第二話 女神と相乗り

 暖かい。


 温度と言うか、心のぬくもり。みたいな、自分でもよくわからないけど、そんな暖かさを感じた。意識はあったが、目を開けるのが面倒だった。


 ―天国だろうか?


 いや、もしかしたら、異世界での奴隷体験なんて全部夢で、ここは自分の部屋なのかもしれない。


 だとしたら、これから学校にいって試験勉強しないといけないのか…。


 ―今日はサボろう。3ヶ月も夢の中で奴隷労働やったんだから一日ぐらい、休んだって誰も文句はないよな。そうと決まれば、二度寝としゃれこもう。なんだか、いろいろと疲れがたまっているんだ。


 「そろそろ、起きてはくれまいか?」


 ―奇麗な声だ。きっと声だけで多くの人を虜にできる。まるで、一流の職人が命を削り作った、最上の楽器のようだ。


 なんて、詩人のようなことを思った。


 優しく頭を撫でられる。そしてそののまま柔らかくしなやかな指が、俺の頬を包み込んだ。


 ―いい匂いがする。


 七海の部屋もこんな、いい香りだったな。


 不意に、頬を軽くつねられた。


 「うっ」


 目を開けてしまった。


 「ふっ、此方を前でほかの女を思うとは、なかなか、度胸のあることする」


 そんな言葉とは裏腹に、楽しそうに微笑む、女神がいた。


 朝日が昇る少し前、暁の空もと、俺の目の前にいたのは、奇麗だとか、美人だとか、そんな単純な言葉じゃ言い表せない、まるで、絵画の中から飛び出してきたような、神々しさと妖艶さを併せ持つ、まさに女神というに相応しい容姿だった。


 「そうか、…ここは天国なんですね」


 目の前に神様がいるってことは、天国なんだろう。元の世界じゃないのは残念だが。目の前の女神さまに会えたことで、幾ばくかの慰めにはなる。


 「よく間違われるが、此方は女神ではない。ただの女だ」 


 女神様は慈愛に満ちた笑みを浮かべながら、再び頭を撫でてくれた。


 もうしばらく、このまどろみの中で眠っていたかったが、そろそろ起きねば。


 徐々に思考がはっきりしてきて、自分がいまだ異世界にいて、何とか生き残ったらしいってのは分かった。


 ―それにしても、よく生き残れたな。


 寝かされていた場所は天幕の中らしい。ゆっくりと大きく息を吸い込むと、柑橘系のいい匂いがしした。その匂いは驚くことに自分の体から発せられていた。思えば、この世界にきて3ヶ月ほど風呂に入ることなんてできなかった。雨が降っているときに水浴び的なことはできが、しかし、身体と服にこびりついた汗臭さが落ちることはなく、いつしかそんな匂いにも慣れてしまっていた。


 服も連日の奴隷労働でボロボロになっていた学ランではなく、肌触りのよい絹で出来た服を来ており、体にかけられていたのもボロ布なんかじゃなく暖かい毛布だった。


 なんだか、すごく人間らしい。そんな扱いされてる。それだけで、すごく幸せに感じた。


 ゆっくりと、体を起こす。すると、多少の気怠さを感じたが、鬼の野営地で目覚めた時と比べれば、心身ともにずっとましな状態だ。


 「傷は塞いだ。だが、だいぶ血を流していたから、しばらくは無理に動くな」

 「はい、ありがとうございます」


 傷は塞いだと言われて、思い出したように鬼に刺されたわき腹に目をやる。確かに傷は塞がっている。と言うか傷後すらない。


 刺されたはずだよな。夢だったのか。夢だとしたら、どこからが夢だったんだ?


 「驚いたか?町の術士どころか、軍でも、それほどの高度な治癒術を扱えるものは少ない」

 「はあ。そう、なんですか…」


 治癒術と言うと、魔法で傷を治したということか。


 ワッズから、魔法のようなものがあるらしいという話は聞いていた。そのときは、話半分で聞いていたけれど、あの傷が奇麗に消えてしまうなんて、魔法とはなんとも便利なもらしい。


 とにかく、一度姿勢を正す。


 「えっと、助けてくれて本当にありがとうございました」


 感謝を示すのは大事だ。


 「礼には及ばんよ。騎士団としては、遠征調査のついでのようなものだ」


 女神様は、いや女神のような女性は長い濡羽色の髪をかきあげながら言う。あと、目を覚ました時からなんだが、アメジストのような美しい瞳でずっと見つめられている。悪い気はしないが、さすがに気まずい。


 「それでも、本当に助かりました。えっと、余計なお世話かも知れませんが、何か手伝えることがあったら何でも言ってください。力仕事ぐらいならできます」


 さりげなく、目を合わせないようにしながらがら言う。あと、恩は返さないといけない。これは大事。


 「ふっ、さっき無理をするなと言ったばかりなんだがな」

 「あ、す、すみません」

 「まあいい。それなら、一つしてもらいたいことがある」


 女神のような女性は、顔を近づけて言った。


 「な、なんでしょう」


 ―近い近い。


 「其方の名前を教えてくれ」


 そう言えば、まだ名前も言っていなかった。これはとんだ失礼をしてしまった。


 「じゅ、純也って、い、言います」

 「そうか、いい名だ。此方はマユラという。この騎士団では副団長をやっている」


 そう言うと、なにやら満足そうな表情をして、顔を離す。


 「ジュンヤ、粗末なものしかないが、朝食を採れ。四半刻後に騎士団は『新京』に向かうことになっている」


 ―新京?もしかして、ワッズの言っていたシンキョのことか。


 「あっ、あの、助けてもらって、そのお礼もできていないのに、こんなことをお願いするのは大変恐縮なんですが、俺、じゃなくて、私をその新京まで連れて行ってくれませんか」


 頭を地面に擦り付けるようにしていった。


 「そう、かしこまらずとも良い。それに、其方は『新京』まで送り届ける、もとよりそのつもりだ」


 それを聞いて、一安心した。この世界にきたことは置いておくとしても、鬼に捕まりながらも日本語が分かるワッズに会えたり、騎士団に助けられて日本語が使われている町『新京』まで連れて行ってもらえる。俺の悪運はいい方のようだ。


 マユラ…さん?様?どっちがいいのかはわからないけれど、彼女が畏まらないでくれと言っているのだから、様じゃなくさん付で呼ぶこととしよう。


 とにかくマユラさんが、天幕を出てからすぐに朝食が運ばれてきた。


 朝食の内容は、保存食らしい味のないクッキーみたいなもの数枚と、よくわからない柑橘系の果物、野草のスープだった。野草のスープはスパイスがよかったのか、案外悪くなかった。おなか一杯とまではならなかったけれど、これまでの奴隷生活と比べれば、落ち着いて食べれるというだけで何倍もましだ。


 朝食を食べて、天幕の外に出ると、騎士団の人たちが慌ただしく出発の準備をしていた。天幕も俺が寝ていたものを除けばすべて、片付けられている。


 あとちょっとで出発だっていうのに、少しのんびりしすぎた。


 すると、天幕から出てきた俺の姿を見て、一人の軽装の騎士が駆け寄って来て、話掛けられた。ワッズたちと同じ言葉をしゃべっているらしくて、何か質問されているとは思うのだが、さっぱりわからない。


 すると、軽装の騎士がさっきまで俺が寝ていた天幕を最初に指さしてから、次に少し離れたところに止められていた、馬車じゃなくて、竜車を指さした。竜車には天幕に使う支柱や麻布が積まれている。


 ―ああ、片づけていいかってことか。そうだよな。残っている天幕はあとこれだけだもんな。


 俺が首を縦に振った。すると、こちらの意思が伝わったらしく、素早く天幕を片づけていく。見ているだけってのも心苦しかったので、手伝おうとすると、割と強く拒否されてしまった。


 ―確かに、素人に手伝わせるとかえって時間がかかるか。


 そうやって、周りが慌ただしく動いている中、一人手持無沙汰で佇んていると。


 今度は右目に眼帯をした女性に声をかけられた。一応鎧をつけているが、周りの騎士達がつけている黒い鎧ではなくて、青く染められた鎧をつけていた。


 「お初にお目にかかります。私はマユラ殿下にお仕えしているサリアリサと申します。以後お見知りおきを」

 「えっ、ど、どうもご丁寧にありがとうございます。俺はジュンヤっていいます」


 えらく丁寧な自己紹介で面食らってしまった。


 あと、気になることを言っていた。『マユラ殿下』か。殿下ってことは王族とかそういったかなり身分の高い人ってことなのか。だが、それを簡単に聞いていいものなのかどうか。たぶん常識として知ってることなんだろうし、下手なこと聞いて相手に不信感を持たれたりしたらよくないな。


 とにかく、呼び方は『マユラさん』ではなくて、『マユラ様』に変更したほうがよさそうだ。


 「では、ジュンヤ様。準備がよろしければ、一緒に来てください」


 そういわれて、素直についていくことにした。何もやることなかったし。


 それにしても、マユラ様も奇麗な人だったが、サリアリサさんも負けず劣らず奇麗な人だ。大きな眼帯が目を引くが、顔立ちは端正で、サファイヤのような蒼い瞳と、雪のように白いの肌、肩までで揃えたの銀色の髪、すらっと伸びた手足。一つひとつが完璧な調和をして、まるでファッションショーに出てるモデルのようだ。


 そんなサリアリサさんに連れられて、大きな木に繋がれていた、青い鱗をした二足歩行の恐竜のところまできた。他の恐竜と比べて一回り大きく。鬼以上に威圧感がある。


 「ジュンヤ様には、申し訳ありませんが、私の竜に一緒に乗ってもらうことになります」


 草を食っていた、青い竜と不意に目が合う。


 ―結構怖いんだが。


 俺が不安そうにしているのを察したのか、サリアリサさんは竜の鞍の調整をしながら、


 「大丈夫ですよ、この子は体が大きくて筋力、持久力ともに平均以上です。人間を二人運ぶぐらいは、いつもやっていますよ」


 別に竜の心配はしていないが、まあ、何とかなるってことだろう。


 その後、サリアリサさんと竜の背中に乗って、3ヶ月ほどの間過ごした採掘場を後にした。


 どうやら騎士団と一緒に『新京』に向かうのは、俺一人らしい。残りの元奴隷達は、騎士団とともに行動していた別の国の軍隊が、船で本国に帰るのに便乗すると聞かされた。元奴隷の人たちの中には顔見知りも何人かいたが、別れの挨拶はできなかった。


 冷静になって考えると、俺は彼らに黙って一人逃げるつもりだったのだから、別れの挨拶なんて、そんなことをする権利も無いように感じた。


 移動中は竜の上で、サリアリサさんといろいろと話をすることができた。見た目や、言葉づかいから伝わるイメージとは少し違い、おしゃべりが嫌いではないらしい。


 「では、ジュンヤ様。私達はここから『新京』まで訳あって急ぎで進むことになります。といっても竜の急ぎ足で5日余りの旅となりますが。その間にご不便がありましたら、私に申し付けください」


 1か月間の奴隷生活の反動か、どうも丁重に扱われるとお尻がむずむずする。


 「えっと、じゃあさっそくで悪いんですけど、俺のことはジュンヤって呼び捨てにしてください。『様』ってつけられると、なんだか落ち着かなくて。あと、そんなに畏まって話さなくてもいいですし」


 サリアリサさんは少し考えたあと、


 「そうですね。ではジュンヤ、と。私のこともサリサと呼んでください。親しい友人からはそう呼ばれます」

 「それじゃ、 サリサさん」

 「『さん』はいりませんよ」

 「あっと…、サリサ」

 「はい、なんでしょう?」


 ―自分だって敬語のままじゃん。


 と思ったが、元からあまり砕けた言葉遣いはしなさそうだ。なので、そのことを指摘するのはやめておいた。


 「いくつか聞きたいことがあるんだけど、いいかな。もちろん、答えられないこととかあると思うけど。そんな難しいことは聞かないとおもうから」

 「ええ、いいですよ。姫様の秘密以外なら何でもお答えしましょう」


 サリサは悪戯っぽく言った。


 ―結構かわいいとこもあるんだな。


 あと、姫様と言うのは、恐らくマユラ様のことだろう。やっぱり、マユラ様はただの女騎士と言うわけではないようだ。このことについてもさりげなく聞いておこう。


 とにかく、まず最初にやるべきは状況の確認だ。何しろ今の俺には『新京』に向かっていること以外ほとんどわからないのだから。


 サリサは最初、俺に当たり前のことばかり質問されて、少しとまどっているようだった。しかし、しばらくすると、時折笑みが堪えられない感じで質問に答えていた。馬鹿にされているのかなと思ったが、今は恥じ入っているときじゃない。


 聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥、というやつだ。


 「じゃあ、確認だけど、サリサ達は『聖月帝国』の騎士団で、船で帰っていったのが、 『カニ・コタヌフ』って国の人たちなんだよね」


 「私は騎士団の所属ではありませんが、他はその通りです。私たち合同調査団は、3ヶ月ほど前に暗黒大陸北部に落下したと思われる月の欠片の探索を行っていました。まあ、その任務には失敗したわけですが」


 ちなみに暗黒大陸ってのはクンネ・ポロモシリの日本語での呼び方で、月の欠片と言うのは、話を聞く限りでは隕石みたいなものらしい。でもわざわざ2ヶ国共同で、敵地のど真ん中に乗り込むほどなんだから、よっぽど重要なものなんだろう。


 「議会や当主様の反対を押し切って、 更にカニ・コタヌフにまで協力を取り付けて、回収に向かったのに落ちた場所は深い湖の中。持ってきた装備ではどうしようもないので、帰還しようとしたときに、鬼たちの採石場を見つけて、そこで多くの人間が奴隷にされていたので、ちょっかいをかけたというわけです」


 「ついでだったとしても、本当に感謝してます。ありがとう」

 「…いえ、採掘場えの襲撃を最初に言い出したのはカニ・コタヌフの騎士達です。奴隷にされていたのは主に『鉄の民』ですからね」


 『鉄の民』って言うのは、要するにワッズや俺が捕まった時に一緒に連れてこられた人たちのことで、浅黒い肌をしているのが特徴らしい。カニ・コタヌフって国は主にこの『鉄の民』が中心となっている国家だということだった。


 「二人とも、ずいぶんと楽しそうだな」


 サリサと話していると、不意に横から声がした。前の方を、騎士団長と並んで走っていたはずのマユラ様がいつの間にかに下がってきていた。


 サリアはそれに驚くこともなく、マユラに嬉しそうに話しかける。


 「姫様。やはり『月詠』は正しいのかもしれません」

 「正しいよ。すべては上手くいく」


 マユラ様は微笑みながら言う。


 ―『月詠』って何のことだろう?


 「ジュンヤ、知りたいことがあれば何なりと聞け。ここは其方の故郷とは多くのことが違うだろう。だから、これから生きていくには、多くを知らねばならん」


 まるで、俺が異世界人だということを、知っているとでも言いたげだ。


 「マユラ様、それはどういう」

 「マユラでいい。其方が此方に遠慮する必要はない」


 それだけ言うと、マユラは隊列の先頭へ戻っていった。


 「サリサ、あの、どういう意味なの?」


 俺はさっきの発言の真意を聞こうとした。マユラの付き人のサリサなら何か知っているはずだ。


 「私の口からは言えません。…ただ、」

 「ただ?」

 「あなたにはここでの、役割がある」


 サリサはそれだけ言うと黙り込んでしまった。なんとなく、声をかけづらい雰囲気だったため、そこからしばらくは、無言のまま流れゆく風景を見つめていた。

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