第10話 パープルワールド もう一人のリホ
── パープルワールド、オオサカ
「ワシがそう決めたんや。決定や。ええな?」
ヒデツグの自宅はオオサカ城の敷地内にある。ここに住むのを許されているのは、この国の政治の長、この国の摂政・関白を四百年の長きに渡って務めてきた、豊臣家の家督とその家族だけである。豊臣家は、豊臣ヒデヨシが天下統一を成し遂げてから四百年、ずっとこの国を治めてきた。ヒデツグは現在の豊臣家の家督であり、この国の政治の長である。
「まったく、どいつもこいつも事の重大さが分かっておらん。これはこの国の将来を決める大事なことなんや。それを自分のわがままで曲げられると思うとる」
ヒデツグはデスクの黒い革張りの椅子に座り、不機嫌な顔をして腕を組んだ。
「ヒデツグ様、跡継ぎの話しですね?」
大室はデスクに熱い日本茶が入った大きな湯呑みを置いた。
「おお、すまんな」
ヒデツグは熱いお茶を一口すすり、ため息をついた。
「そうや。もうヒデヤには期待しとらん」
「ご子息に継がせないので?」
「あいつはダメや。宇宙の研究だかなんだか知らんが、研究を続けたいから跡を継がんと言いよる。いろいろと人にも会わせようとセッティングしたけど、あいつは全部すっぽかしよった。もうこれ以上は周りに迷惑かけられへん」
「お嬢様を呼び戻すということでしょうか」
ヒデツグは大室の言葉に、うむ、と頷いた。
「あいつのことはまだ誰もよく知らんし、ゼロからのスタートが切れる。ヒデヤみたいにバツがついてへんだけ、マシなんや」
「ずっと結城家に隠されて来ましたからね」
「本当は、政治とは無縁なところで生活して欲しかったんや。女やさかいな。でも、もう決めたんや。リホはここに連れ戻す。これは決定や」
ヒデツグには二人の子供がいた。
長男はヒデヤ、三十歳。大学の研究室に勤める物理学者だ。ヒデツグはヒデヤに跡を継がせたかったが、ヒデヤにはその気はずいぶん前から無かった。ヒデツグの跡を継ぐということは、すなわち国の政治の長になるということに等しい。幼い頃はヒデツグを継いで、国の長になる、と思っていたが、中学、高校と勉強を深めるにつれ、それがどんなに責任の重いことかを痛感し、物理学の道に逃げたのだ。それでも、ヒデツグは辛抱強くヒデヤを政治の道に乗せるべく、さまざまな仕掛けを施してきたが、ヒデヤは乗らなかったのだ。
もう一人はリホ、二十四歳。ヒデツグはリホに国に関わる仕事をさせたくなかった。ドロドロの政治の世界に巻き込みたくなかったのである。それで、リホが高校に上がるタイミングで、ヒデツグの大学時代の親友である
「大室、リホにはもう伝えた。結城にも連絡済みや。すぐに連れ帰ってくれ」
「承知いたしました」
── パープルワールド、シンジュク
ジョーが指をパチンと鳴らしたと同時に、白い割烹着に白い和帽子を被った店長が串焼きの盛り合わせの皿をカウンター越しに差し出した。
「来た来た。リホちゃん注文の盛り合わせだよ。どうぞ。あ、これはあっちに行っちゃったリホちゃんの注文か。ま、いいよね」
リホはきょとんとしている。
「ここは……どこ?」
リホは、バー・アンカーで飲んでいたはずだった。それがいつの間にか和風の居酒屋になっている。隣に座っているジョーだけが同じで、周りが全て変わってしまっている。
「突然ですまないが、ここはさっきまで君がいた世界とは別の世界なんだ」
「何言うてんの?」
「俺はこういう仕事をしているんだ」
ジョーは「ようこそパラレルワールドへ」と言いながら、胸ポケットから名刺を取り出した。そこには ”パラレルトラベル・エージェンシー” と書かれていた。
「パラレル……トラベル……エージェンシー……」
リホは名刺を見ながら、意味を確認するように読み上げた。
「つまり?」
リホは、訳が分からない、という顔でジョーの顔を見上げた。
「つまり、俺はパラレルワールドへの旅をサポートする旅行会社に勤めているんだよ」
「……つまり……?」
リホは、ますます訳が分からない、という顔をした。
「この世には、並行に走っている別の世界がたくさんあるんだ。それがパラレルワールド。自分のいる世界とちょっとずつ違っている。君は、そのパラレルワールドにいるんだ」
「……そんな訳ないわっ!」
リホは鼻で笑って信じない。
「訳が分からないかもしれないが、君にはこのちょっとだけ違った世界でしばらく暮らして欲しいんだ。会社も住んでるところも同じだから、不自由は無いと思うよ」
「なんやの、それ? そんなん、信じると思てんの? アホらし」
リホは目の前に置かれた串焼きに噛み付いた。
「あ、これ美味しいやん」
「だろ? 頼んでよかったろ?」
リホは訝しげに「うち、頼んでへん」と言って、串についた二つ目の塊に噛み付いた。
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「うーん、どう言ったら信じてもらえるのかな……」
ジョーは途方に暮れていた。リホはここが違う世界だと言うことを全く信じてくれず、一向に話が先に進んでいなかった。
「ここの串焼き、美味しいなぁ。お腹空いてたしちょうど良かった。バーだとお腹に溜まるものあまり無いんよね。なんでここにいるか分からんけど、居酒屋で正解やな!」
リホはお酒も結構入って、上機嫌になっていた。ジョーはもうどうでもよくなっていた。
「店長、お勘定! リホちゃん、帰るぞ」
「えーー?? まだ、ええやん。まだ飲み足りないし!」
ジョーは、椅子にすがりつくリホを無理やり剥がして店から連れ出した。
「リホちゃん、ここからは一人だ。ちゃんと帰るんだぞ。ちなみにここはシンジュクだからな」
「あれ? おかしいな? 西新橋で飲んでたはずやのに?」
「だから、ここはパラレルワールドなんだって。……もういいや、はい、帰って帰って。あ、それから、僕はこの居酒屋に毎晩来てるから。何かあったらここに来てね」
「あ、そう……分っかりやした。じゃーねー、ばいばーい」
リホは一瞬周りを見て、そして「ああほんまや新宿や」と叫び、千鳥足でシンジュクの雑踏に消えていった。
「子供じゃないし、大丈夫だよね」
ジョーはそう言って、別の方向の雑踏に消えていった。
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「『新宿』じゃなくて『シンジュク』。『東高円寺』じゃなくて『ヒガシコウエンジ』。変なの」
リホはシンジュクからマルノウチ線で、自宅のあるヒガシコウエンジまで帰って来た。駅からの帰り道も、住所表記がカタカナであること以外は自分の知っている街そのものだった。
「パラレルワールドのわけないやん」
そう言って、自宅のアパートのドアに鍵を差し込もうとすると、後ろから男の声がした。
「結城リホさん、ですね?」
振り向くと、黒服の男が二人立っていた。見るからに怪しい風貌だった。
「どちらさん?」
リホは最大限警戒し、後ろ手で鍵を差し込んだ。いざとなったらすぐに部屋に逃げ込む算段だ。
「いえいえ、私たちは怪しいものではありませんよ。ただ、ちょっと一緒に来てほしいだけですから」
それ怪しいでしょ!
リホはドアを開け、部屋に逃げ込んだ。が、手首を掴まれてしまった。
「痛いって! なにすんの!」
リホは叫ぶが、黒服は動じない。
「やれやれ、世話が焼けますね。しょうがない」
黒服が目で合図すると、もう一人の黒服がリホの口を押さえた。
「く……くす……り……」
リホは一瞬で黒服の手の中に倒れこんでしまった。
「完了〜。では戻りますかね」
黒服は道路脇に停めてあったミニバンにリホを積み込み発進した。
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