☆異変

 ハカセと冷、透に亜弥の四人が、はじめて勢揃いで僕の家に遊びにきた。

 

 理由は約一時間前にさかのぼる。だれもいなくなった教室に、僕と理沙を合わせた六人がいた。


 今日はたまたま透も冷も部活がなかった。透は試合前のクールダウン、冷はもともと部活が休みの日だった。ぼくたちは手持ち無沙汰に椅子に浅く腰掛け、だらしなく腕をたらしていた。


「あーあ、楽しいことねぇかな」冷は退屈を告げる。

「プール掃除、楽しかったね」亜弥は過ぎた日に思いを馳せる。

「あっちぃな。どっかですずみたい」透は犬みたいに舌を出している。

「いいか、この問題は」ハカセは僕と理沙に講義してくれている。

「この宿題、難しいなぁ」理沙はシャープペンシルを走らせる。

「ハカセ。同じところをもう一度説明して、もう一度」僕は鉛筆を投げだした。


 まあ要するに、みんな暇だったってことだね。


            ☆


「はじめて来たなぁ。颯太の部屋」


 冷はお初の僕の部屋に興味津々で、机の横に飾ってあるムーミンのパズルや本棚に並べてある漫画に次から次へと眼移りさせては「なよなよした部屋だな」とか、「お、この漫画の続きが見たかったんだ。さすがは颯太」とか言って、勝手にいじくっていた。


「ちょっと冷、勝手に触んないでよ」


 僕は机の引き出しから、上のガラスがひび割れているトランプケースを取り出す。


「なにその反応。さてはエロ本でも隠してんじゃねぇのか」


 冷が悪のりしそうになったけど「ちょっと冷くん。そういうことされたら颯太くんが迷惑しちゃうよ」と亜弥が牽制したら大人しくなった。ああ、勝手に引き出しをひっくり返されなくてよかった。


 ハカセはなんどか僕の部屋に招待したことがあったから、くつろいだ様子だ。


「以前より片付いているな」


「へへ、ありがとう」


「おい、お前らさっさと始めようぜ」透が机をばんばん叩いた。


「よし。それじゃあ早速、ババ抜き始めようか」


 ババ抜きしやすいように、みんなで机を囲む。そしたらみんなが一斉にこっちを向いた。僕の一言を待っているんだ。なんがかこれって飲み会をまかされた幹事みたい(想像だけど)で、ちょっと緊張する。


 僕は張り切って号令を掛ける。


「これより、第一回ババ抜き選手権 イン 石川家を始めます!」


「うぇーい」


 まわりからゆるい拍手が巻き起こる。そうなんだ。暇を持てあます僕たちは、ババ抜きをするために僕の部屋に集まったんだよ。


「ルール、どうしようか」


 気を利かせて率先してカードを切ってくれている理沙が呼びかける。


「地域によってババ抜きもルールって違うから」


「数字だけじゃなくて同じ色のカードじゃないと捨てられない、ってことにしよう」と亜弥。


「それって時間掛かり過ぎない」と僕。


「べつに、そうでもねぇぞ。以前やったけど」と冷。


「俺は多数決に従う」と興味なさそうなハカセ。


「細かいことは言いっこなしで。とにかくやってみようぜ」透が叫ぶ。


「よし、じゃあひとまず配っていくね」と理沙。


 色々意見もあったけど、ひとまずやってみようという流れになった。理沙がカードを一枚ずつ丁寧に切り分けていく。それを僕たちは、エサを前に待てといわれた子犬みたいに今か今かと待った。理沙が配り終わるやいなや、僕と透と冷は一斉に奪うようにカードを取った。残りの三人も、遅れてカードの束を引き寄せていた。


 こうして秀和高校二年生の暇人たちによる、第一回ババ抜き大会の火蓋が切って落とされた。


 僕は配られたカードを、端から昇べきの順に並べる。


 僕は本や小説に書かれている順番とかを、規則正しく並べないと落ちつかない性格なのだ。物事はぐちゃぐちゃであるよりも分かりやすい方がいいよね。


 だけどちょっと困ったことになった。僕は最初の手札から一枚しか減らせなかった。厳しい状況だ。自分は運がないなぁって失望しながらも、顔に出ないよう心がける。ちらっとほかの人の様子を伺ってみた。


 するとみんな同じような枚数で安心する。やはりカードの色まで一緒になると、途端にペアは揃いづらくなるみたいだ。しかしこういうときに限って悪運の強い人もいる。


「へへ、すでに三枚だ」透がヒラヒラとトランプをはためかせる。「楽勝、楽勝!」


「劣勢でもなんでも、透なんかに負けないぞ」


 決意表明した矢先、胸がなんかドキドキしてきた。しかしそれは意識しなければ気づかないくらいに淡いものだ。これって理沙のドキドキだよな。どうしたのかな。


 理沙の顔を覗いてみても、普段通りニコニコして、カードを右から左へ入れ替えているだけだ。


 あ、もしかして。


 僕はそこである可能性に思い当たった。理沙がジョーカーを持っているのかもしれない。それで皆にバレないように振る舞っているから、ドキドキしているのかも。


 僕は自分の感覚に意識を集中させ、ドキドキの出所をもう一度探ってみる。もう一度調べてみても、やっぱりそれは理沙の感覚だった。これではっきりした。理沙が間違いなくジョーカーを持っている。


 僕はそこで冷静に状況を確認していく。理沙は僕の向かいに座っていて、一番遠い位置にいる。


 どちちからカードを引くことになっても、僕のところにジョーカーが回ってくるまでに二人はあいだに挟むことになる。これならしばらくはジョーカーを引く心配はない。僕はしめたと思った。こういうゲームのとき、共感覚は仇になる。おたがいの感覚が伝わりすぎるのも、いいことばかりじゃない。


 僕たちはカードを引く順番をみんなで話し合う。普段は面倒くさがりな僕たちだけど、楽しくなることになるとついつい熱くなってしまう。


「よし、だれから引くことにしようか」と理沙。

「だれからがいいんだろう」と僕。

「場所を提供してもらったし、颯太くんか理沙のどっちかからで時計周りでいいよ」と亜弥。

「賛成」とハカセ。

「えー、なんか嫌だ」と透。

「俺は異議なし。まあ順番なんてどうでもいい」と冷。


 そういうことになり、僕と理沙はじゃんけんした。そしたら僕が勝ったので僕から時計回りに始まった。


 僕は隣の亜弥からカードを取ろうと吟味する。


 そのあいだ亜弥は唇をぎゅっと横に結んで、カードを持つ自分の右手首から視線を逸らさない。ポーカーフェイスだ。でもその真剣な顔も可愛いから困ってしまう。「えい」一番端を取った。ハートの2。揃わない。


 次は亜弥が冷から取る番。冷は五枚ある手札のまんなかのカードだけ、目立つように飛び出させていた。そしてわざとなのかカードを持つ手を小刻みに揺らす。亜弥に揺さぶりをかけているみたい。


「亜弥ちゃん、まんなかがオススメだよ」


「やな感じ」亜弥は迷ったあとで眼をつむりながら、まんなかのカードを取った。そのあと怖いものをみるようにうっすら眼を開け、ふふんと笑顔でミツバとスペードの七をそろって場に置いた。


「やられた、亜弥って素直だな」


「その作戦、なんの意味があったんだよ」透は自分が勝つのを疑っていないのか余裕だ。「馬鹿な冷らしい作戦で、尊敬するなぁ」


「ウッセェ、黙っとけ。古典の最低点馬鹿」冷は悔しそうにふとももを叩いた。 


 今度は冷がハカセから引く番。


 冷はなんのためらいもなくまんなかの一つ左にあったカードを引いた。そしてなにも言わない。揃わなかった

みたいだ。


 そして今度はハカセが理沙から。


「次、ハカセ」理沙はハカセにカードを向ける。


 ここでハカセが、ハカセとしての真価を発揮する。彼は理沙の顔をまじまじと見つながら、一枚のカードに手をかけた。その表情は勉強しているときよりも真剣そのもので、思わず僕は吹き出してしまう。


「理沙、このカードはダイヤの3かい」


 微笑で心の内を隠す理沙の気持ちを、ハカセは透視しているみたいだった。そんなふうにしてハカセは一枚ずつたしかめていく。だけど理沙の持っている六枚のカードを調べ終わっても、ハカセはカードを引こうとはしない。


 次に「これは、スペードの6かい」と繰り返し、これまた一枚ずつ手探りで調べていく。


「ハカセ、ちょっと長い」冷がさすがに痺れを切らした。「それに不気味だ」


「早くしろよ」透がイライラをぶつけたときだ。


「これだ」


 ハカセは言い切って、一番右のカードを迷いなく抜き取った。そしてそのカードと手札のカードを合わせて、一緒に場に捨てた。僕たち五人は驚いてそのカードを一斉に覗きこむ。皆の視線の先には、ハカセの宣言通りスペードの6と、クローバーの6がペアで並んでいた。


「すっげぇ」「すごい」


 僕たちは思わず叫んだ。「ハカセ、どうやったの」


 ハカセはなんでもないことのように「人間は嘘をつくときや不安になったとき、瞳が右上に動く癖がある」とつまらなそうに教えてくれた。


「その性質を利用して、自分のカードと対になるカードの反応を検分したんだ」


 僕たち全員、ハカセから体半分仰け反った。だっていきなりこんなことされたら怖すぎる。ハカセは頭がいいだけでなく、希代のマジシャンでもあるみたい。


「そうなんだ、はじめて知った」「びっくり人間だな、ハカセは」「なんだその特技」「和哉くん、なんかもう、なんでもありだね」「ハカセは敵に回したくないな」


 みんなハカセの隠れた能力に空いた口が塞がらなかった。やっぱり優秀な人って、色々なことに長けていて面白い。


            ☆


 そのあとも六人の様々な攻防があったものの、六巡して残ったのは僕と理沙と透だった。


 一抜けは希代のマジシャンのハカセで、二抜けはポーカーフェイスの亜弥、三抜けは勢い大事の冷だった。


 次は透が僕のカードを取る番。


 透は僕からカードを引くと「よっしゃぁ、揃った!」と叫んでカードを場に投げた。これで透が四抜けで、僕と理沙が残ってしまった。僕は一枚、理沙は二枚。それまでに一回だけ僕の手にジョーカーは渡ったけど、また流れていき、今は手元にない。次であがるチャンスだ。


「でも透、なにげに危なかったな」「たしかにそうね。一番すくなかったのに」と冷と亜弥は口々に透を囃(はや)し立てる。透は気にせず「いいんだよ、最後に勝てば」とムキになっていた。


 僕はそんな和気あいあいなみんなを見ながら、この勝負もらったと心の中でガッツポーズしていた。


 勝ったも同然だ。なぜなら僕と理沙は共感覚でつながっている。おたがいの手のうちは胸のドキドキで分かってしまう。


 昔、家族でババ抜きをするときもそうだ。


 理沙は緊張しいだから、理沙の手札から僕がジョーカーを取ろうとするとドキドキが強くなって、どれがジョーカーか丸分かりだった。理沙は素直なのだ。


 僕は一枚ずつ理沙のカードを握ってみる。そうすれば僕がジョーカーを手にかけたとき、理沙はドキドキするはずだから。左のカードに手を伸ばす。静かな感じだ。ジョーカーじゃないのかな。


 そんな僕を見ながら「お、ハカセの真似か」と冷が茶々を入れてくる。


「違うよ、どっちかなって迷ってるだけだよ」


 僕は右のカードに手に伸ばす。


 これでどっちがジョーカーなのか分かるはずだった。しかし異変が起こった。右のカードも静かな感じなのだ。僕は焦った。どうなっているんだろう。


「なんだか颯太くん、真剣な顔で悩んでいるね」


 亜弥は僕の焦りに気づいていなかった。


「しょ、勝負だしね」


 適当に話を合わせたが、それどころではなかった。もう一度二枚のカードに触れて見る。なにも感じない。


 なんで共感覚が発動しないんだ。


 そのとき、僕は理沙のドキドキどころか、理沙からの感覚をなにも感じていないことに気付いた。一体どうなっているんだろう。こんなのはじめてだ。ただただ焦った。理沙は眉をひそめ、不思議そうにカードを持つ手をすこし下げた。


「悩むのは分かるけど、男は度胸だ」透が僕の肩に腕を回す。


 背中を流れる冷や汗が、いやにはっきり感じられた。


 なにかがおかしい。理沙の気持ちが分からないだけなのに、僕の手はみっともなく震えてきた。


 僕の心に不穏な風が吹き荒れて、体の温度を一気に下げていく。ぐにゃぐにゃとその風に心がゆれ、カードを持つ理沙の手が果てしなく遠く、ゆがんでいく。


「颯太。大丈夫か」


 透の心配する声で僕は我に帰る。「……大丈夫だよ」


 僕は震える手で左のカードを取った。そのカードをめくる。そのカードはジョーカーだった。ジョーカーのピエロが泣き笑いの顔で僕を嘲笑っていた。そしてそいつは震える僕に言い放った。


「ついに、このときが、きた」

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