★☆約束の彼方に 8


 ★


 俺はボールを持ったまま、なにも出来ないでいた。


「おい、パス!」「なに縮こまってんだよ」「急げ、時間がない」


 俺は苦し紛れにシュートを放った。だがゴールボードを激しく打っただけだ。そこで第二ピリオド終了のブザーが鳴る。これで全四ピリオドの半分が終わった。残り半分のピリオドしかない。


「……作戦会議だ」


 吉本先輩は苦しそうな顔を浮かべながら、自陣のロッカールームへと切りあげていく。俺も遅れないように追いていく。しかし俺たちレギュラー陣の表情は険しかった。


 八点差で、負けていた。


 俺たちの負のオーラが立ちこめるロッカールームは淀んだ空気で満ちていた。

だがチームの旗色が悪いのは、点数差以上の理由があった。


「お前ら、前半を終了して八点差だ。まだまだ挽回できる。みんないい動きをしているじゃないか」


 木室さんは持ち前の人当たりの良さで、どんよりと落ちていく空気を軽くしようとする。


 たしかに皆の動きは悪くなかった。


 選手として試合に集中できる吉本先輩は、正確なパスと判断力でさすがの試合運びだったし、攻めに守りに渕上先輩は大活躍。


 やや長友先輩がスリーポイントを外していて波に乗れないところもあったが、それもハイリスクハイリターンの勝負運が絡むもので、なにより椎葉先輩がリバウンドを取れていたので問題なかった。


「みんな、ってのは素直に頷けないな、木室さん」


 渕上先輩は清涼飲料水をがぶ飲みしながら、怒りの声を露にする。空になったペットボトルをゴミ箱に荒々しく放り投げた。


「どういう意味だ」


「わざと、そう言っているんじゃないでしょうね」


 渕上先輩が木室さんを睨んでいる。いくら木室さんが先輩と言えど、勝負のまえでは熱くならざるを得ない。椎葉先輩も渕上先輩の肩を持って、ベンチで黙っている俺を見下ろしている。


「透の動きが悪すぎます。シュートはどフリーでも外すし、ディフェンスも身が入ってない。前半の最後あたりなんて、ぼさっと立ち惚けてるだけ。はっきり言ってこの得点差は、透の責任だ」


 椎葉先輩はきっぱりと責任の所在を突きつけた。部員全員に緊張が走る。


 分かっている。控えの奴らは口にこそ出さなかったが、おそらく同意見だろう。さっきまでの二十分で、俺が上げた得点はたったの二点。それも相手の隙をついた速攻だけだ。


 これではエースとしての働きどころか、チームの厄介なお荷物でしかない。そんな殺伐とした雰囲気に、温和な長友先輩がフォローを入れる。


「たまたまだよー。二年生だしー、緊張してるんだよー。ねぇ、透ちゃん」


「緊張して使い物にならないくらいなら、いないほうがマシだ。チームの迷惑になる」


 吉本先輩も勝利のために心を鬼にしていっているようだ。さっきから俺を見ようとはしない。


「透、なにか言いたいことは」


 もし後半も試合に出たいのなら、次こそはやってやると言うべきなのだろう。しかしそれを誓う気力も、体力も、完膚なきまでに打ち砕かれていた。


 言える訳ねぇよ。

 足に力が入らず、高く飛ぶことも、走ることも出来ねぇんだから。


 自分が一番よく分かっていた。俺は紛れもなく、このチームのお荷物だ。


 俺は悔しくて、情けなくて、不甲斐なくて、じっとなにもつかめないままでいる、両手を見つめる。


 シュートを打てる場面でも怖じ気づいてパスを出し、ことごとくカットされた。相手のチームから、俺は格好の獲物と思われている。


 レギュラーの先輩たちの怒りも当然だ。補欠の先輩たちの冷ややかな視線や、同期、後輩たちの気配を押し殺す雰囲気。それらが自分の価値を値踏している。


 俺は自分がたらい回しにあった中学二年生の自分に戻っていた。なにもできない、無力な自分。


「なにもありません」


 その一言を言うと心が軽くなった。誠は俺を睨んできたが、すべてがどうでも良くなっていた。裏切られたと言いたそうだ。それすらもどうだっていい。ここが俺の限界だ。


 俺はすべてを流れに任せることにした。自分はずっといらない存在のまま。ごめん、裕にぃ、舞ねぇ。役立たずのままで。築きあげた自信も、すでに灰燼かいじんに帰していた。


「それなら、交代は剣持か」


「それが妥当だろう」


「そんなー」


 俺のことを余所に、先輩たちが次から次へと話を展開させていく。すみません、先輩方。だけどこれも仕方ない。


 これが俺の望んだ勝負の世界だ。調子が悪ければ、交代するのは当たり前だ。これでいい。これでいいんだ。あとは剣持先輩が入ってなんとかしてくれる。


「剣持、アップはできているか」


「ああ、もちろん」


「緊張なんてしている場合じゃないぞ。どんどんパスを出す」


 お荷物がいなくなったチームは、一つの円として結ばれようとしていた。


 そうだ。そもそも俺がレギュラーに入ったこと自体、間違いだったんだ。剣持先輩が入れば、コートに立つ五人全員が三年生になる。そっちのほうがチームの一体感もあがるだろう。


 いや、最初から考えれば、バスケ部に入ったことすら、間違いだったのかもしれない。


 バスケ部に入らないでも、ただ走って汗をかくだけでよかったじゃないか。そうすれば剣持先輩も俺みたいな生意気な後輩に頭を悩ませることもなかった。


 やはり自分は、どこまでいっても要らない存在なんだよ。


 俺の頭でずっと囁いていたもう一人の俺も、たいそうご満悦だ。


「お前は諦める姿が、お似合いだ」


 俺がこんなんだから、颯太も離れていくわけだ。当然だよな。


「やっと認めたか。よかったな、颯太の重荷が減って」


 そうだな。たしかにその通りだ。俺はそんなふうに、納得しかけていた。

 そのときだ。


「お前たち、なにか勘違いしていないか」


 どすの効いた声が響いて、ロッカールームに静寂が落ちる。俺も含め全員が、ベンチの側で沈黙していたその人に注視する。決意の表情を固める木室さんは、仁王立ちしながらチームに告げた。


「監督は俺だ。交代はなしだ。このまま続行する」


 部員全員が驚きを持って木室さんを窺う。


「なにを言っているんだ、木室さん」渕上先輩が叫ぶ。「透は駄目だ」


 椎葉先輩も憤然とした態度で木室さんに反抗する。


「さすがに木室さんでも、それには従えません」


 そのあいだで、長友先輩がおろおろしている。木室さんはまったく怯まない。


「なんど言えば分かる。監督は俺だ。透の交代は認めない」


 木室さんはきっぱりと言い切った。吉本先輩は自分の感情を押さえながら、努めて冷静に尋ねた。


「そこまで言うからには理由を教えてくれませんか。さすがに理由がなければ、剣持も部員も納得しません」


「そうだな」


 木室さんはベンチに座っていた俺のまえに、ゆっくりとしゃがみこんだ。


「透、お前は本気を出していないだけだよな」

 

 俺は必死に首を振る。違う、出せないのだ。


 どれだけ体に言い聞かせても駄目なんだ。どれだけ先輩たちと厳しい練習を耐えてきたことを考えても、裕にぃや舞ねぇのことを想っても、足が前に進まない。


 汗だらけのユニフォームズボンからのぞいていた俺の膝に、木室さんは無言で手を置いた。それでも俺は、木室さんを直視することができない。


 できるならば逃げ出したかった。だれも俺を知らないところへ行きたい。


「俺はもう一度見たいんだ。お前がもう一度、いきいきとプレーするところを。それを見せてくれるまで交代はしない。それに透も、このままじゃ引き下がれないだろう」


 木室さんは俺が走れない理由を見つめていた。


 俺と颯太とのあいだに生じた亀裂。


 そのせいで走れないなんて、言えるはずもなかった。ずっと気づかない振りをしていた、ぬぐえない違和感。


 今なら分かる。颯太がいない。俺を今までだれよりもそばで応援してくれた、あいつが。


 そんな俺と木室さんのやりとりを、皆が固唾を飲んで見守っている。


 すると大会運営のスタッフがやってきて「時間です。コートに集合して下さい」と声を掛けてきた。選手交代のタイムオーバーだ。


「さあ後半戦だ。はりきって行こうか」


 木室さんが空気を変えるように手を叩き、そのままロッカーを出ていった。木室さんの背中が遠くなる。


 次の瞬間、椎葉先輩が俺の胸をつかんでロッカーに俺の体ごと叩きつけた。凄まじい音が俺の耳に届き、そして背中が真っ二つに割れたような痛みが電流となって脊髄を駆け抜ける。


 いきなりのことで身動き一つ出来ない。部員たちが驚いて止めに入る。


「椎葉先輩、止めてください」「試合中ですよ」「もう、めちゃくちゃだ」


 椎葉先輩は俺の胸をひねりあげて、痛いくらいに締めあげる。あまりの力に体が浮いて息が出来ない。


「ふざけんなよ。お前のせいでメチャクチャだ。お前はなんのためにコートに立っている。木室さんの背番号と期待を背負ったエースなんだろう。がむしゃらにボールをおいかけろよ」


 そこで渕上先輩が止めに入る。「馬鹿かお前、試合中だぞ」


 渕上先輩が椎葉先輩を止めに入ってくれたおかげで、なんとか開放される。肺に穴が空いたように呼吸がうまく出来ない。心臓がでたらめに拍動している。


「いい加減にしろ、仲間割れしている場合か。そんな暇があったらさっさと行くぞ」


 吉本先輩は肩を怒らせながら、忌々しそうにコートに戻っていく。長友先輩は

泣きそうな顔で「先に行ってるねぇ」とロッカーをあとにした。


「透、大丈夫か」誠が俺を心配して背中を擦ってくれた。「怪我ないか」


 その手に擦られながら、俺は自分の存在意義を探していた。


 俺はなんのために、コートに立っているんだろう。

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