11月4日 逃避行

 ぼちぼちゼミの集まりに顔を出さないか、という先生のメールが届いた。夏休み明けに先生と会う約束を取り交わすメールを最中ですっぽかして以来先生とやりとりをするのは久しぶりのことだった。

 僕はゼミの集まりは好きだった。今年度の前期、僕は抗うつ剤を飲んでもいなかったし睡眠リズムも全く整わず、ほとんど学校には行っていなかった。四回、五回と欠席がかさみ単位の取得が絶望的になるにつれてまったく出席しない講義ばかりになった。それでもリハビリと称して、木曜四・五限のゼミの集まりにだけは顔を出していた。

 もっとも僕が出席していた最大の理由は同じゼミに居た友人(本当は友人ではないと思うが、ここでは割愛する)に会いたかったからではないかと言われればそれも否定できないので、ここでつらつらと他の理由を挙げたところで体面を良く装うためのお飾りの言葉に過ぎないと言われてしまえばその通りなのだけれど、そこはどうしようもないので開き直って申し上げるに僕はゼミの集まりは好きだったのだ。最初の方こそ色々と気の休まらないことは多かったものの、夏休みが始まる頃には僕の居場所のひとつと呼べるようになりつつあったと思う。


 けれども僕は今期はゼミの集まりに一度も顔を出していない。夏休みに自殺未遂者となり家族にもある程度の認知が行き渡ったことがきっかけで毎日飲むようになった抗うつ剤の甲斐もあり、希死念慮もなく生活リズムもかなり安定してきた僕が大学に登校するのは以前ほど難しくなくなり、よくサボりはするもののぽつぽつと登校できるようになっている。では何故ゼミの集まりに出ないのか、それはひとえに僕がゼミのその友人に会いたくないからだ。

 夏休み直前に僕が“敗北者”になった一件の相手、友人A。その後僕はかなりみっともない自殺未遂(という扱いになっている)を経てから、一度だけ友人Aと会った。その時、友人Aと顔を合わせるのも話すのもこれで最後にしようと心に決めていた。精神疾患を抱える人間が二人集まったところで相手に気持ちが引きずられ悪い方面に向かっていきそうだというのが表向きの理由で、建前で、本音は単に気まずいだけだ。僕が敗北者になった八月三日の夜、僕が言葉を述べている最中の彼女の顔は、七年目にもなる長い付き合いの中で初めて見たものだった。逃げるように駅の改札を出ていった彼女の背中を見送ってしばらくして、僕は失敗したという感覚がじわじわと腹に広がっていった。僕は彼女を少なからず傷つけたのだと思う。僕は本当に後悔して、時間が巻き戻せるならどんな代償を払ってでも巻き戻したいと思った。


 その後僕は高校の部活の同窓会で友人Aと顔を合わせた。けれども顔を合わせただけで特に話はしなかった。その日の主役は東京に進学して韓国に留学に出ていて九ヶ月振りに日本に帰って来ていた別の人だったので、その人に話を振り続け僕らはそれをずっと聞いていた。僕は別れというものが好きで小説でも映画でも漫画でも別れのシーンというのが好きなので、僕もそれに倣って彼女にお別れを告げようと思っていた。けれども来年も集まるのかどうかという期待と不安と諦めと絶望と自分や社会との闘いにいつも負けてしまいそうになりたまに負けてしまう僕らのささやかで奇妙で繊細すぎる同窓会の空気で、それを口に出すのは憚られた。僕らは特別仲が良い訳でもない。こうして毎年集まっているのは本当に奇妙としか言いようがなく、全員がそのことをきっと喜ばしく思っているが、同時にいつか限界が来るだろうとも思っていて、それがいつになるのか、誰もそれを口にはしないがわかっている。わかっていながらお酒を飲むのだ。

 僕が別れが好きなのは、大抵の関係というものは別れようと言って別れられるものではないからだ。きっとまたいつか会うと思って人は別れるが、それが永遠の別れとなるとは思わない。少なくとももう二度と会うことは無いだろうと思って別れることは現実ではほとんどない。大抵の人は自分が死にたくない時に死ぬという言葉を聞いたことがあるけれど、そういうことなのだろうと思う。だからきちんとお別れができるということを、僕は幸せなことだと思う。不意に訪れる別れを自分で作り上げることができるのは納得のいくことだ。ともすれば別れというものは花が枯れるから美しいように不意に訪れ恣意的に操作できないからこそ愛おしいのかもしれないという点に目を瞑れば。


 ともかく話を戻すと僕はその日、確か八月の二十二日、僕が敗北者になってから大体三週間、自殺未遂者になってから一週間半ほど経ったその夜、僕は彼女と別れると決めていたし、今も決めている。その後僕はスマホからLINEを消して、友達という関係性を自分から切り離した。スマホの動作も僕の心も軽くなって、後悔は未だにひとつも無い。夏にふたつの同窓会を経験して自分の人間性と将来性と人生に絶望し直し友人関係というものの縁遠さを思い知った僕には中途半端な孤独を齎すツールでしかなかった。飛べない羽根なら要らない。そうして僕は彼女に何が起こってもわからないようになった。例え死んだとしても。当時の僕はとても怖がっていたのだ、彼女が死んでしまうことを。だから僕は彼女の全てを忘れることにした。お互いにこれからどちらかが死んだとしても、なんの関係もなくなるように。


 そういうわけで僕はゼミには出れないでいる。先生への返事も考え中のまま保留だ。しかして先日僕に正体不明の電話がかかってきて、珍しいことでもないのだがケータイの電話番号から、それも間隔を置いて二度も同じ番号からかかってきたとなると流石に気にかかって調べたときに、わかってしまった。今の僕のスマホにはアドレス帳にはおじいちゃん一人しか居ないしLINEもない。だから高校時代に使っていたガラケーを引っ張り出して着信履歴をさらさらと見ていたら、その番号があった。嫌な予感通り、Aからの電話だった。

 どういう事情で僕に電話したのかはわからない。僕は最後にAに顔を合わせた時、大学はどうする予定なのかと聞かれ休学するか少なくともゼミは休ませてもらうと言っておいたはずだった。多分一番説得力がある説は、ゼミの先生に僕に連絡をとるよう頼まれてLINEをしたが返事がないので不承不承電話をかけたという説。これは一番考えやすいが楽観的とも言える。一番考えたくないのは、彼女が自分で死を決めたその間際に何かの気の迷いやまだ決心のつき切らない心で僕に助けを求めるように電話したというケースだ。こちらは常に考えておかなければいけないとは思うが、少し非現実的で自己中心的だ。何しろ僕と彼女はさして仲が良いわけではないので、最期に電話をするとしても僕を選ぶはずがない(もっとも僕は彼女を選ぶと思うけれども)。


 最後に言っておかなければならないのは、僕が彼女からの電話を素直に嬉しいと思ってしまうことだ。はっきり言ってこれは罪な感覚だと思う。許されないことだ。自分の都合で方々にたくさんの迷惑をかけて僕は彼女を一方的に切り捨てたのに、その彼女に二度も電話をかけてもらえることが、嬉しいとしか思えない。実に楽観的なことだ。そして不義理で不誠実なことだ。かつての僕が最も忌み嫌った身の振り方だ。誰かに罰されなければならないと思うし、許しを得たいとも思う。また声が聴きたいなあと思ってしまったことを。


 とりとめもない文章になったけれども最後まで読んでくれた人はありがとう。



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