第16話 ネオの事故2
──ホワイトワールド PTA本部
長峰がネオに乗り込み椅子に座ると、正面にはパソコンのディスプレイのような画面とキーボードがあった。キーボードには赤、青、黄、白、金、銀のタイル状のパネルが光っていた。長峰は、操作手順通りに黄色のパネルを押した。
ヒュン。
風が吹き、目の前の景色が横にスライドする。そして、バー・アンカーの景色が横から現れてカチッとはまった。いつもユキノに連れられて翔んでいた感覚とは違い、自分が翔んでいるという感覚。興奮、感動。しばらく息をするのも忘れていた。ネオのドアを開けると、シゲさんがカウンターの中でグラスを拭いていた。
「シゲサン、ワタシ、イマ、トンデキマシタ……」
長峰は、興奮で自分が今何を言っているのか分からなかった。シゲさんは小さくぷっと吹き出した。
「そのようですな」
長峰はすぐにドアを閉めて独り言を言った。
「ワタシ、モドリマス……」
そして、また操作手順通りに、今度は白色のパネルを押した。
ヒュン。
風が吹き、目の前の景色がまた横にスライドした。今度は実験室の景色が横から現れてカチッとはまった。瞬きをするのも息をするのも忘れていた。固まっていると、外から高階がドアを開けてくれた。
「長峰さん、どうしました? 大丈夫ですか?」
「ぷはっ。ああ、はい、大丈夫です」
やっと息を吐き出し、目をパチパチし、両手で頬を軽く叩き、ゆっくり立ち上がってネオを出た。社長のショウが、ほら興奮するでしょう、という顔をして親指を立てていた。長峰も親指を立てたが、膝がガクガクして指も震えていた。
スタッフが寄ってきてヒアリングを始めた。長峰は虚ろに生返事を繰り返した。頭の中の回路の配線が激しく付け変わっているような感覚が襲ってきて、スタッフの声に集中できなかった。
そのとき、スタッフが大慌てで実験室に飛び込んできた。
「高階さん、大変です。山本が、山本が消えました!」
実験室がざわめいた。
「ちょっと待って。消えた、ってどういうこと?」
高階がスタッフに詰め寄った。
「消えたんです。ヒュンって消えたんです。今そこにいたのに、消えちゃったんです」
スタッフは取り乱して、身振り手振りで消えたということを表そうとしている。そして頭を抱えたりしゃがみこんだりしてパニックになっていた。
「どういうこと? それってトリップ? 山本ってどの人」
スタッフがハッとしてタブレットを取り出しタップした。山本のデータが出てきた。最初の実験で景色のスライドを見た、たった一人の体験者がその山本だった。
「景色のスライド。トリッパー……。もしかすると……」
「どういうことだ」
社長のショウが険しい顔でスタッフと高階の顔を交互に見て答えを待っていた。高階が小さく息を吐き出し説明を始めた。
「あくまで仮説ですが。こういうことかと。彼はトリッパーになったんだと……思います。ネオの実験で、彼の中に眠っていたトリッパーの能力が発現したんです。きっとそうです。彼だけ、実験中にトリッパーと同じ景色を見てるんです。きっとそうなんです」
高階は興奮していた。もしかすると、トリッパーの能力はもっとたくさんの人の中に眠っているのかも知れない。そしてそれをネオが呼び覚ます。もしかすると、夢だった人工的にトリッパーを作るクラフトの技術も確立できるかもしれない。興奮は治らなかった。そして不安がよぎった。
「ねえ。その山本さんには、センサー……着けてたのかな」
「……いいえ」
「じゃあ、今どこにいるか……分からないの?」
「……はい」
スタッフはうなだれて下を向いてしまった。
高階は振り向き大声で叫んだ。
「今ネオに乗った人! 胸のセンサーは絶対外さないで! 何があっても外さないで! それからヒアリングの結果をください! 山本さんと同じ状況の人がいないか大至急確認してください!」
高階は自分が焦っているのか興奮しているのか分からなくなっていた。もしかすると、今すごいことが起きているのかもしれない。眠っているトリッパーの能力を呼び覚ます方法が見つかったかもしれない。理論としてしか語られてこなかったクラフトトリッパー──人工的に作り出されたパラレルトリッパー──を作り出す方法を見つけたのかもしれない。科学者として、その場に立ち会っているかもしれない興奮。同時に、これは事故であり、被害を最小限に抑えなくてはならないという焦り。一般人を巻き込んでしまったのかもしれないのだ。そして、すでにその被害者の一人はもう見つけることができない。これ以上被害を広げるわけにはいかなかった。
「長峰さん、長峰さん、大丈夫ですか?」
ヒアリングをしていたスタッフが椅子に座ってぼうっとしている長峰を揺すっていた。
「どうしたの?」
高階が駆け寄った。
「それが……さっきからぼうっとしてて、返事も生返事だし、ちょっと変なんです」
「分かったわ。長峰さん、高階です。分かりますか?」
高階はスタッフに代わって長峰の座っている椅子の前にしゃがみ、目線を長峰の高さに合わせた。高階が話しかけると、長峰がゆっくりと顔を上げ高階と向かい合った。目が遠くを見ている。焦点が合ってない。
「長峰さん、こっちを見て。しっかりして」
高階が長峰の肩に触ろうとした瞬間、ヒュンと空気の音がして長峰は消えてしまった。
高階の手が空を切る。高階は目を見開いて、長峰がいたはずの空間に焦点を泳がせた。高階の全身に鳥肌が立っていた。
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