妃乃里③///
「妃乃里姉ぇさ、変わったよね」
「ん、なんのことかしら? この流れだと、パンツの話なのかしら?」
赤とピンクのライトで照らされた部屋の中で自分が今さっきまで身につけていたパンツを再び指で回す姉に対して、やはり違和感はぬぐえない。これが黒ストッキングの神とまで称されていた清楚系女子の末路なのだろうか。
「パンツというか……こう、性格というかなんというか……根本的に?」
「そうかしらねー。そんなに変わってないと思うけどなー。でもそうねー。パンツに関して言えば、奏ちゃんがお姉ちゃんに買ってくるパンツは、買ってくる度にどんどんきわどくなっていってるわよね~。これなんてほら。もう布がある部分なんてこのあたりしかないのよ? このあたりしか。ねえ。見て~?」
俺の目の前に自分がさっきまで履いていた赤いパンツをどんどん近づけてくる。
「ちょ、ちょっと! わかったから! わかったから! だいじょうぶだから! つーか、あたかも俺がそれを率先して買ってきたみたいな感じやめてくれよ。妃乃里姉ぇがそれがほしいって言ったんだろ」
決して姉が俺の鼻先に向けて近づけてくる赤い紐パンごときに物怖じしているわけではない。むしろこれは俺の買い物の戦利品なのだから、自分のものくらいに思ってもかまわないものだ。
だがしかし、生パンツであれば話は別だ。それはちょっと違う。それは処女、非処女くらい違うぞ。それはちょっともう遠慮していただきたい。謹んでいただきたい。弟として。
「なに顔赤くしてるの~? かわいい~奏ちゃん♡」
勝手に赤くならないでいただきたい。我が身よ。我が頬よ! 恥ずかしいとか、興奮しているとか勘違いされてしまうじゃないか……。
話を戻そう。
「……専門、どう?」
「ん~? どうって~?」
機嫌が直ったのか、生パンツを振り回すのはやめた。いや、やめたというのは正確な表現ではないな。飛んでいった。
「専門学校入って少したった頃だっけ……? なんかさ、深夜さ、こそこそしてたよね」
妃乃里の体がびくっと震える。
「……し、してないわよ。こそこそなんて。何言っちゃってるのよ。何言っちゃってるんだか」
―――動揺しすぎだろぉ。
どこか声も震え気味で安定していない。
「よくさ、真っ暗の中でヘッドホンして画面に釘付けだったよね。あれさ、何見てたの?」
深夜、妃乃里の部屋の扉の隙間から光が漏れていた。
たまたま少し開いているときがあり、覗いてみると、熱心に食い入るようにテレビ画面を見つめていた。
ずっと気になっていたことだが、おそらく家内露出狂と成り果てたことと何か関係があるのではと前々から思っていたところだ。
「あーーー! もーーー! 何見てるのよ、この変態ーーー!!!」
妃乃里はそう言うと、近くの椅子の上に敷いてあるクッションを手にとり、勢い良く俺の顔面めがけて殴ってきた。いつもその上に座っているのであろうフカフカクッションで殴られた。
変態に変態呼ばわりされ、殴られた勢いで近くにあったベッドの縁にぶつかった。
妃乃里姉ぇから殴られるなんて初めてだ。そんなに知られたくなかったのだろうか。
痛がりながらも目をあけると、ベッドの下の空間が視界に入った。
―――ん?
そこには、本というには少し薄く、CDというには若干厚いプラスチックの物体が3枚ほど置いてあった。DVDか何かかな。
1つ手に取ってみる。
妃乃里の帰宅時脱衣事件発覚から数年がたった今―――。
俺は久々に忘れかけていたいわゆる絶句というものをすることになった。
「…………妃乃里姉ぇさ。もしかしてその時見てたのって……これ?」
手に取ったプラスチック容器を妃乃里に見せる。
そこに書いてあったのは、『いけません、ご主人様♡ ~超鬼畜変態仮面執事長の指導付き~』というタイトルだった。肌色が多い艶やかなビジュアルが一面に広がるパッケージだ。
「あっ! ちょ……あーーっ!!!」
妃乃里がこんなに驚いた表情を見せるのは久々な気がする。
もうどうしてみようもないといった様子で両手をピアノでも弾いてるような形にして固まっている。
特撮ヒーローものに出てくる怪獣のような格好だ。
俺はさらにベッドの下に手を伸ばす。
「『どじっ娘メイド3 お仕置きされるのも仕事のうち???』」
「ひぃあっ!」
声に出して読むと、妃乃里が赤くなった。
「『かわいい弟を持つと姉は苦労する? 姉弟関係崩壊の―――」
「ばかあぁぁぁぁぁぁ!!!」
すごい勢いで俺に近づき、読み上げていたDVDを奪い取った。
涙目で恥ずかしそうに顔を赤らめながら俺を見下ろす妃乃里。奪われた方の手をじっと見て、読み上げたタイトルを思い出し、若干身震いする。
「どうしてこんなことするのよ~。ひどいよ~」
被害者面している我が姉だが、申し訳ないがこの一瞬で超ど級の精神攻撃を受けた俺もかなり被害を受けていることをわかっていただきたい。実の姉が弟ものの肌色が多いDVDをあたかもな場所に保管し、しかも日常的に取り出していそうなベッドの際においてあったという事実を知ってしまった弟の心のケアをしっかりととってもらわないと少なくとも今日は寝付けそうにない。
「男の子のベッドの下がエロの異世界に通じているように、女の子だっていろいろあるんだからね。そんなたやすく手を伸ばしちゃだめなんだからね。あと押し入れもだめよ~」
確かに押入れは開けることはないな。下着とか服を入れるのは他の場所だし。特に興味もなかったからこれまであまり注目してなかったけど、ベッドの下からこんな肌色物がでてきてしまってはあっちもどんなことになっているのかわからない。
今日は心の余裕がないためやめておくが……。
「もう~! そんなに気になるなら全部持ってっていいわよ!」
全て……?
そういえば奥の方にも何か見えたな。
腕を組んで顔をプンプンさせている妃乃里を尻目に、もう一度ベッドの下を見る。
すると、先ほどは暗すぎてよく見えなかったが、よく見るとそこには十数枚のDVDタワーが何個もぎっちりと隙間なく敷き詰められていた。イメージ的には本屋でたくさんの漫画の新刊が大きな机に高く平積みされていてギチギチに整然と敷き詰められている感じ。今はベッドの横から見ているからその面しか見えないが、きっと奥の方まで隙間なく置かれているのではないだろうか。
……いや嘘だろ。いやいやまじで。あの妃乃里が? 昔は肌をなるべく露出させないで大人しく清楚につつましく学校生活を全うしたあの妃乃里が?
昔の妃乃里を知っている人なら、こんな肌色パラダイスになっているベッド下を公開したらそのギャップに驚いてそのまま卒倒すらしてしまうのではないかと心配してしまう。いや心配するのはむしろこの情報が漏れることだわ。こんなど変態じみた姉の所行が世に出回ってしまってはこれまで姉が培ってきたイメージ及び信頼の失墜は免れない。
「はぁぁ~。まあいいや~もう」
妃乃里はふっきれたのか、いつもの様子に戻り、小さいテーブルの前に座ると、再び足の爪をいじり始めた。
「こんな数の……これ……、どうしたの?」
姉たちの実質的管理者である俺としては、そこらへんのことをよく知っておかなければならない。
「ん~、買ったのもあるし~、もらった物もあるわ」
「も、も、貰った?! 誰からよ?!」
こんなものを純粋無垢なあの頃の妃乃里に見せるような、まして、渡してくるやつなんてろくなもんじゃないぞ。誰だそいつは!
「誰というか、お店かな」
「お、お店ーー?!」
お店だと? なんだ。どういうことだ。つまるところ、い、いかがわしい店で働いてたとかそういうことを言うつもりなのか? 許さんぞそれは。そんな怪しい店で露出の多い格好をしていやらしい仕草で見ず知らずの男とちちくりあってたなんてことだったら俺は許さない! 言語道断だ! そんな時間があったら家の仕事をして俺に楽させやがれ!!
「ほら、あたしビデオ屋でアルバイトしてたじゃない? その時にね。捨てるっていうから貰ったの。もったいないでしょ」
いやぁ……もったいないから貰うような類いのものではありません、お姉様。
我が姉はやっぱり少し頭が残念なのか、単にそっち系のことが好きなのか……。
ちょっともう精神的にも疲れてきたので、俺は場所を移動し、小さな卓上テーブル越しに面と向かって座った。
「あのさ、そもそもなんでビデオ屋でアルバイトしたんだっけ?」
そんなアルバイトしてるなんて知らなかったけど、初めて聞いたけど、知ってる風を装って聞いてみる。確かに帰りが遅い日はあったけど、単に友達と遊んでいるのかと思っていた。
「ん~、何でだろうね。気まぐれ?」
「あのすごい数のDVD、全部見たの?」
「ん~たぶんね~。ちょっとはまっちゃって」
苦笑いを浮かべて言う姉は、どことなく楽しげだ。そんな顔を見せられても弟の俺はため息しか出んよ。
しかしまじか。あの数を……? 総時間どんだけだよ。
「ああいうの……さ、前から興味あったっけ?」
「ん~どうだろうね。ひ・み・つ♡」
いや、ねーよ。ねーから。なかったはずだって。なかったことにして? なんとなく。
お下げ丸出しの絵に描いた様な優等生だった妃乃里は、みなさんから大変ご好評をいただいたどこに出しても恥ずかしくない姉だったわけで。俺はそんな姉がちょっとばかし誇らしげに自慢げだったわけで。それなりにリスペクト気味でもあったわけなんだ。
それが方向性を変えるのもいいところで、専門デビューなのか知らないが、とんでもない方向へと進んでいることを知った今、その尊敬のまなざしは変態を見る目に変わっている自分がいる。
今、目の前にいる姉と一昔前の姉を並べたとしたら、関係者全会一致で別人と言うだろうな。こんなノーパンで太もも丸見えのネグリジェを着て谷間全開で足のつめをいじる姿は、これはもう完全にクローズインマインドだわ。胸の中に閉まっておきます。ノーブラだからゆれることゆれること。
推測するに、専門学校で何かあったのではないか……?
「専門に行くようになってから変わったよね。なんかあった――」
「なにもないわ」
反応が著しく早い。
まだ俺の言葉も言い終わらないのに。
素早く冷淡に言い放つ長女に怪しさしか募らない。
「何かあったでしょ。妃乃里姉ぇが心配なんだよ。もし俺に聞けることがあったら話してよ」
妃乃里の手が止まった。
「……あたしだけだったの」
「なにが?」
「あたしもさ、奏ちゃんもさ、今こうしていられるのは、どこかのコウノトリが遠いところから飛んで運んで来てくれたって……私はそう思ってたのよ」
「コウノトリ?」
「そう……」
「それは妃乃里姉ぇの誕生秘話のこと?」
「……はい」
顔を赤らめてそっぽを向く長女。なかなか見ない光景だ。
「子供がどうやって作られるのか、どうやって産まれてくるのか……学校の授業で知らなかったの私だけだったの」
「看護学校の?」
「……はい」
また恥ずかしそうにもじもじしている。
どこで覚えたんだその恥らい加減は。全開率やばいな。
その腕を内側にきゅっとして谷間をさらに寄せるのやめてくれ。目がいっちまうから。
「それはなんだ、つまるところ「どうやって子供ができるか」ということに対し、妃乃里姉ぇは「コウノトリが運んできます」って答えたということ?」
「そこまで直接的な聞き方じゃなかったけど、意味合い的にはそんなようなものだったかなー。あの時ほど時間が止まったんじゃないかと思ったことは今までなかったわ」
………………………………ぷっ。
「ああ! 笑ったー! お姉ちゃんのこと笑っちゃいけないんだー! あーあー! もう奏ちゃんのこと嫌いになっちゃったー。しーらないっ! …………ぐすっ」
しまった。すぐ泣くからな妃乃里は。ティッシュをとり、涙でにじむ妃乃里の目に当てる。
「…………あんな大恥かいたのは、全てあの変態じじいのせいよ」
急に非常に気になるワードがでてきた。妃乃里の目に怒りがこみ上げる。
「まだ専門学校に入ったばっかりの頃に講義で現場に行くことがあってね。そこで看護師の仕事を一通り見せられたのよ。その中でもちろん下の世話もあってね。おじいさん相手に看護師さんがやっていたんだけど、やっている最中はなんともなかったのよ。それが終わって次の現場に離れようとしたところ、近くにいた私の手を掴んでね、見せてきたのよ……」
「……何を?」
「天体に例えるなら北極星みたいなものよ」
……どういうことだそれは。いきなりロマン溢れる例えをしてくるから脳がびっくりしちゃってるわ。
北極星は天体の中心なわけなので、つまりは、おじいさんの中心ということか。まぁいわんとしてることはだいたいわかった。これも長年一緒に生活していることからくる納得だろう。
「すごく……すごくね? 膨らんでいたからそれを見てあたしは言ったわ。「この方、おっしっこをするホースが大変です! 腫れてます!」ってね。そしたらね、みんなそれとあたしを交互に見てクスクス笑ったの。なんで笑われたのかわからなかったから調べたわ。そしたら全てわかっちゃってね。もう、恥ずかしかったというより悔しかったわ」
妃乃里の顔が歪む。なかなかみれないレア顔である。
「それからよ。あたしがそればかり考えるようになったのは。あたしは奏ちゃんの小さい今にも消えそうな流れ星しか知らなかったからあんな赤っ恥かいたのよ。私と一緒にお風呂入ったとき、もっとアンタレスみたいにぴっかぴかに輝いてくれてればあんな恥かくことなかったのに!」
妃乃里は頬を膨らませて俺を睨む。
つまりは妃乃里は2回恥をかいたということになるようだ。姉は優等生だったからあまり恥じをかくことがなかっただろうから、そういうことに耐性ができていなかったのかもしれないな。
まあそれはそれとして、その脚をこっちに向けてペディキュアするのやめてくれ。お前、完全にノーパンなこと忘れてるだろ!
「人の股間周りを一瞬のともし火に例えるのは是非ともやめていただきたいぜ、お姉さま。まぁ、決して立派なものではありませんがね!」
俺もそこはかとなく顔を膨らませてみた。
しかしだからといってこんな何百本あるのかわからないDVDを見るだなんて勉強熱心にも、優等生にもほどがあるだろ。おそらく肌色多めのDVDを持つ若年女子としては指折りだろう。
ということは最近深夜に聞こえる謎の奇声の正体はそれかっ!
「罰として……」
は? 罰?
おもむろに俺に近づきて膝をつく妃乃里。顔を近づけて俺のあごを少しすくう。
「お姉ちゃんと一緒にお風呂に入りなさい」
は? 風呂って……もうずっと一緒に入ってないだろ。入らなくなって数年経つだろ。それこそ俺が小さい今にも消えそうな流れ星のころ以来だろ。いや今も大して変わってねーけどさ、ちくしょー!
……でもあれだろ? どうせあれなんだろ?
「拒否権なんてもちろん……?」
「な~~~~~しっ!」
妃乃里は、幼いいたずらっ子みたいににんまりと笑みを浮かべて俺の手を引っ張り、もとい、俺を引きずり、部屋を出た。
「え、ちょっとま……今から? さっき入ったじゃん! めちゃくちゃ鼻歌歌ってたじゃん!」
「お風呂は何回入ってもいいものよ~。鼻歌……一緒に歌っちゃおっか♡」
まじでか……。
まじでかーーーーーー!
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