第13話 トリップボックス〜通勤トラブル、高階アイ激怒

 ──イエローワールド 一年前


「仙道さん、おはようございます」

 高階たかしなアイが元気よくバー・アンカーに入ってきた。

「おはよう。俺が先でいいか?」

「いいですよ。どうぞ」

「じゃ、お先に」

 仙道せんどうアキヨシは店の奥にある─Staff Only─と書かれたドアを開けた。中は街中にある証明写真撮影機のような構造になっていて、正面にモニター、そして人一人がやっと座れる小さな椅子が一つ設置されていた。これはトリップボックスという、パラレルワールドを移動するためのトリップマシンの小型簡易版だ。翔び先は六つのパラレルワールド──レッドワールド、ブルーワールド、イエローワールド、シルバーワールド、ゴールドワールド、ホワイトワールド──のバー・アンカーと、ホワイトワールドにあるPTA──パラレルトラベルエージェンシー──の本部だけ。座標が固定のトリップマシンだ。

 仙道と高階はイエローワールドに住んでいて、ホワイトワールドにあるPTAの本部に通っている。仙道はPTAの技術開発責任者、高階はその助手、主任技術開発員である。もともとは時空間研究所というパラレルワールドを研究する施設の研究員だったが、ある事件をきっかけにPTAに移ってきたのだ。


 PTAが把握しているパラレルワールドは十を超えたところである。それぞれは色の名前が付けられている。PTAの本部がある世界はホワイトワールド。これは白のバー・アンカーがある世界だというところから付けられた。同じように、金銀赤青黄のバー・アンカーがある世界は、そのままゴールドワールド、シルバーワールドというように色の名前が付けられている。


 トリップボックスが開発される前は、仙堂と高階の通勤は大変だった。ノーマルな人間がパラレルワールド間で通勤するなど無理な話。パラレルトリッパーであるリキやショウが通勤バスよろしく送ったり、目立たない場所でトリップマシンを使うなど、何かと不便だった。だが、トリップボックスが開発されたことで、通勤が格段に楽になったのだ。


「アイさん、トリップボックスは調子いいようですな」

「シゲさん、ありがとうございます。必要は発明の母ですよね。我ながらいい出来だと思います。あ、戻ってきたみたい。じゃあ、行ってきます」

 トリップマシンは自動運転ができるようになっている。仙道がイエローワールドからホワイトワールドに移動した後、イエローワールドを指定して自動運転を起動したのだ。それがいまバー・アンカーに戻ってきた。これで高階が通勤できる。

「一緒に乗れるといいのにな」

 高階は一人つぶやいた。技術的には二人乗りを開発することは可能だが、それを設置する場所がない。一般人に目立たない場所に設置するのがなかなか難しいのだ。バー・アンカーは客も少なく昼間は営業していない。それにシゲさんは関係者。通勤に使うにはもってこいなのだ。仙道と高階はイエローワールドにある自宅から新橋まで電車で移動し、西新橋にあるバー・アンカーからホワイトワールドのパラレルトラベルエージェンシーに通う毎日を続けていた。


 ある朝、仙道がいつものように通勤のためにバー・アンカーのドアを開けると、高階が鬼の形相で待ち構えていた。

「仙道さん! 昨日は何で戻さないで帰っちゃったんですか! 最低ですよね」

 仙道は何のことかわからなかった。目を丸くして黙っていると高階が呆れたという顔で続けた。

「トリップマシンですよ。昨日帰ったとき、自動運転起動しなかったでしょう。おかげで散々ですよ」

 そうだった。昨日は疲れていて早く家に帰ろうとして……。

「昨日はライブに行くって言ったじゃないですか! お気に入りのバンドに間に合わなかったんですよ! どうしてくれるんですか!」

「あ、いや、すまなかった。でもシゲさんに言えば、戻してもらえたんじゃ……」

「シゲさんは買い出しに行ってたんです! サイテーです。許しませんからね!」

「ああ、ごめん、申し訳ない。これから気をつけるから。あ、それで、トリップボックス使ってもいいかな。今日の会議、開始時間が早いんだ」

「何言ってるんですか! 私が先に乗ります。仙道さんはそこで待っててください。ボックスが戻ってくるかは保障できませんけどね!」

 これは手がつけられない。会議には遅刻だがどうしようもない。


 トリップボックスはこういったときに不便である。決まった場所に翔んでいくように座標を固定して作られているので、複数台の運用はできない。六つのバー・アンカーとパラレルトラベルエージェンシーの七ヶ所を翔ぶ、このトリップボックスは一台で運用している。もし、複数台で運用していて同じ場所に同時に翔んでしまったら大変なことが起きるからだ。それゆえこういったトラブルは想定していたが、利用しているのは仙道と高階の二人だけなので、自動運転を上手く使えば問題ないと考えていたのだった。


「こりゃ、しばらく気をつけないと」

 仙道は帰ってこないトリップボックスをずっと待ち続けていた。

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