★喧嘩するなら徹底的に

「おい、お前ら。やる気はあるのか」


 ここ最近の練習の弛んだ雰囲気にかつを入れるべく、吉本先輩が練習を中断して全員を集合させた。部内では試合に出られるレギュラーと補欠にも入れなかった奴とで、部活に対する熱の入れ方に差が出てきていた。


「いいか、俺たち三年にとっては最後の大会だ。今回こそ、悲願の優勝を勝ち取る」


 吉本先輩の声は毎日の号令や声出しで掠れていたが、だからこそ、部員たちを揺さぶる力は大きかった。


「苦しいときにどれだけ頑張れるかが、ここぞの一点を競ったときに生きてくる。疲れているのは皆同じだ。是が非でも喰らいついてくれ。さあもう一回、二対一の練習だ」


「はい」


 気合いを入れなおした威勢のいい返事が、体育館の天井を揺らす。


 吉本先輩の言葉に部員の大半が気を引き締め直してエンドラインへと走っていく。だがそんな吉本先輩の情熱でも、一向に態度を改めない奴らがいる。三年の補欠組だ。やつらは吉本先輩の情熱もどこ吹く風、集合から戻る際もダラダラ歩く。 


 俺は内心で毒づく。めんどくさいなら辞めちまえ。なんで向上心もないのに続けるんだよ。


 世の中には、続けることにはなはだしく意義を持つ奴らがいる。なんにつけても出席することに意味を置く輩だ。そいつらは出席してなにを得たかは二の次三の次で、出席した自分に点数を与えて満足しやがる。


 俺は二対一の攻撃側に並びながら舌打ちする。


 バスケをやる理由なんぞは個人の勝手だが、勝負に勝つという点から言えば、勝とうとしているこちらの士気を下げるような態度は改めて欲しい。


 勝負は結果がすべてだ。努力は結果を生むために払うべき代償で、努力する行為自体を褒めたところでなんの意味もない。それが俺の譲れない考えだ。


 考えているあいだに列の一番前に躍り出る。一緒に攻めることになるもう一人の味方に眼を向けと、なんの因果か、補欠組の三年だった。


 帰ってきた奴らがその三年にボールを渡し、俺にパスするところから二対一が始める。


 まず俺たち攻撃側は、互いにパスを出しながらコート右を駆けあがる。俺たちが元々並んでいたエンドラインとは反対側のエンドラインにどちらかが足を付けたら、方向を転換し、行きとは反対の左コートでパスを繋ぎながらゴールを目指す。ゴール前には守備をする下級生が腰を落としてゴールを守っている。


「パス!」  


 ハーフコート過ぎで俺は先輩からパスを受け取ると、囮になるために左からゴール下に切り込む。ハーフラインを越えたら自由に攻撃していいのだ。俺の読み通り、後輩はシュートを防ぐためにゴール下からまんまと飛びだして俺に迫ろうとしてきた。


 絶好のパスチャンス。


 俺は後輩の股を通して、中央にいる三年にバウンドパスを出した。角度、方向は問題なし。あとはシュートにさえ持っていけば、ゴールしたも同然。だが三年のそいつは、地面からはね返ったボールをファンブルしてしまい、ボールはサイドラインを割ってしまった。


「わりぃ」


 それだけ言うと、自分の手がすべったと言い訳するように手を上着の裾で拭った。申し訳なさそうにしている。けれどそのあとを観察してみると、三年の補欠の奴らにすり寄って白い歯を見せて談笑を始めてしまった。


 そしてキャプテンの吉本先輩に悟られないように、ふたたび列に並びなおしながら、しれっと壁に背中を付けて休んでいる。


「わりぃ、じゃねぇよ」


 俺はエンドラインに並ぶ守備の列に加わりながら悪態をつく。


 目的意識を持たず、惰性で練習してもうまくなるわけがない。一つ一つの勝負を真剣に取り組み、絶対に負けたくないと思えなければ。みなでしのぎを削らなければ、優勝なんてできるわけがない。


「どうすりゃいいんだ」


 文句は死ぬほどある。だけどどうすれば、建設的な意見として補欠組が聞く耳を持つだろうか。


木室きむろさん。あんたなら、こんな状態でもうまくまとめられるんすかね」


 木室さんは去年卒業した唯一の三年であり、去年のキャプテンだった人だ。天性の人たらしで堅苦しいのを嫌い、先輩ではなくさん付けで後輩に呼ばせていた。


 木室さんの代は木室さん一人しか入部せずに存続の危機だったが、木室さんは持ち前の人当たりの良さと類い稀な才能によって、今の吉本先輩にあたる代をうならせ、次の年に新入生を十五人も入部させた。


 そして木室さんは吉本先輩たちを徹底的に鍛え上げ、次の年には初戦敗退常連の俺たちの高校を一代で準優勝にまで導いた。


 木室さんは相手のことを良く観察し、意表をつくプレーを得意とした。言うなれば『柔能く剛を制す』でいうところの柔のプレーだ。


 木室さんは相手のディフェンスをかわすシュートをたくさん体得していて、負けても負けてもなにくそと立ち向かう当時一年の俺に、手取り足取りバスケの極意を教えてくれた。


 俺がここぞというときに伝家の宝刀として使うフェイダウェイシュートは、木室さんから譲り受けた技で、後ろに飛びながらシュートを放ってディフェンスをかわすことに長けるシュートだ。


「上手上手。俺の次くらいにはね」

「それって、褒めてくれているんすか」

「はて、どっちだろうな」


 木室さんは天然というか、曲者というか、いつだってなにか底が知れないものがあった。


 俺が入部した当時は、木室さんが圧倒的な人間性と実力で部を引っぱり、細かいところを副キャプテンの吉本先輩が詰めることで部の統率は完璧になされていた。


 だが木室さんは卒業し、スモールフォワードのポジションが欠員になった。そして今年の夏、木室さんの三番のユニフォームに袖を通すことになったのは、木室さんに次いで二番手だった剣持先輩ではなく、俺だった。


 かつてチームを牽引し、まとめあげていた人物の代わり。


「そんなの勤まるわけがねぇよ」


 俺は苦々しく呟いた。

 優勝を部の目標に掲げているが、チームがバラバラ過ぎる。優勝なんて夢のまた夢だ。でもその原因を自分は作ってしまっているところもあって――


 ドン!


 エンドラインへと心ここにあらずで走っていた俺の肩に、なにかがぶつかった。意識を戻すと眼前に人が立っている。


「すいま、せん」


 謝ろうとしたが、その人物がだれか分かって歯切れが悪くなってしまう。


「……いってぇな」

 剣持先輩は一瞬気まずそうに顔をしかめ、ぶつかった肩を撫でていた。

「気をつけろよ」


 憮然ぶぜんとして立ち尽くす俺を横目に、剣持先輩は離れようとした。しかし言い残したことがあるのか、途中で戻ってきて久しぶりに俺の名前を呼んだ。


「お前に話がある」ばつが悪そうにシャツの胸元で顔の下を拭う。「練習が終わったら、校門で待ってろ」


 それだけ言い残し、スタスタと守備のためにゴール下に走っていく。


 ついに来たか。動き出した事態に、俺は身構える。


 剣持先輩、じきじきの呼び出し。なかなか怖いものを感じるな。俺はぶつかった肩に嫌なものを感じながらも、それを振り切るように両の頬を叩いた。


 考えるな。いつかは向き合わないといけないことだ。


 俺は気合いを入れなおし、口元に手を当ててメガホンのようにすると、しのぎを削る部員たちにファイトと応援の声を張りあげた。


                 ★


 練習が終わると、俺は自分のロッカーの前で服を次々に脱ぎ捨てていく。レギュラーだけの居残り練があって剣持先輩を待たせてしまっていた。


 俺を直接呼び出すなんて、先輩はどんな話をするつもりなのだろうか。もしかして先輩たちが待ち伏せしていて袋だたきにあうとか。笑えないな、と一人で笑う。


 下のズボンを脱いで制服に足を通したとき、汗だくになった渕上先輩が大きな体を持て余すように入ってきた。


「よう、お疲れさん」


「お疲れ様です」


 渕上先輩は、俺とは反対側のロッカーに腰を屈めて向かう。

 バスケは身長がものをいうスポーツだ。渕上先輩は百八十㎝を超える長身を生かし、一年生からレギュラーに選ばれ続ける不動のセンターだ。


 しかし高すぎる身長はいいことばかりではないらしく、至る所で腰を曲げないと頭をぶつけてしまうようで難儀そうにしていた。


「バスケ以外、この身長マジいらねぇな」


 先輩は一番上でも高さが足りないロッカーに怒りをぶつけるように、乱暴に開け放った。ロッカーの高さに合わせて腰を曲げるのが億劫おっくうらしい。


「羨ましい話っすね」


「だろ、贅沢な悩みだ」


 俺は着替え終わった汗だくの練習着をバッグに押し込み、足早にロッカーを離れようとする。


「待て、透」


 渕上先輩が俺を珍しく引き止めた。先輩と俺の仲は悪くはなかったが、特段良い訳でもなかった。バスケ上での先輩、後輩という感じで、二人で話したことなど指を数えるほどしかない。


「どうかしました」


「今から剣持と話し合いか」


 思わぬ答えが返ってきた。剣持先輩に呼び出されたことはだれにも言っていないはずなのに。


「なぜそれを知っているんですか」


 ふふん、と渕上先輩は鼻で笑った。


「どっかの三年の不貞腐れ野郎と二年の意地っ張り野郎のせいで、部活内のギスギスが酷くてな。そんな奴らが話しているのをたまたま傍で聞いた一年が、真っ青な顔で密告してくれたんだよ」


 話しながら上半身を脱ぐ渕上先輩の体は、体重の割に厚くはない。だが鍛えられたしなやかな筋肉と無駄のない体つきは、ちょっとしたボディビルダーのようではある。まあ、筋トレを欠かさない俺の方が断然上だが。


「まさに問題児同士のぶつかり合い、って訳っすか」


「影でこそこそと陰湿にやられるよりは、そっちの方が断然良い」先輩は愉快そうに笑っている。「たがいに譲れないものがあるから、いがみ合いも起こる。それはべつに構わない。でもお前はあいつが泣きついたからって、レギュラーを譲るようなたまじゃないだろう」


「当たり前っすよ。俺は生半可な気持ちでバスケをやっているわけじゃない」


「それなんだよ、それ」


 先輩は胸元のシャツのボタンを器用に片手で締めながら、荷物をまとめていく。


「お前は眩しいわけよ。圧倒的な実力もあるし、それに見合う努力もしっかりしているだろうよ。だけど勝負に熱すぎてたまに暴走しちまう。試合機会をお前に奪われちまった三年からすれば、格好の嫉妬材料が揃っているわけだ。だけどそういうふうに嫉妬するしかない奴がいるのも、まあ、理解してもいいんじゃねぇの」


 三年の補欠組みを庇うような物言いが、鼻についた。


「ずいぶんと、副キャプテンは同期に甘いんですね」


「当り前だ。俺たちはずっと一緒にやってきたんだから」


 渕上先輩はすらりと伸びた手を入口に向け、帰るぞと促す。俺は先輩と歩調を合わせる。先輩は大股なので、俺はひな鳥のようにちょこまかと足を回転させる必要があった。


「剣持もやっと回ってきたレギュラーを、可愛がっていた後輩にかすめ取られて悔しかったんだろう。そりゃあ、あいつの態度もまずい。でもやっぱり受け入れられなかったんだ。あいつの眼には木室さんの背中が焼き付いてしまっている」


 それは知っていた。この部活にいる人ならだれでも憧れるあの背中。


 俺はそれでも剣持先輩の態度を見過ごすことはできない。泣いてすがられようが、血反吐を吐かされようが、レギュラーを譲る気はなかった。


 俺の胸には颯太との約束があった。それは血よりも重く、なにを捨ててでも優先されるべきことだ。


 黙っている俺を見かねてか「はは、透ってほんと意地っ張りだな」と渕上先輩は断言する。


「そうっすかね」


「間違いない」


 体育館入口の階段を降りて、左右二方向に別れる道の手前で俺達は立ち止まる。俺は自転車通で、先輩は電車通だったから帰る方向が逆だ。


「どうせやるなら思いっきり喧嘩してこい。そっちの方がなにか見つかるさ。喧嘩するなら徹底的に、だ」


 渕上先輩は別れ際に助言めいたことを呟くと、前に拳を突き出した。とことんやれ、ということみたいだ。渕上先輩は飄々ひょうひょうとした人だと思っていたけど、存外熱い人らしい。


「アドバイス、一応、お礼を言っときます。それなら思いっきり喧嘩してきます」


「おう、剣持のしみったれ根性を叩きなおしてやれ。それじゃあ明日な」


 先輩は足下の石を蹴り飛ばしながら帰っていった。その背中をなんとなく眼で追っていたら、遠くに消える間際にこちらにヒラヒラと手だけ振った。俺はその背中に深く頭を下げる。


 喧嘩するなら徹底的に、か。良い言葉だ。


                 ★


 俺はその後、校門で剣持先輩と合流した。


 そこには鉄パイプも、入れ墨をいれた先輩連中もいなかったので胸を撫で下ろす。


 どちらから話しかけることもなく、俺たちは無言で歩き始めた。重っ苦しい無言は、俺と先輩を足早にさせた。陰気くさく二人で歩いていると、校門を出たところで剣持先輩が口火を切った。


「お前は、俺のこと、嫌いだろうな」


 剣持先輩は前を向いたまま、一言ずつの語感を強めた。俺の気持ちを試しているような言い方に、なんだよその女々しさはと言い返したくなるが、ぐっとその文句を飲みこんだ。


「そりゃあ、嫌いに決まっているでしょう。敵意むき出しで邪険に扱われて、先輩だから我慢しようなんて思えるほど、俺はできちゃいないんでね」


 先輩は自虐的な表情を浮かべる。


「そうだろうな。あんな態度しかとれないなんて、幻滅しただろう」


「今もかなり幻滅していますよ。自分を卑下して許してもらおうなんて、都合が良過ぎる」


 先輩はぎゅっと口を噛み締める。俺は徹底的に手加減しないことにしていた。


「言い訳して、取り繕って、そういう男らしくないところが、俺は一番腹立つんです。俺にバスケを教えてくれた剣持先輩は、そんなしょうもない奴だったんっすか」


「違う。俺は」


 剣持先輩が立ち止まり俺を睨む。


 なぜ俺を睨むんだよ。睨むほど悔しいなら、諦められないのなら、吐血するまで努力すればいい。それをしないでおいて他人を恨むなんて、筋違いだ。


「他人のせいにしたって世界はなにも変わらない。それを影でコソコソ俺の悪口で盛りあがるなんて、惨めっすよ。文句があるなら直接言えばいいじゃないですか」


 先輩は顔を赤らめながらも黙っていた。


「もし俺が悪いなら、ちゃんと謝ります。でも逆恨みなら勘弁して下さい。単純に先輩が俺より強くなれば済むだけ。違いますか」


「でも、俺には時間が」


 イライラした。

 俺のなかの剣持先輩は、カッコいい先輩だった。この人が面倒をみてくれたから、今の俺がいる。こんな卑屈な台詞、先輩には絶対に似合わない。


「言い訳なんて欲しくない。言葉で『頑張る』なんてガキでも言えますよ。目標に向けて努力するようになったら見所がある。ただしそれで結果を出せるのは一握。厳しい現実ですけど、俺は」


 俺は先輩の眼を逆に睨んだ。

 先輩の眼はよどんでいる。俺は二度と、この瞳が恐れや不安で澱まないでほしかった。


「剣持先輩なら、絶対に結果を出せると思いますけど。今度の大会で優勝すれば、次は全国大会に進めます。今回は俺がスタメンですが、次はどうか分かりません。先輩、次の全国大会前に俺と勝負して下さいよ。そして決めましょう。どっちが全国大会のスモールフォワードに相応しいか」


 剣持先輩の眼の色が変わった。

 さっきのどんよりとした眼よりは、俺が信頼し、一緒にいて楽しかった頃の先輩の眼の色を彷彿ほうふつとさせた。


「俺に、チャンスをくれるのか」

 先輩の声は震えていた。でも悪くはない声だ。


「手加減はしませんよ」


 俺の言葉に、先輩はふっと笑みをこぼした。


「お前はどうして、そんなに勝負に熱くなれるんだ」


「なんでですかねぇ」


 そう言いながら胸に浮かんできたのは、俺にはバスケしかないから、という至極簡単なものだった。

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