2月3日 悪人
久々に友達に呑みに誘われて、友達と話し込んでいた。最初の方こそ料理がおいしいとか下らない話で笑ったりしていたけれど、最後の方は僕がどうして社会生活を送れていないのか、という話になった。
僕はAPD、Avoidant Personality Disorder、回避性人格障害、且つ社会不安障害。彼はADHD、attention deficit hyperactivity disorder、注意欠陥多動性障害。僕が「こういう場面でこういう風に感じる」とか「こうしたくて、これが嫌で、これがこういう理由でできない」とか話すと、向こうが「自分はこう考えている」とか「そういう風に感じたり考えたことはまったくない」とかと返す。僕らは14年来の友人で、少なくともお互いに最も信頼できる友人の1人だと思っている(はず)なので、お互い当然のように配慮できるし、お互いの意見や考え方を否定することはなかった。
けれども話の最後、僕は彼が僕の話にかなり辟易としているように感じた。それが本当であれ僕の思い込みであれ、そう感じてしまうのが僕のAPDという"病気"(あえてそう表記する)なので、僕自身それが本当かどうかは気にしないようにしている。「APDのせいで不安になるだけだ」「薬を飲んでいればこうは感じなかっただろう」そういう自己コントロールがある程度効くということだ。
それでも、楽しかったはずの空気は僕の中では一変してしまった。相手を不快にしてしまったという失敗と、そこから取り返す術を持たない焦り、そして自分への失望、上手に言葉を選んで変わらない笑顔をつくることも普段そういうことをしない自分には難しかった。僕は徒歩でも帰れる距離を、逃げるようにタクシーに乗って帰った。
何となく悲しい気分から抜け出すために、どうして僕は少しだけ辛い気分になってしまったのだろう。とはいえもともと、「僕のここがダメなんです」なんてプレゼンを1時間も続けられたらそれは誰だって辟易とするはずだ。僕だってする。相手にとってはまったく共感もできず、多分理解もできず、励ましたり肯定しようにも難しい上に切りがないのだから。打開策やアドバイスを授けることもできない。ひたすらネガティブな話を聞き続けていなければならない状況にストレスを感じない人間はまず居ない。
僕としては、一番気の置けない友人に自分の感じ方や考え方を説明して、どう思うかや相手の感じ方や考え方、生き方を聞いて、気付きを得たり考えを深めたりできれば良いと思った。けれども多分、僕らはお互いに少しも近づけないまま結局は僕が少しの悲しみを感じて終わった。自分は自分にしかなれないし、人の感じ方や考え方を知ることは絶対にできないという意味で、人は人と分かり合うことは究極的にはできないというのはずっと言われていることで、誰もが認識してその土台の上で振る舞うことを認めなければならない社会の原則だと僕は思っているし、人は孤独だとか、結局は一人だとか、っていう使い古された言葉の根源はそういう意味なんだろうと思っていたけれど、その寂しさを少しだけ直接感じたかもしれない。その言葉の指す意味をもっても、無理にわかり合おうとしたり肯定できないことを肯定したりはしなくても良いと思っていた。それなのにどうして僕はこんなに悲しんでいるのだろうと思った時、自分は肯定や共感が得たかったのかと思うにつけても、「そんなことない」と肯定を否定して、「何がわかるんだ」と共感もはねつける癖に、それでもそんな表面だけの励ましが欲しかったのかと、自分の浅ましさを見たような気がして目を背けた。
僕は自分の一番素直な部分、自分の人間性の核をできるだけ上手に伝えたつもりだった。それは僕の傲慢さや自己矛盾や自己愛の塊だったけれど、僕が最も重きを置いていると言ってもいい"感じ方"についての話で、僕が全ての着飾りや建前や整えた表面を放り棄てた、素肌の裸の自分の心についての話だった。けれども結局は彼を辟易とさせるだけに終わってしまった。
僕がすぐに感じたことは、いつ誰に話しても、僕のAPDに関わる僕の物事の感じ方や考え方の話は、聞き手を不幸にするだけだということだ。以前から僕は不満な現状を打開しようと、親しい相手や専門の人や僕がAPDを理由に迷惑をかけているゼミの先生に代表される人たちに話をしたけれど、良いことはひとつもなかった。一回も。そしてそれは、僕を僕たらしめる最も根源的な部分が、人には受け入れられないことを表しているのだと思う。僕の根源は、核心は、僕自身の社会活動を不能にして話せば人を不快にする「悪」なのだ。
現実に居るのかはわからないがフィクションの作品上に殺人衝動を持った人物が居て、人を殺さなければ生きていけないというキャラクターを知っている。彼は平穏に生きたいと願っているので、人は殺すがバレないようにやるし、自分が殺人衝動を持っていることを他言しない。彼は自分が人を殺さなければいけないことを自覚していて、それをどちらかと言うと悪だと自認しているが、それを自ら認めて粛々と自分が生きるために人を殺すのだ。これは絶対悪が人の心を形成している例え話で、僕のAPDに診断づけられる感受性、精神性もこのような絶対悪の一種または亜種なのでは、という提起のための引用だ。
それから非常にデリケートな話なので上手に誤解のないよう記述できる自信がなくできれば書きたくないけれど、LGBT、同性愛など(厳密に言うと広義だし深いし僕もよくは知らないので割愛したい)が、社会で理解が得られないので周囲にカミングアウトできないまま暮らしている人が今も世界には確かに存在しているらしい。らしいというのは僕が直接確認したわけではない、という意味であって他意はない。言えないこと自体が苦痛だろうし、友達と仲が良くなっても「自分が同性愛者だと告白すれば関係が無くなってしまうかもしれない」という恐怖や、相手が好きになっている自分は本当の自分ではないという虚無感は、いかほどなのだろう。
そしてこれは僕が自分の一番「わかってほしい」素の部分が人に話せるようなものではなかったとしても、世界には自分の核を成す部分であってもそれを社会的な圧力や経験的な恐怖で外に話すことができない人がたくさん居るのだろうという結び付けのための例えだ。
僕の、結局何て言えばいいのかわからないけれど、一番わかってほしい部分、素の自分、核、気取って言えば魂、考え方は変えられてもそう簡単には変えられない「感じ方」の方、感性、人生を幸せが決めるなら、幸せを決めるのはその人の感性であろうので、僕そのものと言っても良いのかもしれない。一応社会不安障害というカテゴライズを与えられたもの。自称APD。
"自分をさらけ出すこと"はしばしば美化されるし、僕もそう信じてきた。けれども僕は繰り返し言うけれど僕がこの話をしてお互いに得したことはひとつも無いし一回もない。人に言ってはいけないことは人間内部には確かにあって、例えば小児性愛は病気に認定されているし、特殊な性的嗜好も例に挙げられるのかもしれない。僕のそういう一番内側の部分は、そういうものと一緒なのかもしれない。人に話さない方が良いもの。社会生活ができないという価値のない欠損品。つまりは悪。
家に帰って少し考えてすぐに行きついたひとつの結論が、僕がAPDについて説明したり自分の感性を人に伝えようとすることは、もう辞めようということだった。それからこの悪とかいう気取ったワードを思いついてから振り返って思ったのは、自分の根底を「悪」と烙印してどんな近しい人間にも見せず一生隠し続けていくのは、究極の自己否定なのではないだろうか? ということだ。それは一生道化を演じることで、自分が好かれてもそれは本当の自分ではないという孤独や罪悪感を自分でわかっていて生み出して許容しなければならない、目に見えた地獄だ。目に見えているのに回避しない行為だ。それで良いのだろうか。
良いのかもしれない。実際問題、小児性愛のような他人にカミングアウトできない自分のアイデンティティーを抱えながら苦しんで生きていかなければいけない人間は世界には一定数居て、生まれ持った運命なのだ。僕は小児性愛者ではないけれど、自分の好き好んで選んで生まれたわけでもない性的嗜好が社会では犯罪じみていると言われ、学問上病気に分類され、実際に行動すれば法に触れる――他の性的嗜好は許されるのに、どうして自分だけ許されないのだろうと理不尽に感じるだろうし、そうした性的嗜好に生まれてしまったこと、あるいは自分の性的嗜好が許容されない社会に生まれてしまったことを不運だと思うだろうと、僕だったら思う。そういうものかもしれない。僕という人間も。
だから開き直って生きることにしようかと思い始めた。僕は悪! 悪人! 本当の僕という人間は誰にもお見せできるものではありません。じゅうじゅうに熱した鉄の金具で「悪」と消えぬ焼き印をつけて、牢屋にぶち込んでおきました。看守がしっかりしているうちは脱獄して表に出ることはありません。その方が楽に生きられるのかもしれない。砂漠でオアシスを探すみたいに、悪の自分を認めてくれる居もしない神のような誰かの許しを求めて永遠に彷徨うよりは。
自分の根源は悪。それでいい。そういう運命に生まれたのだ。しばらくは、そう思って生きていきたい。他人からも自分自身からも、自分より自分の残した言葉や行動を見てもらえるように振る舞う。結局人間に伝わるのは、究極的には絶対伝わらない内面なんかではなく、実際に言ったこととしたことだけなのだから。
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