★☆約束の彼方に 12



 またパスが取られた。もうなんどおなじミスを繰り返しているんだ。


「透、なにやってるんだ」「もう変えましょう、公開処刑ですよ、あんなの」


 味方からの悲鳴。


 ああ、そうだな。たしかに公開処刑だ。そこに一際大きい声が上から降ってきた。一番後ろで見ていたはずのクラスメイトの奴らが、いつのまにか最前列にまでにじり寄ってきていた。


「走れよ、透。走ってくれ」冷の声だ。すごい形相だ。


「透くん、諦めないで」亜弥の悲壮な声。無様でごめんな。


 その横でハカセはじっと俺を観察するようにしている。


 そして懲りない俺はあいつを探す。


 だけどあいつはいない。そこでよく似た顔と眼が合った。理沙だ。理沙は大粒の涙を流して泣いていた。


「走って、とおるくん。だれのためでもない、自分のために」


 自分のために。だけどもう限界だ。俺は自分の膝に手を当ててついに立ち止ま

る。


 自分なりに走ってみたけど、駄目だったな。

 親がいないこととか、金がないとか、学がないとか、そういうことを見返したかったんだ。もっと早く走って、高く飛べると思っていたんだけどなぁ。 


 諦めてしまったら、色んな奴の顔が浮かんだ。それと一緒に浮かぶ、不思議な交わり。




剣持先輩が、俺を認めてくれたこと


椎葉先輩が、俺に叫んでくれたこと


長友先輩が、俺を笑わせてくれること


渕上先輩が、俺を励ましてくれたこと


吉本先輩が、俺を買ってくれたこと


木室さんが、俺を信じてくれたこと


誠が、俺とバスケで慕ってくれたこと


冷が、俺とつるんでくれたこと


亜弥が、俺を好きだと言ってくれたこと


“あいつ”が、俺に気を使ってばかりなこと


舞ねぇが、俺に世話を焼いてくれること


裕にぃが、俺のために夢を諦めて支えてくれること


理沙が、俺に笑いかけて導いてくれたこと


 そして


颯太が、俺に生きる約束と夢を与えてくれたこと




 そんなすべてから逃げ出して、死んでしまいたかった。


 そのときだ。


 応援席のてっぺんにあった扉が開け放たれる。俺の視線が自然とそこにたどりつく。走り出す一人の制服姿。そこには俺が一番待ち侘びていたあいつがいた。


 そいつは息を切らして、まっすぐに俺を見据える。最初から俺がここにいるのを知っていたみたいだ。背後には裕にぃの姿もあった。

 

 颯太は俺を見つけると、ごった返す観客につまずきそうになりながらもかき分け、一番前まで突っ走ってきた。あまりに勢いがつきすぎて、危うくそのまま二階からコートに落ちそうになる。ハカセと理沙がなんとか押さえつける。


 颯太は泣き腫らした赤い顔で叫んだ。


「透、今の君は要らない奴なんかじゃない。君がそこにいる意味はある。意味はあるよ。どんなつらいことがあっても、僕たちなら笑って乗り越えられる。もう僕はいやなんだ、大事な人がいなくなるのは。だからもう離さないって決めたんだ。これからは僕も一緒だ。だから」


 俺たちがかつて血を通わせ、そしてバラバラになってしまった約束。颯太はそこに、新しい息吹を吹き込んで再生させる。


「だから新しい約束だ、透。これからは、一緒に、生きよう」


 心の奥底でずっと眠っていた希望の眼。それが今たしかな希望の光で見開かれていく。


「一緒に、生きる……か」


 きっと、その言葉だよ。俺がずっと欲しかったのは。


「あああああ!」


 俺は声の出る限り、魂を吐き出すほどに叫んだ。それはもう一度生まれ落ちた赤子のように。


 全身に巡る血が新しい誕生を運ぶ。俺の体を伝う汗が、すべてを貪りたくなる乾きが、俺がここに存在している証へと変わっていく。


 ずっと怯えてきた。 自分は要らない奴なんじゃないかって。だから叫んでほしかったんだ。


 おまえが必要だと。一緒に生きていてほしいと。


 今まで軋んでいた、俺へと繋がるいくつもの歯車。それがこの瞬間にすべて噛みあっていく。


 俺の足がひとりでに動きだす。コートの中央でボールをキープしていた四番に襲いかかる。四番は俺の突然の躍動に体を硬直させて身動きを止めた。そこを見逃さない。


 俺はボールを奪いとると、勢いのままレイアップを放つ。ボールが入ったか振り返る必要はなかった。


 俺が外すわけがない。タイマーの横の得点板がめくられる。歓声はあとから追いかけてきた。歓声が俺の身を震えさせる。


 熱気を照らすスポットライト。観客の手が織り成す拍手音。キュッキュッとバッシュが小気味よく床をこすれさせるかと思えば、熱い体育館と汗の匂いが俺の鼻を刺激する。体を包むユニフォームと汗。


 ここにあるすべてが俺に力をくれる。俺の足はむずむず疼き、背中はぐっと地面に垂直に伸びる。敵は驚いたように眼を見開いている。俺は残り時間を確認する。二分十三秒。得点板を見る。


 最後の第四ピリオドを残して十点差。いける。


 俺は吼える。眼のまえの敵に、自分がせばめてきた世界に――


「俺はここにいる。止められるもんなら止めてみろ」


 俺はここに生きている。生きているんだ。


「なんかー、透ちゃんの眼の色がー、変わったよー」


「やれば出来るじゃないか」


「いいスティールだ」


 先輩たちが口々に誉めて俺の尻を蹴ったり、腹を殴ったりして手荒く俺の復活を歓迎してくれた。吉本先輩はハーフコートまで下がりながら指示を出す。


「無駄口は叩くのはあとだ、これからは透をメインに攻める。皆、サポートを頼む」


 いつだって冷静な吉本先輩。さすがはコート上の監督だ。


 カモだと踏んでいた俺がいきなり予想外の動きを始めたことに、敵チームは慌てふためいている。俺は今までの体の重さが嘘のように、全身の細胞から燃えたぎるような力が沸いてきた。


 俺の決勝戦は、ここからだ。


 吉本先輩が敵の一番のパスコースを塞ぎ、苦し紛れのボールを椎葉先輩がカットする。俺は一気に走り出す。


 速攻をかける椎葉先輩のチーターのようなスピードに、敵はついていくのがやっと。俺のマークが外れる。敵の視界に入らないように、俺は外に展開していく。


 椎葉先輩は敵陣のリングの真下までボールを運ぶが、先まわりしていた敵が大きく手をあげ、シュートコースを塞ぐ。


「椎葉先輩!」


 俺は右外から走り込み、パスを要求する。


「ちゃんと決めろよな」


 椎葉先輩がノールックでパスを通してきた。ボールには熱い熱が宿っている。


「俺が外すわけないじゃないですか」


 かつて長友先輩と競い合ったときのように、瞬時に放物線を描く。それは外れる可能性のない放物線。いまならば、たとえ吉本先輩が叫んでも外さない。


 俺の手から勢いよく放たれたボールは、イメージ通りの放物線を辿って、リングに触れることなくネットを揺らした。三点が俺たちのチームに加えられる。鳴り止まぬ歓声が心地いい。


「長友先輩に食いついていける男ですよ、俺は」


 アシストしてくれた椎葉先輩に拳を向ける。それは俺と剣持先輩が喧嘩した折りに、渕上先輩がしてくれたポーズだ。椎葉先輩ははにかみながら、「さっきはすまなかったな」と、白い歯を見せながら拳を合わせた。


「おい、気を抜くな」


 木室さんの声が飛ぶ。はっと自陣を振り返ると、素早くリスタートを切った敵が三人、自陣に向かって走り出している。まずい、速攻だ。


 エンドラインからのスローインで、敵は大きく振りかぶってロングパスを出そ

うとしている。


「しまっ」


 このパスが通ったら、間違いなく決められる。


 俺は必死にコースを塞ぐために手を高くあげて、ジャンプした。しかしボールは俺の手にかすることなく、俺の頭の横をすりぬけて飛んでいく。やられた。眼を瞑った。そのときだ。


「適材適所ってね。こういうときの俺だろ」


 バンっとボールをつかむ音がして、なにか大きな塊が俺の背中からぶつかってきた。あまりの衝撃に、俺はつんのめって床に転がった。だがうしろからは豪快なダンクを決める派手な音がして、歓声が沸きあがる。同時にホイッスルも鳴っている。


「大丈夫か」

 バスケットボールを片手で持てるほどの大きな手が、尻をついた俺に差し出されている。世界がクラクラと揺れながらも、ダンクを決めた渕上先輩の手を借りて立ちあがる。


「味方を弾き飛ばすなんて、どういうつもりっすか」


「ピンチを得点に変えてやったんだ。感謝しろ」


 渕上先輩はだるそうにコキコキと首を鳴らす。相変わらずこの先輩は飄々としている。だけどこのうえなく心強い。


「大丈夫かね、君」


 ホイッスルを口から離した審判が、派手にずっこけた俺を心配して歩み寄ってくれた。


「すいません、大丈夫です」


「では、スローインから試合を再開します」


 今度こそはしっかりとした守備を固めるために、俺たちは自陣へと駆け戻った。


 それからの三分間はたがいに拮抗状態。


 敵の監督の指示で俺へのマークも厳しくなり、なかなかフリーの状況を作りだせない。椎葉先輩も敵を振り切れずに持て余している。頼みの渕上先輩も、敵の速攻を気にしてか攻めに参加できていない。長友先輩は疲れてしまったのか、動きの切れが格段に悪くなっている。


 しかしコート上の監督だけは違った。


「あと一本、取りにいくぞ」


 吉本先輩が必死の形相で俺たちを鼓舞する。


 吉本先輩は後半に入っても腰の低いディフェンスで、相手の一番を徹底的にマークし、攻めるスピードを遅くしてくれる。後半になってもそれが可能なのは、去年のあの屈辱を忘れることなく、一番走り込みをしていた吉本先輩の努力があったからだ。


 敵は執拗なディフェンスにイライラし、なかなかパスを出せない。


 俺は時計を見る。残り十秒。


「渕上先輩!」


 俺は渕上先輩に目配せする。すると先輩は俺のやろうとすることを汲み取り、目線だけで了解の合図をくれた。俺は掛けに出た。


 俺と渕上先輩は自分のマークを放置し、吉本先輩のマークするガードに一気に詰め寄った。


 敵のガードは俺たちの奇策に気づいて、フリーの味方にパスを出そうとする。しかし吉本先輩がそれを阻み、ボールは手放せないたまま。


 俺と渕上先輩、吉本先輩の波状攻撃で、敵のガードの身ぐるみを剥がすように取り囲む。もみくちゃになりながら三人でボールを奪いにいく。敵は取られまいとボールを抱えこんだ。


 数秒の格闘の末、敵のボールを渕上先輩が奪いとる。そして自陣のまんなかでこちらをうかがっていた長友先輩にパスを通した。


 時計を見る。残り三秒。


 吉本先輩が叫ぶ。「長友、打て」


「あー、もー」長友先輩はヤケクソ気味でボールを投げた。


 距離を稼ぐために両手で打ち出したシュート。フォームなんてあったもんじゃない。それでもボールはリングにまっすぐ近づいていく。


 まさかと思っていたが奇跡が起きて、みるみるゴールリングに吸いこまれていくボールは、そのままネットを揺らした。


 その瞬間、第三ピリオドの終わりを告げるブザーが鳴る。俺たちは腰を抜かし、長友先輩を仰ぎ見る。当の長友先輩が一番驚いていた。


「入っちゃったぁー」


 固まる先輩に俺たちはハイタッチの両手を構えた状態で押し掛ける。


「さすが先輩」「ブザービーターか」「さすがは長友だ」「今のはでかいぞ」


 俺は得点板をふりかえる。ついに二点差。差はないに等しい。勝てる。


 俺たち五人は優勝旗に手が掛かったことを確信し、全員で肩を並べて意気揚々とベンチへと戻っていった。

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