☆五色の夢 3
外灯が照らす二つの影。それを仲良く平行に伸ばしながら、僕と透は全学年共通の駐輪場へと向かう。
僕は比較的家が近いので、自転車通学は許されていない。それなのになんで駐輪場に向かっているかというと、透が駄々をこねたからだ。
一人で駐輪場に行くのはさみしくて死んでしまう、だって。
高校二年生の男子にさみしいなんて言われても、ちっとも嬉しくないよね。
駐輪場は部活動生で大賑わい。屋根に設置してあるセンサーライトが、色とりどりのユニフォームや部活名が刻まれたジャージを照らしている。
それらが縄張りを主張しているように見えてしまうことと、僕が運動を苦手にしていること。そこにはなにか関係があるのかな。
透はだれかとすれ違うたびに「池永先輩、お疲れ様です」「透、またな」と、僕が知らない先輩や後輩に絡まれていた。
そのたびに透は「彼女とイチャイチャすんなよ」とか、「おつかれっす」と変化を楽しんでいる。
部活をしていない僕にとって、そこはなんとなく居心地の悪い世界だ。僕がこれまで関わってこなかった、部活で繋がる人との輪。
そこで電柱に備え付けてあるスピーカーから、夜の八時を告げるチャイムが鳴り響く。まわりにいる人たちは血相を変えて、自転車の鍵をガチャガチャと慌てだす。
このチャイムの五分後に校門は閉められてしまう。それを過ぎて校内に残っていると、先生たちに烈火のごとく怒られるんだ。
「やべ、急ぐぞ。颯太」
透はお兄さんの
スタンドは裕章さんの代から交換されておらずに赤茶色の
「時間がねぇ、二ケツしようぜ」
透はサドルにまたがると、とまどう僕にうしろの荷台に乗れと手で合図する。僕は小心者なのでオロオロするばかり。
「校内で二人乗りって禁止じゃなかったっけ」
僕はいい子なのだ。そしていい子は、えてしてつまらない。
「怒られちゃうよ」
「いいから乗ってくれ。なんかあったら俺が責任を取るから」
急いでいるのか、透の声は荒い。それでも僕は迷って動けない。僕は透との友情と、先生に
すると透は、僕から強引にカバンを奪ってカゴに押しこむと、宙ぶらりんな僕の手を引っ張る。
「颯太、乗れ」
その声がほんのすこし、友情を掲げたお皿を下へと傾けさせた。
ええい、ままよ。
僕は慣れない動作で荷台にまたがった。すると荷台の編み目にお尻が食いこんで、僕は痛さのあまり背筋を伸ばして涙眼になる。だけどここで弱音を吐いても透に笑われてしまいそうなので歯を食いしばる。
「そうこなくっちゃ。危なかったら俺のジャージをつかめよ」
透はその場で勢いよくペダルを回すと、足にありったけの力を込めて立ち漕ぎを開始した。
すると僕たちを乗せた自転車は勢いよく前進していく。透が踏みこむたび、僕たちの体は速度をあげていく。
透のペダルをまわす力は相当なもので、僕が一人で漕ぐよりもはやく加速した。校舎がうしろに消えて砂利道を過ぎ、どんどん吹き飛んでいく風景に僕は怖くなって、透の汗で湿ったジャージをつかんだ。
なんだか女々しいなぁとは思いながらも、今は落ちないように必死だ。
「透、怖い」
「颯太、顔を伏せとけ」
僕の言葉はなかったことにされた。どうして顔を伏せる必要があるのか分からなかったけど、僕は指示に従う。
熱を帯びた背中に額が触れると、なんだかひどく落ちつかなくなる。すると「おい、おまえら。ちょっと止まれ」と怒号が僕たちを襲ってきた。声からして生徒指導の先生だ。
けれども透は無邪気なもので「こっちは忙しいんで、説教は明日で」と爽やかにいなしてしまう。背中が小刻みに揺れる。透は歯を見せて笑っているんだろうなぁ。
そのあとも先生はなにか叫んでいたけれど、次第に声は遠のいていった。
「『止まれ』の命令で止まるなら、警察なんていらねぇよ」
透はぼそりと呟き、上機嫌に口笛を吹き出した。まえから聞こえる伸びやかな音色にそっと眼を開けると、校門をちょうど通り抜けるところだった。
校門を締めるシャッターの溝で車体はガタンと揺れて、やっぱりおっかないとふたたび眼を閉じる。眼をつむっていても空気が流れるビュウッという音が耳元で騒いで、自分たちの運動エネルギーの大きさを教えてくれる。
「颯太、もう顔を上げていいぞ」
校門を過ぎて数分が過ぎた頃。僕は透の背中にくっつけていた額をおそるおそる離した。
左右を水田に挟まれた
自転車のライトが水面を照らすごとに、水面は水鏡になって光を散り散りに反射する。
「やっぱり、まずかったかな」
僕は学校を離れてなお、生徒指導の先生に明日怒られることばかり気にしていた。二ケツなんて慣れないこと、するんじゃなかった。
「颯太、お前はなにも心配するな。颯太の顔は生徒指導の奴には見えてねぇよ。怒られるのは俺だけだ。安心しろよ」
うじうじした僕の気持ちなんか、透はお見通しだった。宙ぶらりんになっていた透の言葉が今になって、やっと分かった。
僕が怒られないように、顔を伏せろって言ったのか。
「そんなこと言っても、二人乗りはバレてただろうし」
「適当にごまかすからいいって、いいって。俺が言い出したことだし」
「でも」
「いいから」
透は怖がるよりも、むしろ楽しそうに声を弾ませていた。そんなのずるいよ。僕はその透の大きな背中に隠れるように、身をちいさくしているほかなかった。
しばらく田園風景が続いたあと、僕たちの自転車は畦道を抜けてアスファルト道路へと降りた。
カエルが低い声で鳴く道路脇をせっせと走っていると、後ろから走ってきた車のヘッドライトが、僕と透と自転車の影を大きく引き延ばしながら通り過ぎていく。
車のテールランプが消えると、すぐに暗闇が僕たちに迫る。
だけどそれもコンビニの看板が見えてくるまでの話で、コンビニを過ぎると街灯がドミノのように連なりはじめる。滑走路みたいなゆるい坂道を下りていく。すると平和な住宅街が始まっていくんだ。
増える街灯、立ちこめる夕飯の香り。耳に訊こえるのは風のさざめきと、自転車の車輪がまわる音。
自転車のライトで流線型に切り取られる町並みは、なんだかいつもと違って心細い。
黙っているのが怖くなって、僕は無理矢理話を振ってみる。
「バスケの調子はどう」
「え、なんて言ったんだ」
透が振り向く。風の音で聞こえなかったらしい。
「バスケの調子はどうなの」
「ああ、バスケね。絶好調に決まっているだろう。俺の相手になる奴なんていやしねぇよ」
「相変わらず、透は部活にゾッコンだね」
「『情熱を燃やしている』と言ってくれ」
透は含み笑いしつつ「必死なんだ。二年でレギュラーに選ばれたおかげで、先輩連中からのプレッシャーはものすごいからな」と声を低くした。
そこに教室のおどけた調子は一切ない。
透はバスケのことになると、殺気と勘違いするほどの雰囲気を醸しだす。見ていて怖いくらいだ。
そうというのも、僕たちの学校である
まわりからの期待や重圧が、その肩に重くのしかかっているんだろう。
「三年の
「たしか、透とレギュラーを争った先輩だっけ」
僕は風切り音に負けないように大声で相づちを打つ。
高校に入学してまもないころ、透はよく剣持先輩の話をしていた。
自分のことをすごく気に掛けてくれる先輩がいると、その当時は尻尾を振って喜んでいた。だけど透がメキメキと力を付け、剣持先輩の
先輩は透を避けるようになり、透は生意気だとまわりに言い振らすようになった。さらにはほかの先輩とつるんで、下級生に理不尽な態度を取るようになった。
それが人一倍バスケに掛ける透には、許せなかった。
「自分が負けた腹いせに、他人で憂さを晴らすなんてクズだ。あんな奴だとは思わなかった」
容赦がない、きっぱりとした口調に、僕は注ぐ穂を失ってしまう。
透がこんなにキツいことを言うなんて。剣持先輩への信頼がねじれてしまった結果なのかな。信じたぶんだけ、裏切られた反動は大きい。
透と剣持先輩。早く仲直りできるといいな。
僕たちはたがいに無言になる。そのあいだにも二つの車輪は順調に転がり、僕の家まであとすこしのところまできた。
そこで今度は透が口火を切った。
「颯太、あのさ」
「うん、なに」
「今日って暇なの」
さっきとは打って変わって、その声は頼りない。僕は透の背中にもたれるようにして言葉を拾う。この夜風に冷やされたのか、透の背中を覆っていた熱気はうすらいでいる。
「うん、暇だよ」
「そっか、ならさ」
透はペダルを漕ぐのを止め、ブレーキを緩やかに掛けていく。けたたましいブレーキ音が住宅街に鳴り響いた。自転車は止まるまえに、不安定になった僕は荷台からうしろに飛び降りた。
左手には僕の家があった。
入口の白い門の向こうに花壇があって、赤や白、紫のペチュニアがきれいな色で、僕におかえりと揺れている。それらの花々は、亡くなったおばあちゃんが園芸に凝っていた名残で、今はおばあちゃんの代わりに、お母さんがこの花壇を大事に守っている。
「ありがとう、透」カゴから鞄を受け取りながら「で、さっきなにを言いかけたの」
透は暗い顔で「いや、やっぱりいいや。また今度話すわ」と言葉を濁し、よそよそしく目線を泳がす。あきらかになにかを隠している。
「どうしたの、透」
「いや、やっぱりいいわ。またな」
さみしさをにじませているくせに、無理矢理取り
「ちょっと待って。そんな言い方されたら気になるじゃん。ちゃんと最後まで話してよ」
透はなんでもない、を繰り返す。
「面白い話でもないし、また今度で」
「透、あのさ」僕は自転車のまえにまわりこむ。「今の透、すっごい思い詰めた顔だよ。なにかあったんだね。ちゃんと話してくれないと帰らせない」
今日だったら夜通し問い詰めることができた。そう、今日は待ちに待った金曜日だ。透は首を回しながら逡巡し、ぽつりぽつりと言いかけたことをこぼしていく。
「昨日“あいつ”と喧嘩したんだ。どうでもいいようなことだったんだけど、つい、ムキになっちまった」
透は空を見あげている。どこまでも終わりが見えない、ほの暗い空。
「家に、帰りたくないんだ。もし颯太がよければ、今晩泊めてくれないか」
ハンドルを握る手に力が入っているのか、手に捲いたテーピングがハンドルに巻き込まれていく。透の着ている紫色のジャージは、闇にとけこもうとしているみたいに透の輪郭を溶かしていた。
「もちろんいいよ。僕がことわるわけないじゃん。水臭いな」
僕はやれやれと大袈裟にかぶりを振る。
「明日も休みだし、今日から親が旅行で家には理沙しかいないし、夜更かしだってできる」
「そうなのか。俺ってタイミングがいいな」透はくしゃっと笑った。「本当に迷惑じゃないんだな」
「気にしないでよ。僕と透の仲じゃん」
「サンキュー、颯太」
透はやっと肩の力を抜いたようで、僕に聞こえるくらいの息をふうっと吐いた。
バスケの練習でも家にいるときでも、ずっと気を張っているんだろう。それでも透はひたむきに頑張る。
僕はそんな透を、背筋を伸ばして空に笑いかけるひまわりみたいだって、いつも思っている。
「ありがとうな。お前がいてくれてよかった。恩にきるよ」透の声に張りが戻っ
てきた。「それに、今日は颯太に聞いて欲しい相談があるんだ」
「へえ、楽しみだな」
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