第7話
投票結果発表の数時間前、奏太はベッドから跳ね起きた。
「反対票が多かった?」
開票後のイベントのため、公式発表前に結果の連絡を受けたという智子自身からの報せだった。電話の向こうで彼女はすっかり涙声だ。
「そこホールだよな? 待ってろ、すぐに行く」
取るものも取りあえず家を飛び出し、奏太は夕暮れの町を自転車で駆け抜けた。
辿り着いたエントランスにはイベント関係者の腕章を付けた青年部員が三名待機していた。彼らに場所を聞いて、奏太は開票所にあてられた部屋のドアを押し開けた。
「奏ちゃん」
目元を赤くした智子。隣には神山。
腕章の色が違う数名は市長が手配した実行委員会の面々だろうか。
「ごめん、奏ちゃん。ごめんなさい……」
智子が俯いて顔を覆った。神山も疲れた表情で首を振るばかりだ。
開票結果は卒業賛成が六千三十七票。反対が九万四千四十六票。
「嘘だろう」
奏太は活動期間中、商店街の誰もが、ファンの多くが、智子の夢を応援してくれているという手応えを感じていた。それなのに、と思わず拳を握る。手酷い裏切りに遭った気分だった。
部屋の外がにわかに騒がしくなった。秘書らしきスーツの女を従えてノックもせずに入ってきたのは、よく日に焼けた柔和らしい福相の、大柄な初老の男だった。
「田代市長!」
驚く神山には目もくれず、とまとたん、と呼びかけた市長は智子に歩み寄った。
「委員からの報せで飛んできたよ。意外なことになったね」
「はい。すみません、市長」
「君が謝ることじゃない。こういうのは開けてみないと分からないからね」
民意は朝倉とまとのアイドル活動継続を願ったということだ。
市長は気遣わしげに智子を宥める。
「こうなったら皆の求めに応じて、とまとたん、また一年間アイドル頑張ってみよう。ね?」
「来年、また同じ投票を?」
「ああ、開催しよう。そのときこそ、きっと卒業できるさ」
市長の慰めの言葉に智子が弱々しく頷いたときだった。
再びノックもなくドアが開いた。
全員の視線を一身に浴びながら、その人物は静かに入ってきた。
「英介」
やあ、と英介は奏太に軽く応えた。後ろ手にドアを閉める。
「叔父さん流石にやり過ぎだよ」
「何のことだ」
「業者を使って開票結果を操作したこと。熱に反応するインクを使ったらしいね。用紙に熱源を近付けると賛成と反対の文字の位置が入れ替わる。実行委員にはカイロでも持たせた?」
迂闊な一人がスーツの左手首を背に隠した。
神山が市長に気色ばんだ目を向けた。智子も弾かれたようにその側を離れた。駆け寄ってきた彼女を抱き留めて、奏太も市長を睨んだ。
市長はやれやれとばかりに溜息をついた。
「一人のとまとファンとして自分にできる限りのことをしたまでなんだがな。英介、いやパピヨン、なぜ今になって私を裏切る。小遣いが足りなかったか」
「友達の夢に殉じるのも悪くないと思ったんだ」
英介が奏太に肩を竦めてみせた。
「隠しててごめん奏太。パピヨンの正体は僕だ。忙しい叔父さんに代わって朝倉とまとを応援するのが役目だった。陰になり日向になり、ってやつ。パソコンは弁償するよ」
「市長。場所を変えて詳しくご説明願います」
「仕方がないか。神山君、開票結果はもう外部に?」
「いえ、まだ公式には」
「そうか。安心した。……さようなら、とまとたん。立派な調理師になりなさい」
数時間後、卒業賛成多数という正しい情報が市内全域にアナウンスされた。
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