第2話

 手代頭てだいがしら幸吉こうきちと、屋敷の内向うちむきを取り仕切るカヨ婆が縁側で困り顔を突き合わせていた。


「どうだい婆さん、ぼうはいたかい」

「いないね。弱ったねえ。天狗にでもさらわれたかね」

「馬鹿言うんじゃねえよ。文明開化のご時世に。江戸の昔じゃあるまいし」


 二人にとって最初の主人だった、浜北誠太郎はまきたせいたろう翁の三回忌の法要が営まれようという大事な日に、翁の孫、誠一の姿が見当たらないのだった。

 店は私事わたくしごとでは閉めないしきたり。そのため回向えこうは暮れてから。先に菩提寺ぼだいじに乗り込んだ奥方と小女こおんならは今頃きっと、親類縁者の世話に追われてあれやこれやと忙しいことだろう。後のことを任された幸吉とカヨ婆は気が気でなかった。先代の年忌法要に将来の跡取りが参りませんでは体裁が悪いことはなはだしい。


「心配だねえ。何しろふさいでいるものねえ坊っちゃん、ここ半年」


 節くれ立った両手を揉み合わせながらカヨ婆が呟いた。


「こないだなんか、急に、『死んだらどうなるの』なんて、私に聞いてきてねえ」

「ほう、それで何て答えたんだよ」

冥銭めいせん払って三途さんずの川を渡るんですよって、答えたっけね」

「金にうるさい性根が出たな婆さん。坊はきっと、死んだハチがどうなるのかを知りたかったんだぜ」

「やっぱりそうだよねえ……」


 力なく項垂れたカヨ婆の前で、同じく幸吉の表情も浮かない。下の者からは赤鬼と呼ばれるほどの強面こわもてを、彼はいよいよ難しくしかめて後ろ頭を掻く。


「なんて言ってる俺も、そうだと気が付いたのは後からでよ。同じように聞かれたんだ、坊に。『三途の川を渡るとどうなるの』。ありゃあ婆さんの後だったんだな」

「何て答えたんだい」

閻魔えんまの裁きを受けるんだ、悪いことすると地獄行きだぞ、って脅かした」

「そうすると、誠一の奴が私の所に来たのは、幸吉の後だったというわけか」


 言いながら、懐手ふところでをした当代とうだいが座敷を回ってやって来た。

 慌てて頭を下げる幸吉とカヨ婆に、江戸小紋の大店おおだな『稲荷屋はまきた』の主人、六代目誠右衛門せいえもんこと浜北誠吾せいごは小さく頷いて続けた。


「私は誠一に、『閻魔様の裁きを受けたハチはどうなるの』と聞かれた」

「それで、旦那様は、坊に何てお答えになったんで?」

「どうなるかはお前が決めろ、と言っておいた」

「「は?」」


 揃って目を丸くした使用人二人に、主人は平然と言ってのける。


「閻魔の裁きは畜生のためのものではないことをまず説いて、だがまあ好きにしろと言ったのだ」

「好きにしろってそんな。……ああ、坊っちゃん、さぞ戸惑ったでしょうに」

「きょとんとしていたな。だからもう少し分かり易く、お前が拾ってきたお前の犬のことだから、死んだらどうなるかもお前が決めてやれと言ってやった」


 ああもう、とカヨ婆は天井を仰ぎ、幸吉は眉間を摘んで俯いた。誠吾は懐手のまま庭を見やる。


「私もさがそう。何、見当は付いている」

「へ? 旦那様、坊がどこにいるか、お心当たりが?」

「似たようなことなら、私にも覚えがあるからな」


 沓脱くつぬぎ石へ降りようとする誠吾を幸吉が慌てて押し留めた。


「俺が行きますから。坊はどこにいるんです」

「いい。家長の出番だ。屋敷の増築のこととも関わるしな」

「増築とですかい?」

一昨日おととい、職人を入れて庭の隅の黒土をならしただろう。誠一に肝心なことを言いそびれていた」


 忘れっぽくていけない、と自嘲する誠吾の視線の先には、枝を交わす庭木の向こうに蔵の瓦屋根が突き出ている。一帯は小さな林。稲荷のほこらを内に抱えた、いわば浜北家の鎮守のもりだ。


「まあ大事無い。お前たちは寺へ向かう支度をしておけ」

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