第6話
『とまと☆ホール』の多目的室に紙を繰る音が響く。
「神山さん、きっと前から考えてたんだね」
印刷所から届いたチラシを配布地区ごとに仕分けながら、英介がそう呟いた。
「とまとの卒業をどう演出するべきか。今度のことはきっと、予定されてた計画の前倒しだね」
「卒業の演出?」
同じ作業をしながら首を傾げた奏太に、英介が訳知り顔で頷く。
「アイドル本人の意志を支持しないファンは少ない。卒業は確実。投票は出来レースってこと。今、神山さんと商店街の皆は卒業特需のことを一番に考えてると思うよ」
商店街で一定額の買い物をすると投票券を兼ねた専用シートにスタンプが捺される。スタンプが溜まったシートさえあれば、朝倉とまとの卒業に賛成か反対か、どちらかに○印を付けて一人何度でも投票できる。
そんな投票ルールの設定、開票日や運動期間の周知、シートの作成や加盟店舗への配布等々、神山の行動は迅速の一言に尽きた。
智子の引退表明に対する商店街各店の反応がいたって冷静だったことを考えても、英介の予想は当たっているのだろうと奏太は思う。
「ただいま。あぁ疲れた」
外に出ていた智子が帰ってきた。神山に連れられて、今日の彼女は市長を訪ねたりテレビ局の担当者と話し合いをしたり、大忙しだったはずだ。
「お疲れさん。どうだった?」
「実行委員会は市長さんが組織してくれるって。公正を期すためにって言ってた。冠番組は来週で終わり。途中から卒業特番の打ち合わせになっちゃった」
「はい智子ちゃん、冷たいお茶」
「ありがとう英介君」
パイプ椅子に座った智子は、受け取ったペットボトルを胸に抱いて頭を下げた。
「ごめんね、私の我儘に付き合わせちゃって」
「いいってば。僕、人の手伝いは好きだから」
「チラシの投函しかしてないけどな、俺たち」
期間中、智子は街頭で数回に亘ってアイドル卒業の意志を主張する。夢を語り、旅立ちを後押ししてほしいと皆にお願いするためだ。奏太と英介が配っているのはそのイベントのためのチラシだった。
「それだけでも大助かり。本当にありがとう」
「今度の挨拶、考えたか? 添削してやろうか」
「結構です。赤ペン先生」
そう歯を見せて笑った智子が、ふいに穏やかな遠い目をした。
「……小六の夏休みに、奏ちゃんちの縁側でさ」
「ん?」
「飲んだでしょトマトスープ。あれね、味付けはママがしたんだ」
「智じゃなくて?」
「私はトマト刻んでマグによそったくらい。それでも奏ちゃんの『美味しい』は嬉しかった。嬉しかったから、いつかきっと自分の料理でこの笑顔をって、そのとき思ったんだよね」
智子は自分の夢のきっかけを語るのだった。
照れくさそうな彼女の前で奏太も耳が熱くなった。
「……そ、それじゃ私、次は雑誌の取材あるから。行くね」
恥ずかしさにいたたまれなくなった様子で、智子はペットボトルをバッグに入れると席を立った。
随分経ってから英介が笑い出した。
「不意打ちだったね」
「だな」
「いいのかい?」
きれいに揃えたチラシの束を机に置いて、英介が真顔になった。
「専門学校では新しい出会いが待ってるよ、絶対。新鮮な環境が智子ちゃんを変える。今の関係のまま行かせて、本当にいいのかい?」
奏太は迷わず頷いた。
「ただの幼馴染だぞ。いいに決まってる。……けど」
「けど?」
「夢に挑戦して、叶えて、胸を張れる自分になったら、そのときにまた会いたい。智もきっとそう思ってる」
「悠長だなあ。……でも決めた。僕は二人の味方をしよう」
英介がそんな今更にも聞こえる宣言で微笑んだ。
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