第11話 身に覚えの無い誘拐

 ──どこかの世界


「う……ううん……」

 リホはソファの上で目が覚めた。天井にはクラシックな真鍮製の扇風機が回っている。ソファに寝たまま周りを見ると、カウンターバーに男と女が座っていた。部屋の奥には赤いラシャのビリヤード台が一つ。その奥にはダーツ台が2つ並んでいた。

 何かの施設の娯楽室か何かやろか。


「あら、お目覚め?」

 カウンターバーに座っていた黒のパンツスーツの女がリホの方を振り向いていた。女はロングのゆる巻きの髪に、スーツの上からでも分かるセクシーな体系で、その表情や仕草からも色気が漂っていた。

「ふ、ふーじこちゃん?」

 リホは思わず、どこかのアニメの主人公のようにつぶやいた。

「あら、私の名前知ってるのね。私はフジコ。よろしくね」

「……ほんまにフジコなんかいっ」

 リホは独り言のように小さく突っ込みを入れた。

 

 それはそうと、ここはどこなんやろ。確か……薬を嗅がされて……。


 ピュピュン。

 奥のダーツ台から音が聞こえてきた。いつの間にか黒服の男が二人、ダーツを始めていた。


 黒服……? 黒服っ!?

「あー! あいつや、あいつがうちに薬嗅がしたんやっ! お前ら何もんやっ!」

 リホは立ち上がり、黒服を指差した。黒服はちらっとリホを見たが、気にする様子も無くダーツを再開した。


「なんやの、無視って!」

 リホがふくれると、フジコがカウンターバーの椅子から降り、リホの側にやってきた。

「私が説明するわ」

 フジコはリホのあごのラインを人差し指で撫でながら笑みを浮かべた。リホは「やめ!」と言って、フジコから一歩離れた。

「んふ。可愛いわね。私たちは、あなたを誘拐したの。誘拐よ? あなたのお父様に十億支払ってもらうわ」


 リホは面食らった。”誘拐”、”十億”、どちらもリホの人生には一生縁の無い言葉だ。ははぁ、これは人違いやな。リホはそう思った。

「あんたら、なんか間違うとるよ。うち、誘拐される理由なんかないもん。だいたい、十億なんて払えへんし」

 フジコは不適な笑みを浮かべて、今度はリホの腰に手を回し、耳元で囁いた。

「そうね。結城家には誘拐される言われは無いわね。でも、あなた、結城の娘じゃないでしょ? それくらいは分かっていてよ」

 どうしてそれを? でも、だから何?


 リホの本名は『木下リホ』。大阪の生まれだが、リホが中学のとき、父親の木下ヒデツグが事業に失敗し一文無しになり、父親の親友である結城ダイスケが養女として東京に引き取ったのだ。それ以来、リホは『結城リホ』を名乗っていた。


「たしかに……うちは結城のおじさんの本当の子供やない。でも、うちの本当のお父ちゃんかて、十億なんて払われへんよ。やっぱり、なんか勘違いしてるて」

 フジコはリホの言葉をなんとも思っていない様子だ。とぼけるのも想定内、目がそう言っていた。

「隠しても無駄よ。調べはついてるの。あなたのお父様は、このオオサカ世界の長、豊臣ヒデツグ。そうでしょ?」

「はあ?」

 リホには何が何だか分からなかった。

「あなたのお父様、豊臣ヒデツグは、あなたが中学生のとき、親友の結城ダイスケにあなたを預けた。あなたを政治の世界から隔離するためにね。あなたを政治のドロドロに巻き込みたくなかったのね。いいお父様だわ。ふふ。だからきっと、絶対に、十億払ってくださるわ」


 リホは呆れた。なんやの? この狂人集団は!

「うちのお父ちゃんは『木下ヒデツグ』や。苗字が違うわ。人違いや。結城のおじさんのことは合ってるけど、そこだけ合ってて後は別の人のことと混ざってるんちゃう? 何が ”調べはついてる” よ。早く帰して」

 リホは腕を組んで仁王立ちした。


「くっくっ。『豊臣』じゃなくて『木下』ですか。それは面白いですね。では、あなたの先祖は『木下トウキチロウ』ですか? くっくっ、結局どっちでも一緒ですねぇ」

 振り向くと、カウンターバーに座っていた男が、立ち上がっていやらしい笑み、いや、不気味な笑みを浮かべていた。こいつも黒のスーツだ。


「あんた、誰?」

「私は……」

「プロフェッサー・オーよ。組織の名はシンジケート・オー」

 男が答えようとするのをフジコが遮った。

「……ユリ、その名前はあまり好きではないのですけどね」

「フジコよ! その名前では呼ばないで」

「……まあいい。好きにしたまえ」


 なんか噛み合ってへんなぁ。これで誘拐組織ってのは、ちょっと間抜けなんちゃう?

 リホは部屋を見回した。何と言うか普通だ。いや、誘拐した娘を監禁しているにしては警備が緩すぎる。リホは縛られもせず自由。黒服二人はダーツ。プロフェッサー・オーとフジコも隙だらけだ。

 これ、ドアさえ開いてれば逃げられる?


「あなた、いま逃げられるかもって思った?」

 リホは驚いてフジコの顔を凝視した。

「わたし、そういうの得意なのよ。っていうか、あなた、顔に出ちゃうのね。ま・る・わ・か・り!」

 リホはフジコの言葉を無視して、ドアに向かってダッシュした。ノブを握る。

 カチャ。

「あ、開いた……」

 え? あまりに予想外で後ろを振り向いた。誰も追いかけてこないどころか、黒服もプロフェッサー・オーもフジコもそのままの場所でくつろいでいる。

「逃げてもいいわよ。で・も・。この世界にはあなたの知っている人は誰もいない。誰もあなたを助けられないの。ふふ」

 フジコは不適な笑みを浮かべた。


 ”この世界にはあなたの知っている人は誰もいない” それって……

 ”ようこそパラレルワールドへ” ジョーの言葉がフラッシュバックした。


「パラレル……ワールド……」

 リホは自分を守るように、お腹を両手で押さえた。


「あら、物分りがいいわね。そうよ、ここはパラレルワールド。あなたの住んでいる世界にとっても良く似ているけど、全然違う世界なの。っていうか、そこで ”パラレルワールド” なんて返す人はまずいないわ。誰に知恵つけられたの? 言いなさい」

 フジコは強い口調でリホに顔を寄せた。

 リホは条件反射のように、無意識に ”パラレル……トラベル……エージェンシー” とつぶやいた。


PTAパラレルトラベルエージェンシー。仙道さんが始めたやつですね。となると、この娘の言っていることも、あながち嘘じゃないのかもしれませんねぇ」

 プロフェッサー・オーは、くっくっと笑いながら、斜め上を見て何か考えていた。

「ユリ」

「フ・ジ・コ!」

「……フジコ、ばれる前にさっさと十億いただきましょうか。行ってくれますね」

「そうね。取引きを始めるわ」


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