第三話 月夜と恋
騎士団の旅は概ね順調に進んでいた。途中、単独の鬼や少数の鬼のグループを見かけたが、鬼も馬鹿じゃないのだろう、数で勝る騎士団に襲い掛かることはなかった。
まあ、そんなこんなで、新京まであと1日というところで、騎士団は川の畔で野営を行っていた。
俺は余った食料を処分するとのことで、それなりに豪勢だった夕食をおなか一杯に食べた。その後は特にやることもないので、天幕の中でだらしなく横になっていた。天幕の外ではまだ、騎士たちが談笑している声がしている。何を言っているかは、相変らずさっぱりだ。
ここに来るまで、サリサからいろんな話を聞いた。まず、日本語についてだが。日本語を使っているのは新京に住む者や聖月帝国首都の『月天京』の貴族や大学の研究員ぐらいらしい。そして、重要なのはどうして日本語が使われているのか、と言うことだが、確定ではなもののやはり過去にこの世界に飛ばされてきた日本人がいたと考えるのが自然だろう。
それらしい話も聞いた。新京の初代統治者は『月賢・虎次郎』と言う貴族だった。どうもこの貴族は、もともと辺境の町で教師をやっていたらしいが、豊富な知識により次第に有名になり、大学で多くの論文を発表するなど、その活躍が高く評価されて爵位を得たそうだ。
その『虎次郎』という貴族は貴族となる前から日本語を話していたらしい。現在ではむしろ主流となってきているそうだが、当時としては多少風変わりな日本語を話していたものの、流暢な日本語を話し、逆に庶民や他国でも多く話されているウニア語を苦手としていたらしい。
これらの情報からして、コシンと言う人物は日本人である可能性が高い。しかし、残念なのは10年も前にこの世を去ってしまっているということだ。彼の墓は王都の墓地にあるという。
―帰ることができなかったんだな。
俺よりずっと頭のよさそうな人だっのに。それでも帰れなかったんだと思うと暗澹たる気持ちになる。俺は帰ることはできないじゃないか、『虎次郎』と言う貴族の話を聞いてからそんな不安に圧し潰されそうになっている。
そうやって答えの出ない悩みに悶々といていると、天幕の入り口からサリサが顔をのぞかせた。
「ジュンヤ、今暇ですよね。姫様がお話ししたいことがあるそうです」
正直あまり人と話す気分じゃなかったが、サリサに迷惑をかけるわけにもいかないし、それに、マユラは何か知っている。
―少しでも手がかりが欲しい。いい機会だから、ありのまま、包み隠さず話そう。
異世界から来たなんていう、荒唐無稽な話をしよう、っと決意をしたところで、どうやら目的地に着いたようだ。サリサに連れてこられたのは野営地から少し離れた川辺で、ここから野営地の間には大きな岩があって視界も遮られている。秘密の話をするにはもってこいの場所と言うことか。
「姫様、ジュンヤ様をお連れしました」
サリサは川に向かってそう言ったあと、
「では、私は下がって見張りをしていますので、ごゆっくり」
っと言って戻っていってしまった。
どうしようかとおもっだその時、水面から当然何かが飛び出した。
はじめは、人魚だと思った。月明かりに照らされたその姿は、きっと人を魅了どころか心を支配してしまうのではないかと、恐ろしくさえ思えた。
「少し待たせたかな」
その声を聴いて、川の中から出てきたのは人魚ではなくマユラだと気付いた。よく見たら、と言うかよく見てしまったのだが、マユラは全裸だった。
「えっ、あっあの、すみません。見えてます。ごめんなさい」
慌てて顔を背けた。
「恥ずかしがることはない」
マユラが声をかける。
―いや、あんたが恥ずかしがれよ。
「水泳は得意でな。明日には新京から船に乗ることになる。船旅はあまり好きではないから、少しでも気分転換をしておこうと思ってな。其方もどうだ?」
「じ、自分は大丈夫です」
「そう、つれないことを言うな」
マユラはそう言いながら俺の背中に寄りかかる。
「あたたかいな。…このまま、抱いて欲しいと言ったら、其方はどうする?」
―どういう意味?ってとぼけていい雰囲気じゃないよな。正直、マユラは恐ろしいほどに魅力的な人だ。だからこそ、初めて出会ったときから、マユラがなぜこんな風に好意を俺に向けてくれているのかが全く分からない。理由があるなら話してほしい。
話してもらって、納得ができたら、特別な関係になるってわけじゃないけど。俺は、この世界の人間じゃないし、それに俺には七海がいる。七海とは付き合ってたわけじゃないけど、でも多分いずれは、そういう関係になると思っていた。いつも、何かあれば、何もなくたって二人一緒だった。他の誰かと一緒になるなんて考えられない。
まだ、今は。帰れる希望が完全に無くなったわけじゃない。七海とだってまた会えると思いたい。
だから、マユラの誘いを受け入れることはできない。
「あ、あの、話があるんじゃないですか?」
なんて、直接断る勇気もないから、強引に話題を変えようとした。
「…そう、だったな」
マユラが少し寂しそうに言って、背中から離れる。
そんな寂しそうな声で言われると、悪いことをした気分になる。
―どうしようか。気まずい雰囲気になってしまった。ここはいったん出直した方がいいのか?
少しの間悩んでいる背後で水の音がした。どうやらマユラは再び川の中に入ったらしい。ここで戻っても、ますます気まずくなるだけだ。明後日にはマユラ達騎士団は船に乗って本国へ戻ってしまう。話ができる機会は限られているのだ。それをみすみすふいにするわけにはいかない。
「あの、ごめん。俺、どうしたらいいかわかんなくて。でも、俺、話を聞きたいんだ。マユラが何を知っているのか」
「謝ることはないよ。此方も少しのぼせていた」
マユラはそう静かに言うと、しばらくしてから
「こっちを見てくれ」
と言ってきた。
マユラは川の中にいるからといってまだ裸だろうから、振り返るのが躊躇われたが、ここで変に拒否してマユラを傷つけてしまうぐらいなら、覚悟を決めて振り向くべきだと思った。別に、他の女の人の裸を見たぐらいで七海は……ちょっとぐらいしか怒らないだろうから。
「ふっ、これなら、少しは話しやすいだろう」
マユラが悪戯っぽく言う。
「ええ、まあ、なんとか」
―とは言ったものの。これはどうだろうか。
マユラは俺に気を使ってくれたのか、川に入る前まで着ていたであろう、浴衣のような服を着ていた。だがまた川の中に入ってしまったせいで、服の生地がぴったりと肌にくっついて、ある意味裸よりも煽情的であった。それに結構肌の色が透けている気がする。端的にいってエッチだ。
そんな、俺の戸惑っている姿を見てマユラはご満悦のようだった。
―あーあ、機嫌が直ってよかったなー。
「えっと、改めてなんですけど、話したいことって」
「ジュンヤ、其方の本当の名前を教えてくれ」
その問いに一瞬息をのんだ。
―本当の名前か。やっぱり、マユラは俺の置かれている状況について、何か知っている。
今まで、マユラやサリサに苗字を名乗らず、名前だけ名乗っていたのに理由がある。ワッズに初めて日本語で話しかけられて、自己紹介をしたときのことだ。その時は普通にフルネームで、より分かりやすいようにと思って、地面に文字をかいてまで自己紹介をしたのだが、ワッズは俺のことを貴族かと思ったらしくて、すごく驚かれてしまった。
ワッズに詳しく聞いてみると、鉄の民も海の民(多分現実世界で言うところのアジア系)も平民は基本的に苗字を持たないらしい。苗字を持っているのは、騎士や貴族たちだけで、特に『月』の文字が入った苗字を持つ貴族は、帝国元老院の常任議席を持つ貴族のみらしい。
そういった理由で、人前で苗字を軽々と名乗るのは、やめようと思っていたわけだ。
「俺の名前は、月島純也って言います」
「貴族のような名前だな」
「でも、マユラは俺が貴族じゃないって知ってるんだよね?」
「ああ、知っている」
「それは、どうして?」
「月に教えてもらった」
「…月?」
思わず、天に浮かぶ満月を見上げた。
この世界の月は、もと世界の月より二回りも三回りも大きく見える。見上げるたびに、落ちてくるんじゃないかと怖くなってしまうほどだ。それに、よく知っている月と違って、薄紫色に光って、闇夜を怪しく照らしている。
「『月はすべてを知っている』と、昔ある高名な巫女が言ったらしい」
マユラが俺をまっすぐ見つめながら言う。
「『月は知っているのだ、人が滅び、この星がいずれ息絶えることを。だから月は決して、我々に顔を向けることはない。なぜなら滅びゆく人とこの星があまりにも哀れで、涙がとまらないのだ。月とこの星の周りに散らされた数多の星はすべて月の流した涙なのである』なんて。まあ、よくありそうな昔話の一つだ。
ところで、精霊石についてはもうサリサから聞いているか?」
「えっと、精霊術を使うために必要な石だよね」
確かそんな説明を受けた気がする。この世界には精霊術と呼ばれる魔法みたいなものがあって、なんか生活用と戦闘用が明確に分けられていて、発動する精霊術ごとに、専用に加工した精霊石が必要だとか何とか言っていた気がする。
「簡単に言えばその通りだ。そして精霊石を使用した占術は古くから存在していた。精霊たちは我々とは違う時間軸の中を生きている。だから、精霊石を使用し、精霊と契約を行うことで、未来を教えてもらうというのは、そこまで見当違いの方法と言うわけではない。
しかし、この地表でとれる精霊石など微々たるもので、とてもじゃないが正確な未来を見ることなどできない。せいぜい明日の天気を見るぐらいのものだ。だが、月はどうだろう。100年前に学者達が行った観測の結果、月の大部分は精霊石でできていることが分かった」
ここまで言われれば、多少の予想はつく。
「だから、月を使えば正確な未来が見えるってこと?」
「ああそうだ。しかし、問題がある、月ほどの大きさの精霊石ならば、どんな未来だって見ることができるだろうが、残念なことに、あまりにも遠い。多くの巫女や高名な精霊術研究者たちが月を読むための方法を探っているが、これと言ってよい方法はいまだ見つかってない」
「けど、君は月をつかって未来を読むことができるんだ」
長々と話をしてきたけれど、要するにそういうことなんだろう。
「まあ、そんなところだ。『月読』といって大昔に滅んだ民族が使っていた方法で、此方は未来を見ることができる」
「だから、俺が何者で、どこにいるかを知ることができったってこと?」
「その通りだ。とは言っても、何もかも正確に読めるわけではない。もし、其方のことを正確に読めていたならば、奴隷などにさせずに…。いや、違うな。あそこで出会うことが、月が見た未来だったというわけか」
一人で納得しているところ悪いが、まだ話は終わっていない。未来を見ることができるなんて、まだ信じきれていないが、今はそれが真実だとしよう。だが、まだ分からないことがある。
「未来が見えるってことは分かった。けど、だからと言ってマユラが俺と会うためにこのクンネ・ポロモシリ、えっと、暗黒大陸までくる理由にはならないよね」
「そうか?異世界から来た者と会えるというだけでも、会いに行く理由になり得るのではないか?」
マユラはまた悪戯っぽく笑う。
「…言葉足らずだった。…俺の勘違いかもしれないし、この世界の人が異世界人に対してどんな感情があるのか知らないけど、マユラはその…少し、積極的すぎるというか…」
直接指摘するのは結構恥ずかしい。勘違いかも知れないし。
「言っただろう?此方とてただの女だ、父上が勧める下らん貴族との政略結婚よりも、運命の相手と愛を語らいたいと思っただけだよ」
自分で言って、少し恥ずかしかったのか、マユラは俺から目線を外し、水面に浮かんでいる月を見ていた。
「半年前の満月の夜に此方は月読をした。読んだのは此方の愛すべき者はどこにいるのか、それが知りたくなった。月は教えてくれた、生まれはこの星ではない、鬼達に奪われた大陸の森の中、弩をもって戦う若者、それが此方の愛すべき者だと。だから、こうして其方とまみえることができた」
冗談を言っている風ではない。なんだかそういうふうに、ストレートに言われると、こっちまで恥ずかしくなってしまうが、まだ腑に落ちないことがある。
「でも、それって、おかしと思うんだ。月が未来を知っているとすれば、月読をしてもしなくても未来は変わらず、俺とマユラはあの日あうことができたんじゃ」
「そうだな。しかし、此方は月読をしなければ、ここまで来ることはなかった。だから、月は此方が月読をすることさえ知っていたということだ。知ってしまえば此方は、其方に会いに行かずにはいられない」
マユラは川からゆっくりと上がり、川辺にあった人が二人ぐらいが座れるちょうどいい高さの岩の端に腰掛けて、空いている側をポンポンと叩く。隣に来いということらしい。特に断る必要もないと思ったので素直にマユラ隣に腰かけた。
それから、しばらくマユラは黙ったままだった。だから、俺から聞きたいことを聞こう。未来が読めるというなら、聞いておかなければならないことがある。
「マユラ、俺は、キミの言う通り、こことは違う世界から来たんだ。だから…、俺は…」
帰れるのか、と聞こうとしたが、言いよどんでしまった。
もし、未来永劫帰ることができないといわれたとき、俺は受け入れることができるか自信がなかったからだ。
「…帰りたいのか?」
マユラが静かに尋ねる。
さっきの話を聞いて、マユラとしては俺に帰って欲しくないってのは分かる。けど、俺はすべてを投げ出してこの世界で生きていこうと決心できるほど、元の世界に未練がないわけじゃない。むしろ未練たらたらだ。
「…それは、そうだよ」
俺は正直に答えた。噓を言ってもしょうがない。
「………残念だが、この先其方が故郷に帰れるかはわからん」
少しの沈黙の後、マユラが静かに言った。
「月読でも読めないの?」
「ああ、そうだ。なにも意地悪で言っているのではない。月読で読むことができるのは、あくまで読人自身ことについてのみだ。其方ことを直接読むようなことはできんし、此方自身のことだって、5年、10年も先のことは、漠然としたものしかわからん」
「だったら、俺に月読のやり方を教えてください」
「其方に月読はできんよ。月読は技術だけではなく、血の問題もある」
「血?」
「特別な血を引く者しか使えんということだ。…だから、此方が月読ができるというのは皆には秘密にしてある。父上も例外ではない。知っているのはサリサと使用人がもう何人か、そして其方だけだ」
いっそのこと、絶対に帰ることはできない、とでも言われた方が踏ん切りがついて良かったのかもしれない。中途半端に希望が残っていても今の俺にはどうすることもできない。
俺が途方に暮れているのを察したのか、マユラが今後の方針を教えてくれた。
「ジュンヤ、此方らは明日には新京に着き、明後日には本国に戻らなくてはならない。本当ならば、其方を連れていきたいところだが、わが騎士団は帝都に向かわず、西に向かい鬼軍との戦闘に加わらなくてはならない。今度の戦いは大規模なものとなる。其方を、連れていくわけにはいかない」
もともと、新京に残るつもりだったから、一緒に行けないことについてはそこまで問題じゃない。ただ、残って何をするかが何も決まってないというのは、不安ではある。
「そこでだ、今後のことを考えると、其方も戦う術を知っておいた方がいい。新京には獣牙団という傭兵団がいる。此方の口添えで、そこに入団できるように取り図ろう」
「えっ、いや、俺、戦いなんてできませんよ」
思わず立ち上がって、マユラを見る。
「何を言っている。採掘場で弩の腕を見たが、なかなかのものだ。はっきり言って、素質があると此方は思うよ」
「いや、あれは、…偶然ですよ」
そうだ、あの時は確かに結構命中させることができたが、あんなのは所謂火事場の馬鹿力的な何かで、何度もできるようなことじゃない。
「傭兵をやれば金も手に入る。帰る方法を探すにしろ、ここで生きていくにしろ、どのみち金なしではやっていけないだろう?」
「それは、そうだけど…」
「心配するな。ひと月ふた月は困らないくらいの金はだすよ」
「そんな、そこまでしてもう訳には」
命を助けてもらって、就職まで斡旋してもらっているのだ、お金まで貰ってしまっては、あまりにもマユラの好意に甘えすぎている。
「遠慮することはないのだがな。まあ、金は新京にいる此方の使用人に預けておくことにするよ。明日紹介するから、困ったことがあればその者に相談するといい」
「…何から何まで、本当に、ありがとうございます」
「構わんさ、此方が好きでやってるだけだ」
マユラはそう言って、再び自分が座っている岩の空いている側をポンポンと叩く。俺はおとなしく元の位置に座りなおした。
本当に情けないと思う。こうやって誰かに頼ってばかりではいけないと思いながらも、結局自分では大した努力もせず、いつも誰かに甘えてしまっている。この世界に来てからはワッズやサリサ、マユラに頼って、元の世界にいた時だって母さんや七海に甘えっぱなしだったと、今なって思い知らされた。
「あの、俺、なにもできないくせに、自分のことばっかりで、本当にごめん」
「くどいぞ。…此方も其方に出会ってから気づいたのだが、案外好きな男の世話を焼きたい性分のようだ。これからしばらくは会えんのだ、少しぐらい此方のわがままを素直に聞いてくれ」
マユラはそう言って、手を重ねてきた。
「…ありがとう。この世界にきていろいろと大変だったけど、マユラに会えたのは、本当に良かったと思ってる」
彼女の気持ちは、まだ受け入れることはできないけれど、一人でこの世界にきて、ワッズもいなくなって、それでも自分のことを大切に思ってくれているということに、感謝しなきゃいけないと思う。今の自分にはそのぐらいしかやれることはないから。
その後、ほとんど会話をすることはなかったけれど、しばらくの間、半月の下二人っきりで過ごした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます