春の夜の 夢ばかりなる 手枕に かひなく立たむ 名こそ惜しけれ4

【解説】

※プロではないため、学校の知識、書籍、ネットでの情報をあわせたなんちゃって解説です。大雑把に裏設定として受け止めてください。

以下の知識を踏まえてオマージュした作品、というだけで、読まなくても本文に支障はありません。


(歌)


春の夜の 夢ばかりなる 手枕に かひなく立たむ 名こそ惜しけれ(周防内侍)


(大体の現代語訳)


春の夜の、短い夢のような儚い、たわむれの腕枕のために、つまらない浮名が立ったりしたら、本当に口惜しいことです。


(周防内侍の経歴)

・周防内侍は、父の平棟仲が周防守(現在の山口県東南部)であったことからそう名づけられました。本名は平仲子。後冷泉天皇~堀川天皇まで4代にわたり女官として仕えました。『後拾遺和歌集』以降の勅撰集に36首入首するほど歌が上手。

・藤原忠家は藤原道長の孫で、藤原俊成の祖父、定家の曽祖父にあたります。


(言葉の意味)

・春の夜→「秋の夜(秋の夜長、つまり秋の夜は長い)」の対義語で、春の夜は短いとされています。そんな短い夜に見る夢は、すぐ忘れるような儚い夢という意味です。

・手枕(たまくら)→腕枕=男女が一夜を共に過ごす意。

・かひなく立たむ→手枕にする「腕(かひな)」と「かひなく(つまらない)」の掛詞。


(状況説明)

・もともとは千載集に載っている歌(巻16・雑上・964)。

詞書によると、陰暦2月頃(昔でいえば春)の月の明るい夜、二条院で人々が夜通し楽しく世間話をしていました。

その中で、周防内侍は眠かったのかふと「枕がほしいものです」と呟きます。すると大納言、藤原忠家が御簾の下から腕を差し出して「これを枕にどうぞ」と言って自分を腕を御簾の下から差し入れてきました。(御簾の下から手を出すってすごい体勢になっていそうですが)

手枕、つまり「私と一緒に一夜を明かしませんか」とからかったのです。

その冗談に、周防内侍も冗談めかして「春の夜の…」と歌で返した、というわけです。

これに対する忠家の返しは、


契りありて 春の夜ふかき手枕を いかがかひなき 夢になすべき


前世からの深いご縁があるのに、この春の夜更けの手枕を、なぜ儚い夢で終わらせられるでしょうか。


というものでした。少し本気っぽい?ですが、本当のところはどうだったのでしょう?

ちなみに、周防内侍の歌は掛詞のほか、春の夜、夢、手枕という艶っぽいワードを瞬時に散りばめて返歌し、高い評価を貰ったそうですが、対して忠家の「契りありて」の歌の評価は低かったと言われています。からかうつもりが、周防内侍のほうが上手だった、ということですね。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

百人一首 第六十七首 雑の歌 相田 渚 @orange0202

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ