★☆約束の彼方に 6


 ★


「よし、落ちついて一本取りにいこうか」


 吉本先輩はハーフラインを超えたあたりでドリブルしながら、俺たちに落ちつくように呼びかける。


 第一ピリオドが始まって三分が経過した。


 しかしたがいに無得点とこう着状態が続いている。会場の雰囲気と決勝戦という重みのせいか、両チームの動きはかたく、まだ相手の出方を探っている段階だ。


 それでも観客席から土砂降りのように降り注ぐ声援は、俺たちの体力をあっというまに吸いあげていく。俺たちは早くも肩で息をしていた。


 俺はあの手この手でマンツーマンのディフェンスを出し抜こうと仕掛ける。だけど上手くいかない。相手はもの言わぬ影のように、どこまでもしつこく追いすがってきた。まるで自分の影と踊っている錯覚に襲われる。


 ここまで完璧に封じ込められるとは予想していなかった。それは相手のディフェンスが優れているというより、むしろトップギアで攻め切れていない俺に問題があった。


「いくぞ」


 ここで吉本先輩が強引に右から切り込んで突破を狙う。それに呼応するように、俺は吉本先輩の反対側へと移動する。ゴールポストを横切りながら、ボールをくれとアピールする。だがパスはこない。


 代わりに俺と同じ側のスリーポイントエリアにバウンドパスが出た。長友先輩がボールを受け取ってゴールを見据えた。この瞬間、敵チームの意識が長友先輩に絞られる。長友先輩のスリーポイントは決勝の相手にも十二分に警戒されていた。


 長友先輩が膝をぐっと曲げてシュート体勢に入る。長友先輩をマークしていたディフェンスはスリーポイントシュートがくると勘違いし、慌てて飛んだ。


 しかしこれは、長友先輩のフェイントだった。


 長友先輩は空中で身動きできないディフェンスをちいさなドリブルでかわし、そして今度こそ本物のシュート体勢に入る。だが相手チームも臨機応変に対応する。俺のディフェンスをしていた三番がフリーになった長友先輩のカバーへ入る。


 ここで冷静な長友先輩は、すかさずノーマークの俺にパスを出した。俺はフリーの状態でボールを受け取った。遮るものはなにもなかった。


 俺はコートの右隅、二ポイントエリアからジャンプする。あとは離すだけ。普段なら絶対に外さない。


 だがなぜかこのとき、俺の心にはためらいがあった。今日のリングはやけに遠い。ボールがリングを揺らす像を想像できない。


 駄目だ。外す。


 俺は両足を浮かした空中で、シュートから渕上先輩へのパスに切り替えた。それが運悪く、敵にカットされてしまう。


 一気に攻守は逆転する。


 相手チームの体が一斉に、俺たちのゴールを公略するべく傾いていく。


 相手は巧みなパスさばきで、あっといまに先回りしていた一番にパスをつないだ。俺たちは自陣のゴールを守るべく、全速力で色とりどりの線が引かれた床を駆けあがっていく。だが独走状態の一番との差は縮まらない。


 ただし一人だけ、足の回転が別次元の味方がいた。敵はレイアップに移行しようとドリブルを止めた。そのとき、一瞬だけボールを下に引いた。その隙を見逃さなかった。


 背番号四番を背負ったチーターが、獲物の頚髄に牙を突き立てるかのようにピンポイントでそのボールだけをはたいた。すると相手の手からボールがこぼれ、エンドラインを割る。プレーが途切れる。


 相手は千載一遇のチャンスを潰されて顔をしかめていた。


「よく戻った、椎葉」


 渕上先輩が胸を上下させながら、値千金のプレーを褒めた。


「カバーなら任せろ」椎葉先輩は呼吸を整えながら俺に向き直る。

「なにやってんだよ、お前らしくない。どんどん打っていけよ。外した分は俺がリバウンドを取ってやるよ」


「そうだよー。僕も一緒に頑張るからさー」


 長友先輩は、俺の背中に優しく手を添えて激励してくれた。


「まずはこっちがぁー、先制点だぁー」


「すいません。次は決めます」


 俺は先輩たちに早口で伝え、自分のマークの守備へと戻っていく。体のいたるとこるから嫌な匂いのする汗が噴き出している。


 そんな俺の背中に、中途半端なプレーへの避難の視線を感じる。それはねっとりと絡み付く、値踏みする視線。


 どうしたんだよ、俺。全然集中できてねぇじゃねぇか。


 それだけじゃない。自分自身の内側からずっと声がしている。そいつはずっと俺の頭のなかで、同じ言葉を飽きずに、なんどもなんども呪詛のように繰り返している。


「おまえはだれにも必要とされない、ゴミだ」


 暴走する頭の回線を無理矢理ショートさせるように、思いっきり首を振った。だが焦りは消えない。スポットライトが眩しく感じ、いやに残り時間が気になる。


 あんなフリーの状態でシュートを打たないなんて、どうかしてる。ここが一番の正念場だぞ。思い描いた夢舞台だぞ。しっかりしろ。


 だがいつもなら羽のように軽いバッシュは、砂が詰まっているかのように重い。大会で使用しているボールはいつもとなんら変わらないはずなのに、手に馴染む気配がない。失敗するイメージばかりが先行する。


 俺は泥沼にはまりかけていた。


 もがけばもがくほど裏目に出る。自分の不調をなんとかしようとすればするほど、よけい集中力や体力が削がれていく。


 噛みあわなくなった歯車をどうにかしようと、俺はもがいていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る