置く。そして私の足に刺さった針を素手で力任せに抜いた。


「んっ!」

「わりい。痛いだろうが我慢してくれ。こういうのは時間との勝負だから」


 解毒はものの数分で終わった。

 塗り薬を傷口に擦りつけて綺麗な布で巻きつける。それだけだった。

 おじさまは訝かしんですぐに城へ帰りたがったが、少年は完全に解毒するまで定期的に薬を塗ったほうがいいと主張してきた。ゲンマルお爺様もそのほうが安全だろうというようなことを話すと、おじさまも観念したらしく、ではその薬を少し分けて欲しいと言った。


「駄目だね。これあげちゃったら罠の意味がなくなっちゃうじゃんかよ。帰りたいならおじさん一人で帰りなよ」


 結局メイルの家に泊まることになった。早ければ明日の夕方には完全に解毒できるというのでルウスおじさまも渋々了承した。

 私はこの上なく喜んだ。城の人ではない人間と同じ空間で時間を共有できることに興奮を覚えたのだ。その日の夜は未知の経験も立派な授業だと言い聞かせてしっかり楽しもうと思った。



 当時のメイルは決して綺麗とは言えない容姿をしていた。ぼろぼろに破れた布を身に纏い、顔に黒い土をつけて、裸足で駆け回る不揃いな坊主頭。

 城を出なければこんな人に出会うことはなかっただろう。そんな彼が私の目の前で鼻を啜りながらにこにこと笑いかけてくる……



 知らない男の人に初めて足を触られたその瞬間の、全身を駆け巡った不思議な感覚も……



 全てが新鮮で全てが衝撃的だった。

 地上に人が生きていることはアザミさんから聞いている。でもそうではなかった。彼は本当に生きていて、この星と生きていて、普通の人には見えていないなにかを見ている。


 まだ小さかった私は、そんな彼が持つ秘密を本気で知りたかった。


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