8月23日 終わり

 痛い自分語りでしかなく、何も語らずに終わっておく方が何倍も良いことだと思ってはいるのだが、それでも綴らねばならない。僕はそういう面倒くさい人間で、歩けば波風を立たせずにはいられないのだ。そんな僕だから、最近まで人生に退屈したことはなかった。


 5月31日の早朝だったと思う。朝の2時か、3時か、4時か、あまり覚えていない。覚えていない、というのは今回のキーワードになるであろうと思う。


 当時の僕は睡眠導入剤と抗うつ剤を飲んでいて、健康やメンタルに問題をきたし結局大学も多く欠席する中どうにかまっとうな人間に近づこうと努力していた、らしい。らしいというのもこの雑記の4月の更新を見て、ああそういえば当時の自分はそんなだったなと遠くにぼんやりと思い出しただけで、あの時の自分と今の自分が同じ人間である実感も近くに得られないのだ。


 睡眠導入剤を効き目が強いものに変えて二日目だったと思う。不満があって強いものに変えたはずなのに、眠りについて数時間で目が覚めてしまった。その時どういうメンタリティーだったのか、思い出すのは少し難しいし、断片的に思い出せたそれを上手く伝えるのはもっと難しい。何を思っていたのだろう。


 その日の朝、時間もはっきりしないけれど、僕はドアノブにビニールの紐で輪をかけて、長座する姿勢で首を吊った。あまり飲んでも吐いてしまうかもしれないからと変な考慮までして、机の引き出しから睡眠導入剤と抗うつ剤を1シートずつとって、それを1粒ずつ掌に押し出し、それぞれ6錠づつをラム酒で流し込んだ。


 不思議と涙は出なかった。何も考えなかった。一言Aに「何を言ってるかわからないと思うけど、今までありがとう」とメッセージを打ったのだけ覚えている。


 ビニールの輪はそれほど短く結ばなかったが、僕の体制が崩れたらきちんと頭が浮くくらいには短くした。本気で死ぬ気なんてきっとなかった。もし本気で死にたければ、もっと確実な方法がいくらでもあったはずなのに、それを選ばなかった。初めてのオーバードーズで、意識はあっという間に消え去った。気持ちよい眠りについて、そのまま目覚めない。ただそれだけだ。死ぬなんて大袈裟なものじゃないんだ。何も心配はするな。絶望の淵で泣きながら死ぬ羽目にならずに済んだのは、一緒に濫用した抗うつ剤のお陰なのかもしれない。


 その日の午後18時過ぎ、僕は病院で目が覚めた。僕は死ななかった。


 母の話によると、朝家の二階から変な物音がすると言って親が部屋に来て僕を見つけたらしい。首が絞まると人の身体は痙攣を起こすらしいので、多分そういうことだったんだろうと思う。他に親が起きて気づくほどの物音が思いつかない。


 様子を見ようとドアノブに手をかけて、変な重みに遅れて自分がひっぱった扉が息子の首を絞めていたことに気付いた時の親の気持ちたるや、想像するだに恐ろしい。そして申し訳ないと思う。


 それから僕の人生は全てがどうでもよくなってしまった。この8月まで。

 

 平成最後の夏を、僕は何もせずに過ごしていた。


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