★ヒーロー・カム・バック

「重荷でしかない」


 颯太のさっきの言葉が、心の深いところを引っ掻き続ける。


 くそ、なんなんだよ。俺は一人カッカしながら部室の隅っこで苛立ちを露にしていた。周りの奴らもそんな俺を察してか、話しかけてはこない。


 準決勝に勝った俺たちは各自帰宅し、十八時から学校集合という流れになっていた。明日の決勝を前に、試合相手の準決勝のビデオを見て動きを研究しようという訳だ。


「よし、このくらいにしよう」


 画面が暗転すると、吉本先輩がテレビの電源を切りながら全体に声を掛けた。どうしようもなく退屈だったミーティングもやっと終わりらしい。部室にすし詰めにされている部員全員が注目しているのを確認し、吉本先輩は総括を開始する。


「皆の頑張りが実を結び、ようやく去年と同じところまで来た。ここまでの試合ぶりで、去年の準優勝がまぐれではないことを他校に証明することが出来ただろう」


 前置きとかいらねんだよ。


 人目もはばからずに舌打ちする。そんなことどうでもいいから、さっさと終わってくれ。俺はとっとと練習がしたいんだ。体があの体育館の空気を求めてうずいている。気持ちがずっと高ぶっていた。


 べつにそれは、颯太とケンカしたからじゃない。どこまでもガキ臭くて、勝負に甘くて、いつも人の後ろで心配している奴との約束なんて、どうでもよかったし、そんなことに怒ってる訳じゃない。


 あんなヘタレはどうでもいい。どうでもいい、どうでもいいんだ。


 決勝戦を前にみなが我を忘れ、食い入るように吉本先輩に注目している。俺一人を除いては。


「だがここで負けては意味がない。次の大会に進めるのは優勝校のみ。負ければ俺たちはそこで引退だ。まあ、下級生はこんな口うるさい先輩、早く引退しろと思っているだろうが」


「そんなことありません。先輩たちにはずっといてほしい」


 誠が叫んだ。

 そんな誠の一声に部室中が和やかな雰囲気に包まれる。イライラした。


「ありがとう、誠。しかし現実問題として、相手は去年、うちを負かしたチームだ。敵も世代交代をしっかり行っている。チームとしての機能力や個々の能力を鑑みても、確実に去年より手強い」


 吉本先輩の冷静な分析の前に、部室は静まり返る。


「吉本、うちも強くなってるぜ。去年よりずっとな」


 椎葉先輩が口を挟んだ。部員を鼓舞するような口ぶりだ。吉本先輩は壁に取り付けてあるデジタル時計を確認しながら部室のドアに移動する。そしてドアに背もたれて頷く。


「もちろんそうだ。悲願の優勝を勝ち取るために、去年よりも格段に練習量を増やし、厳しい練習を耐えてきた。それでも勝算は五分五分だ」


「五分五分ってのは贔屓目ひいきめに見て、だけどな」


 渕上先輩が組み合わせた手の甲に顎を乗せる。


「相手にはちゃんとした監督がいて常に的確な指示を出してる。あれをされるときつい」


「そう、俺たちには監督がいない。俺が監督兼選手として戦って勝てるほど、今回の相手は甘くない」


「ここまで引っ張ってきたキャプテン自ら、白旗宣言か」


 椎葉先輩はパイプ椅子から立ち上がり、吉本先輩に詰め寄る。追い込まれたはずの吉本先輩だったが、淡々とした口調を変えて嬉しさをにじませた。


「違うんだよ、椎葉。俺はこれを予想して、ある人物に臨時の監督をお願い出来ないかと前々から打診していたんだ。俺が試合だけに集中できるようにな」


「聞いてないぞ、そんなこと」


「俺の独断だからな。それにむこうも渋ってな。しつこく説得したら、その人は決勝に残ったらということを条件に引き受けてくれた」


 黙っていた長友先輩だったが、おもちゃをとられてぐずるガキのように不満を漏らした。


「えー、いきなり他の人に監督さんを頼むのぉー、なんかいやだなぁー」


「他人じゃない、長友もよく知っている人だ。というか、部員全員がよく知っている人だ」


「えー、だれー」


 長友先輩だけでなく部員全員に疑問符が浮かぶ。俺も考えを巡らせていた。俺達が知っている人、だと。


「入ってきて下さい」


 吉本先輩が外を確認し、部室の扉を開け放つ。


 部員全員の眼が部室の扉一点に注がれる。扉が開く。そこにはひょろっと長身で、フレームが曲がった眼鏡を掛けた人物が立っていた。そわそわしながら入ってきたその顔は、温和で悪戯そうだ。


 そこには我が校のバスケ部の基礎を作り上げ、今でも俺たちが憧れ続けるあの人がいた。


「吉本、あんまりプレッシャーを掛けないでくれよ」 


 勘弁と言いたげに、木室さんは右手を頭の後ろにあてがっていた。

「木室さんだぁ」「木室さんですか」「マジかよ」「夢みたいだ」「先輩が臨時監督なのか」「すげー!」「これならいける」「ヒーローみたいだ」


 部員全員が一気に活気づく。


 木室さんは「皆落ちついてくれ」と手で制した。それでも一度池に投げ込まれた石が波紋を作り続けるように、部員の熱気は納まらない。


 木室さんは大声で三年に呼びかける。


「お前達の引退試合なんて、力が入り過ぎるから見に行かないって決めてたんだ。でも吉本が優勝のためにどうしても力を貸してほしいってせがむから、手伝うことにした。駄目かな」


 三年が一斉に答える。

「木室さんがいれば、百人力です」「あーあ、これじゃあ負けられないな」「木室さんが監督なんてー、夢みたいだよぉー」


 レギュラー陣は崇拝する先輩の登場にさらに気合いを入れ直している。なんたって木室さんがベンチに座ってくれるのだ。これで頑張れない訳がないとういう顔だ。吉本先輩が懐かしそうに臨時監督に催促する。


「最後に、部員全体に一言を」


「そういうの苦手なんだけど」


 木室さんは苦笑いだった。


「ええっと。この前の試合、隠れながら見せてもらった。皆上手くなっていて驚いた。お前たちなら大丈夫だ」


 皆に笑顔を振りまく。相変わらずこの人の笑顔は人間磁石みたいに人を引きつける。


「明日は決勝戦だ。相手は強い。だが勝機はある。お前たちがベストを尽くせるように、俺も必死に指示を出す。俺の代で果たせなかった、悲願の優勝を勝ち取ってくれ。明日の決勝戦、必ず勝つぞ」


「おお!」


 部員の鬨は、部室の窓が割れるくらいの雄叫びとなって部屋に反響した。でも俺はその輪のなかに入らなかった。ただひたすらに、こんな茶番は早く終わってくれと苛立っていた。


「重荷でしかない」

 颯太の言葉が呪文のようにずっとまとわりついていた。


            ★


 ミーティングが終わると、俺は誰よりも早く部室を離れて体育館に直行した。


 手早く準備運動を済ませると、今までの鬱憤を晴らすように走った。もうこれ以上は一歩も走れないほど走り続け、間髪入れずシュートを放った。試合でくすぶった熱がまた戻ってくる。


 その途中、右の親指の付け根に痛みが走った。テーピングの下から血がにじんでいた。どうやらマメが潰れたらしい。一気に白ける。


「くそ、なんなんだよ」


 俺は疲れた体を、床にどさっと投げ出した。


 ひんやりとした床が火照った体を冷ましてくれる。そうして熱が冷めていくと、弱気になった。俺って颯太にも嫌われてるんだな。……ちくしょう、なんで泣きそうになってんだよ。


 耳に響く静寂。揺れないカーテン。手のなかにあるバスケットボール。誇りっぽい体育館の匂い。


 そして、意味を無くした約束。


 自分が透明になっていくのが分かる。


 このままどんどん自分の輪郭が薄らいでいき、いずれ誰にも見届けられることなく消えていく。なんだかそれも悪くない気分だ。だれにも必要とされないなら、それでもいいのかもな。


 そんな一人きりの体育館に、誰かさんの足音が忍び寄ってきた。後ろの扉ががちゃりと開いて、一人分の足音が俺の耳下に届いた。


「大の字で寝ているなんて大胆な奴だ」


「ええ、なんとなくですよ」


 俺は振り向きもしなかった。失礼なことは分かっていたが億劫だった。


「木室さんは、どうしてここに」


「高校に来るなんて久しぶりでね。郷愁きょうしゅうに駆られたんだ」


「十九歳で郷愁ですか。ませてますね」


 俺の失礼な態度は全然気にせずに「昔からませたガキでね。治らないんだな、これが」と覗き込んできた。それでいて愉快そうだ。そしてコートに眼を向け、こんなにリングって高かったか」とも抜かした。


「やっぱりここが自分の居場所だって気がするな。お前たちの試合を見てたら体を動かしたくなってね」


「そうなんすか」


 俺が立ち上がると、木室さんはフリースローエリアに近づいてパスをくれと催促してきた。バウンドパスを出す。ダンっと大きな音で、体育館の静寂が身を隠した。


「ありがとう。フリースローなんて久しぶりだ、よっ」


 そう言ってジャンプした木室さんから離れたボールは、リング手前に当たって弾き返された。体が丸っきり使えていない。話にならない。


「練習しないと、鈍ってしょうがないね」


 木室さんは外したのを格好悪いと自覚しているのか、笑ってごまかしていた。


「今の渕上先輩に見られていたら、きっと馬鹿にされていましたね。『木室さん、さすがっすねぇ。尊敬しますわ』って」


「あいつって本当嫌みだよな。人の不幸とか失敗が大好物だしな」


「そうですね、あの人は性根が腐ってますからね」


 俺はすこしだけ顔が緩んだ。なんだか久しぶりに笑った。木室さんはボールを拾うために走り出した。その途中でくるりと向きを変え、「あ、そうだ」と言葉を添えた。


「そういえば透、さっきはどうしたんだ」


「なにがです」


「部室にいたときだよ。どこか焦っているというか、思い詰めているというか」

 直球の質問に返事が出来なかった。こんなに面と向かって言われると、咄嗟に言い訳は出てこない。


「明日の大一番に緊張しているのか。試合の透とは大違いだ」


 久しぶりに木室さんに遊んでもらって嬉しいのか、ボールは一番遠いコートの隅まで転がっていた。


「なんでもありません」


「そうか、俺の思い過ごしだったか。それならよかった」


 木室さんはボールをふたたび追いかける。そしてボールを捕まえるとこちらに戻ってきて、手渡しでボールを渡してくれた。


「監督として選手の気持ちを盛り立てる。それができてこそ監督だ」


「……え」


「どんな勝負においても、最後に必要になるのは確かな精神力、ってことだよ」


 なんだかその一言は、俺のなかにある颯太へのあてつけの怒りとか、どこまでもわがままで融通が利かない意固地な部分とか、そんな俺の未熟さを全て言い表されてしまったかのようだった。


 そしたら俺の口から自然と言葉が溢れた。


 木室さんの持つ不思議な雰囲気にあてられたのかもしれない。本当はずっとだれかに聞いてほしかったのかもしれない。一度思いを口にするともう止められなくて、俺はかっこ悪い弱音を吐露していく。


「俺、親友と喧嘩したんです。あいつとは、とても大切な約束をしていた。俺はそう信じていたのに」


 なんでだよ。なんで俺との約束が重荷なんだよ。それが俺の大事な核だったんだ。なんで今になってあんなことを言い出すんだよ。


「だけどもう、どうだっていいんだ、俺なんか。結局俺は、誰にも必要とされないんだ」


 自分が自暴自棄になってるのも分かっている。面倒臭い奴だってことも。でも限界だった。


 一人で受け止めるには、現実って奴は、あまりに厳しすぎる。


「それは違うんじゃないかな」


「違わないんですよ。俺はいつまでたっても」


「透」


 木室さんは俺の手の中にあるボールの中央に手を添えた。笑うでもなく、困惑するでもなく、口を真一文字に結んでいる。どこかその顔は、親友だと思っていたあいつに似ていた。


「お前はチームに必要だ。俺はお前に期待している。監督を任されて本当によかったよ。これっばかりは吉本に感謝しないとね」


 そこで手を離し、俺の頭をワシャワシャと撫でた。なんでだろう。嫌じゃない。


「お前にとって、その子は今でも大切な存在なんだろう。素直になれよ。無理してるのがモロ分かりだぞ。決勝に勝って、その子と仲直り、出来るといいな」


 それは励ましでも労りでもなく、そのままの意味で響いた。また苦しくなる。誰かに支えられる自分がいる。


 俺は自分が嫌いだ。

 だれかに守られるのも、傷つけるのも、どうしようもなく立ち竦む自分も。


「と、透。どうした」


 涙がにじりでてきた。自分はいつも守られていた。


 裕にいに、理沙に、木室先輩に、誠に、そして――


「今は思いっきり泣こうか、明日皆で笑うために」


 颯太。俺はさ、お前みたいになりたかったよ。だれかを内側に入れられる強さって奴に、俺は憧れていたんだ。


「明日は頼むぞ。お前がキーマンだ」


 その言葉に、涙がさらに零れる。そんな俺が泣き止むまで木室さんは側にいてくれた。


 なぜ木室さんがこんなにも皆の憧れなのか、分かる気がした。

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