第一話 弩と走馬燈

 遅すぎたんだ、もっと早くに決断すべきだった。そうしたら、こんなところで、ワッズもあんな死に方をすることはなかった。成功するかどうかじゃない、失敗して殺されるのか、ここに留まって鬼たちのために散々働いてから死ぬのか、そのどちらかなら、まだ前者の方が俺はいい。


 強い憤りを感じているが、自暴自棄になったわけではない。計画と呼べるほど立派なのもじゃないが、ずっとワッズと考えていた脱走計画がある。正確には、俺が来る前から、ワッズが考えていたことだが。


 まず、前提としてここは クンネ・ポロモシリとする。であるならば、東を目指せばいい。といのも『シンキョ』はクンネ・ポロモシリ東の海岸付近にあるらしいからだ。採掘場がクンネ・ポロモシリのどのあたりになるのかは、不明のままだったが、方角は、太陽の動きから把握できる。太陽は向かって左手の方から上り、右手の方角へ沈む。と言うことは、クンネ・ポロモシリは北半球にあるということだ。


 さすがに、森をまっすぐ東に向かうのは危険なので、一度海を目指す。幸い船から降りて、ここまで進んできたおおよその方角は覚えている。かなりの集団で歩いて、一日半だったのだ、一人なら一日で海に出られるだろう。


 次に食料だが、これは、ワッズと共同で、配給された食料の一部をとっておき、常に一定量の食料を備蓄するようにしていた。後は現地調達で何とかする。ワッズが食べれる野草や、簡単な罠の作り方を教えてくれた。


 ―なんとかなる。いや、なんとかする。


 準備はしてきたし、腹も決まった。あとはチャンスを待つだけだ。そう思いながらいつもの岩を砕く作業をしていると不意に作業終了の鐘が何度も鳴り響いた。


 ―もう、そんな時間がたったか。


 少し違和感を覚えつつも坑道から出ると、太陽はだいぶ西に傾き、空はこの世界に来た時と同じような赤紫色に変色し始めていた。


 ―やっぱり、おかしい。


 いつもなら、もっと日が沈むギリギリまで作業をさせていたはずなのに、今日はやけに早い。


 いや、きっと何かあったのだ。奴隷たちの一日の終わりを告げる鐘が、今は鬼たちに迫る危機を知らせている。その証拠に奴隷の監視を行っていた鬼たちが慌ただしく動き始めた。


 ―どうする?これは脱走のチャンスか?


 いや、冷静になれ。とにかく詳しい状況が分からないまま勢いで行動するのはダメだ。備蓄していた食料や、隠れて作っていた旅道具も寝床にある。どうするにしたって、一度野営地に戻り状況を確認してからだ。


 ちょうどあの黒い一本角の大鬼が、10体ほどの大鬼を引き連れて野営地に向かっていく。残された子鬼たちは不安そうにしながらも、採掘場にいる奴隷が逃げ出さないように見張りをするみたいだ。


 先ほど軽はずみな行動を慎もうと思ったばかりだが、実際この状況はチャンスといえるだろう。大人しく子鬼どもとここで待つのは堅実な選択かもしれないが、ここは俺も黒い一本角に続いて野営地に一足先に行って状況を確認しよう。


 少し前を走っている大鬼達に気づかれないよう、木の陰に隠れつつ野営地を目指した。


 子鬼たちは緊急事態が起きて注意力が散漫になっていたのか、一人抜け出して野営地に向かった者がいることに気づいた様子はない。


  野営地に着くとそこでは、すでに何体もの鬼たちが横たわっていた。決して、酔いつぶれているわけではない。いつも、木の枝を咥えていた緑の大鬼は頭部に矢が深々と刺ささり、目を見開いたまま絶命していたし、寝床の見張りをしていた珍しい三本角の大鬼は、頭だけになって地べたに転がって、しばらくするとみんな黒い霧になって、角を残し跡形もなく消え去った。


 鬼の死に方に驚きつつも、周囲を見回すと、鬼たちを襲撃したのが誰なのかは、すぐに分かった。


 鬼を襲撃している者たちは、黒い鎧を身に纏い、頭も黒い兜で覆っている。まるで、ゲームとかに出てくる騎士のような格好だ。だから、断言はできないが、おそらく人間だろう。鬼を襲っているんだから鬼ってことはないとは思う。


 とにかくに、その黒い鎧の騎士達は、まるで恐竜のような生物に跨り、野営地を縦横無尽に駆け回りながら、混乱してまともに反撃できないでいる鬼たちを次から次に屠っている。


 すると、その様子を見ていた黒い一本角達が野太い雄たけびを上げ、このまま一方的に蹂躙されるものかと、恐竜に乗った騎士たちに突撃していく。


 騎士たちは、それ突撃を正面から迎え撃つことなく、散回し距離を取る。しかし、黒の一本角も馬鹿じゃないのか、騎士達が正面から受けるつもりがないと知ると、すぐさま突撃しようとした大鬼たちをいったん踏みとどまらせ、密集陣形を組む。あのまま突っ込めば、騎士に追いつくことはなく、疲れて隊列がバラバラになったところを各個撃破されていただろう。


 黒い一本角が到着したことで、混乱していた鬼たちの統制が取れてきた。子鬼たちも、それぞれ武器を取り、陣形を組み始めた。


 だが、それでもこのままでは鬼たちはじり貧だ。数人の騎士たちが、馬上からと言うか竜上からとでも言うのか、弓矢を使い鬼の陣形を少しづつ削っていっている。鬼たちは走ったところで騎士には追いつけなし、止まったところで、いい的になるだけだ。


 このままいけば、鬼たちは日が沈むまで持たないだろう。鬼たちが負ければ、無理して脱走せずとも、あの騎士たちに保護してもらうこともできるかもしれない。


 そう思い、後は事が済むまで隠れていようと思ったところで、視界の隅で何かが動いた。


 ―子鬼だ。


 その子鬼は手にボウガン、というの商品名らしいが、とにかく一般名詞でいうところの弩、若しくはクロスボウと呼ばれる武器を持っていた。


 弩を持った子鬼は一匹じゃなく、俺が隠れている木から10メートルほど先の天幕の陰と、野営地の東の端の木の上にもいる。十中八九弓矢を持っている騎士を狙うつもりだろう。


 現在のところ騎士が有利に戦況を進めているが、いまだ数の上では鬼たちの方が二倍以上の数がいる。ここで、騎士達が被害を受けるようなことがあれば、無理せず退却を選択する可能性がある。


 ―助かるチャンスなんだ。みすみす可能性を減らすようなことはできない。


 一度、短く深呼吸をし採掘場から持ってきていたつるはしを強く握りしめた。


 静かに、天幕の陰に隠れている赤い子鬼に近づく。子鬼はすでに弩に矢をつがえて、騎士たちの動きを注意深く観察し、狙撃のチャンスをうかがっている。こちらに気づく様子はない。


 子鬼までの間合いを十分詰めると、つるはしをゆっくりと振り上げる。狙いは頭だ。


 不意に、強烈な生理的嫌悪感に襲われる。


 目をつぶり、歯を食いしばる。


 虫を殺虫剤で殺すのとは感覚が違いすぎる。まるで、これから野良猫や野良犬を直接手にかけるような感覚だ。中にはそんなことを楽しんでできる奴もいるだろうが、俺は自慢じゃないが、そんな歪んだ性癖は持ち合わせていない。


 でも、鬼たちを殺してしまいたいと思ったことは、一度や二度じゃない。


 多くの人が理不尽に鬼たちに殺された。それを、目の前で見てきた。ワッズだって鬼がこんなところに連れてこなければ、あんな最期を迎えることはなかった。だから、この嫌悪感は甘えだ。この期に及んで、自分以外の誰かにすべてを任せようとしている。


 それじゃ、ダメなんだ。誰かを頼るのはしょうがない。人間は一人じゃ生きていけないと思うから。だからこそ、誰に救って欲しいなら、自分も救われる努力をしなきゃいけない。差し伸べられた手に自分からも手を伸ばさなければ、きっといつか掴みそこなってしまう。


 ―だから、俺はやれる。やらなきゃいけない。


 今にも心臓が口から飛び出すんじゃないかと思うほど鼓動が激しい。すでにつるはしを持つ手にはじっとりと汗がにじんでいる。


 気づかれる前に、やらなくては。


 その、つるはしを振りあげてからの長い一秒を乗り越え、子鬼の頭部めがけてつるはしを一気に振り下ろした。


 振り下ろされたつるはしは狙い通り、子鬼の頭に深々と突き刺さった。子鬼は悲鳴を上げることもなく、力なくその場に崩れ落ちた。


 俺は、叫びたいような泣き出したいような、そんな感傷を必死に押さえつけ、殺した子鬼が持っていた弩を手に取り、迷わず木の上から騎士を狙っている子鬼に狙いを定める。


 弩なんて扱ったことはない。だけど、矢はつがえてあったので、あとは引き金を引けば撃てることぐらいは分かる。


 それに、こうして狙いを定めていると、さっきまでぐちゃぐちゃになりそうだった思考がクリアになってくる。今度は迷わずに引き金を引いた。


 木の上にいる子鬼がこちらを見た。だがもう遅い。


 放たれた矢は、子鬼が自分が狙われていたことに驚き、目を見開いたその時に、眉間に突き刺さった。


 子鬼がバランスを崩して木から落ちる。落ちたまま動く様子はない。


 そこからは、半ばやけくそだ。


 弩の鐙を踏み、両手で弓の弦を掴んで背筋を使って金具に引っ掛ける。やってみればそんなに難しいことはない。隣で死んで最早角と身に付けていたぼろ布だけになっていた子鬼から矢を奪い、次の標的に狙いを定めて、引き金を引く。


 とにかく、深く考えず、次から次に、手当たり次第に鬼を撃った。一度でもやめてしまえばダメになる。


 そんな気がした。


 10本以上撃っただろうか。子鬼持っていた矢が残り1本になってしまった。


 ―このままじゃだめだ。矢を、矢を探さないと。


 周囲に矢がないか探そうとしたとき、寒気がした。その理由を探るまでもなく、思考より先に体が動いていた。


 飛び込むようにして右に転がったが。それでも一呼吸おそかった。背中に棒で殴りつけられたような痛みが走ったあと、熱い液体が背中を流れる。


 ―いや、違うな。血だよな。


 急いで立ち上がり、振り返ると剣と持った大鬼がいた。持っている剣には、俺の血がついている。

ひどく痛むはずなのに。どこか他人事のように感じる。


 大鬼が止めを刺そうと、大きく踏み込んでくる。


 今度はよけることなく、弩を構え矢を放つ。


 矢は大鬼の額に刺さった。奴は終わりだ。


 だが、鬼が絶命する間際、最後に突き出された剣の勢いは、殺されることなく、俺に突き刺さった。


 突き刺さる前、とっさに体をひねったのか、矢が刺ささり狙いが狂ったのか。剣は急所を外れ、即死はしなかった。だが、長くは持たないだろう。左のわき腹から大量の血が流れている。


 不思議と痛くはない。ただちょっと寒い。


 周りではまだ戦いが続いているだろうに、自分だけひどく静かな場所にいるような気がする。


 走馬燈を見た。いろんなことを思い出した。と言うかいろんなことを考えた。案外死ぬ前ってのは余裕があるみたいだ。


 ワッズの笑顔を思い出す。ワッズには本当に感謝してる。お前がいたからこの世界でも希望が持てた。だけど、ごめん約束守れそうにない。


 母さん。父さんが死んでから俺を一人で育ててくれた。まだ、何もしてやれてなかったな。父さんも俺も、死んでしまって大丈夫だろうか。悲しませてしまうのはいやだな。


 七海、会いたい。大切な幼馴染のことが頭をよぎる。子供の時からずっと一緒にいて、大人になったてそばにいてほしいと思ってた。そういうこと、ちゃんと言葉にして伝えておけばよかった。お前は、いつもみたいに、あきれながらも、最後まで聞いて、笑ってくれるだろうか。


 そこまで考えて、もう考えることもできなくなって。すこし、つかれたから、ねむることにした。

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