☆五色の夢 4
両親は車で出かけていたので駐車場はがら空きだった。透の自転車をそこに置いて玄関へと向かう。
玄関にはすでに明かりが灯っていて、ほのかにお風呂の匂いが漂っていた。理沙が先に帰ってお風呂を沸かしといてくれたのだろう。ありがたいなぁ。
透を引き連れて玄関を開ける。鍵は掛かっていなかった。
「ただいま」「ただいまぁ」
僕の後ろで、透が調子の良いことを言う。透はかならず僕の家に入る前にこう言うんだ。もはや様式美みたいになりつつある。
「なんども言うけど、『お邪魔します』だから。ここは透の家じゃないんだよ」
「ここは俺の家なんだよ」
そんなでまかせで透はニンマリする。
図々しいなぁとは思いながらも、そんなに悪い気はしないのは、さすがに甘すぎるかな。
透は履き潰されたスニーカーを無造作にぽいっと脱ぎ捨てた。脱ぎ捨てた靴を揃えないところに、僕たちの親しさが映っている。
家はとても静かだった。
親がいると色々とうるさいこともあるけれど、いないとなんだか物寂しい。
二階の自分の部屋へ向かうと、遅れて入ってきた透は「相変わらずお前の部屋は片付いているな」と僕の部屋を感心していた。
透は僕の机の横に荷物を置くと、ベッドにあぐらをかいて改まった口調になる。
「そんなことはどうでもいいとして。颯太くん、君に重大な告白がある」
「どうしたの」
僕もベッドに腰かける。そして僕の顔をじっと見つめ、重い口を開いた。
「実はな。昨日、亜弥に告られたんだ」
「え」
あまりの衝撃に、直角二等辺三角形の頂角より前のめりになる。
「そ、それで透。その告白を受けたの」
亜弥は五色の夢に出て来た一人で、理沙の仲良しさんだ。
顔は小顔で端正、誰にでも気を使える優しさを彼女は兼ね備えていて、おまけに胸まで大きいという、ちょっと神様本気出し過ぎでしょ、と恨みたくなる完璧女子だ。
たぶん昔の人が亜弥を見たら『立てばカクシャク、座ればボタン、歩く姿はユリの花』なんて気の利いたことを言うに違いない。
だけど粋の“い”の字も知らないひよっこの僕は、その花たちを見分けることすら危うく、漢字なんてどれだけ考えても出てきそうにない。
ともかく、そんなうるわしの亜弥にハートを奪われた男子はたくさんいる。
亜弥が学校に入学して以降、先輩・同期・後輩含め、述べ三十人以上が亜弥に告白し、ことごとくはかない恋を散らしてきた。
だけど亜弥に振られた男子は、亜弥をねたんだりうらんだりするどころか、むしろ恋の魔法をさらに重ね掛けされてしまうらしく、より一層好きになってしまうのだった。
僕たち男子のあいだでは、亜弥は今のところ誰とも付き合う気はないという結論に達し、皆の亜弥として永久欠番になっていた。遠くから彼女の憂いに帯びた横顔を眺めては、空しい青春時代のお慰みにする人もすくなくない。
「いや、それがさ。断っちまったんだ」
「はあ、正気なの。学校で一番可愛い女子だよ」
信じられない。考えられない。僕は呆れてものも言えない。透の奴、バスケ熱に茹だされてついに気がふれてしまったのかな。
透はばつが悪そうに、後ろ向きにボフッと倒れこむ。汗をかいた格好でしてほしくなかったけれど、今はそんなことで怒っている場合じゃない。
「だってさぁ。俺はバスケと彼女を両立させるなんて器用な芸当、絶対にできねえもん。亜弥と付き合ってバスケに集中できないなんて本末転倒、俺は考えられねぇよ」
たしかに今は大会前の大事な時期だ。でもそれとこれとは別じゃないかな。
「たしかに僕なら骨抜きだろうけど。勿体ないなぁ」
「分かってるよ」
「本当かなぁ。亜弥を独り占めするチャンスだったのに。まあ、いっか。透が皆の亜弥と付き合っていたら、亜弥に振られた男子たちになにをされていたか分かったもんじゃないけど」
亜弥と透が付き合っているなんてバレたら、夜な夜な襲撃されていたもしれない。いや、間違いなくされていただろう。亜弥は男子にとって、それくらい高嶺の花だ。
「そうだよな。あ〜あ、今になって後悔してきた。せめて一回は、亜弥と一発かました後に別れれば良かったぜ」
透は僕の枕に顔を埋めながら足をばたつかせる。透は口では過激なことを言っているけど、そんな意気地はない。
「ちょっと、透。理沙が隣の部屋にいるかもしれないから、変なこと言わないでよ。それにしても亜弥を振るなんて、神経を疑うよ」
亜弥は透みたいに元気な奴が好きなのか。僕はショックを隠しきれない。かなりへこんだ。
もし僕が亜弥に告白されたら、光の早さで付き合うのに。亜弥が恥じらいながらこっちを見つめて、僕の体に身を任せる。その眼はうるうると潤んでいて唇はぷっくり。お肌はツヤツヤ。
うん、そうなったら人生はきっとバラ色に輝くだろう。
「やっぱそうだよな。ああ、失敗した失敗した。人生をあの場所からやりなおしてぇ。神様、頼む」
透は枕に埋もれながら自分の決断に悶々としていた。
「自分で決めたんでしょう。後悔したってしょうがないじゃない」
「それでもさ、後悔するのが人間ってもんじゃねぇの。ダチだろう、優しくしてくれ」
「そんな都合のいい……」
ここで乾いたノックの音が部屋に飛び込んできた。ノックの主は理沙しかいない。
話も一段落したところだったので、僕は「どうぞ」と入室許可を出す。すると理沙がポテトチップスとお茶をお盆に乗せて部屋に入ってきた。どうやら僕たちのために準備してくれていたらしい。
「私も混ぜて」
理沙はお盆をテーブルに置いて、どこに腰を落ち着けようか一瞬悩んだけど、僕のベッドに座ることで落ちついた。お風呂上がりの理沙はくまさんの柄のパジャマを着ていて、腰の位置まで伸びた髪はトリートメントでツヤツヤ濡れている。
こうして三人でいるなんて、なんだか懐かしい光景だ。中学生の頃は、暇があればこうやって三人で集まってゲームとかお喋りしをたんだ。だけど高校に入ってから透は部活、理沙は勉強とそれぞれ頑張ることができ、三人で集まる機会は減ってしまった。
「理沙とこうやって家で会うの、久しぶりじゃね」透は枕の下から生き生きした顔で理沙を見上げた。「可愛い寝間着をお持ちのようで」
「中学校から着ているお気に入りなの。頼まれてもあげないから」
理沙はパジャマを見せびらかすようにして笑った。
「なかなか会えないのは、とおるくんが忙しいからじゃないかな。部活が大変そうだよね」
「バスケは楽しくやっているぜ。理沙こそ、勉強を頑張ってんじゃん。この前ハカセに次いで学年二番だっただろう」
「たまたまだよ。それにあれはハカセのが山を張ってくれたから。颯太がハカセと仲良しだから、勉強で困ったときに教えてもらえるの」
僕はポテチの袋を開けて、皆が集まっているベッドの上に広げた。
この二人が話しているのを久しぶりに見た気がする。なんだか中学時代はいっつも一緒にいたのに、高校では二人でいるところをほとんど見たことがない。
てっきり喧嘩でもしたのかなと心配していたけど、違ったみたい。
実際、僕の胸はドキドキ高鳴っている。これは僕の興奮だけじゃなくて、理沙も嬉しいんだろうな。
野次馬のようにしていた僕に、透がちょっかいを出してくる。
「颯太と違って理沙と話すのはすっげぇ面白ぇな。ちょっと颯太、どっかコンビニで時間を潰してきてくれ。お前、邪魔」
「なにそれ。僕の部屋なのになんで僕が厄介払いされるんだよ。透こそ、どっか行ってくれば良いじゃん」
ポテチを持った手であっちいけとする。透はテーピングを合わせるように掌同士を握った。
「せっかく来てやってんのに、その言い草かよ」
「息をするように嘘ばっかり言うんだから。透が来たいって言ったんじゃないか」
言った言ってないと、水を掛け合う僕たちに、理沙は僕の家のお母さんみたいに、困ったけれどまぁいいか、みたいな顔をしていた。なんだか微笑ましい、という感じ。
「二人は本当に仲がいいね。あなたたちが双子みたい」
「いや、ありえねーし」「いや、ありえないし」
透と僕の言葉はほとんど違わなかった。その口調も、込められた熱量もほとんど同じ。あまりのできすぎに、僕たち三人はそろって吹き出した。
そのあと理沙が透のバスケの話を聞きたいと要望したので、透は部活で名物になっている
髪がクルクル天然パーマで、身長もあまり高くないその先輩は、とにかく喋り方が変らしく、透は口真似を披露してくれた。
「え〜、透ちゃん〜。すっごくバスケ上手いね〜。なんだか〜、こっちが焦っちゃうよ〜」
たしかに喋り方がおっとりしていて抑揚が変だ。
僕と理沙は長友先輩のことを知らなかったけど、その口真似だけで十分に面白さが伝わってきた。
「そんな面白い人がいたなんて、僕は知らなかったなぁ」「私も初耳。もっと有名でも良さそうなのにね」
理沙と僕はポテチをほおばる。
僕がぱりっとポテチを噛みちぎる横で、理沙はサクっと控えめな音しか出さない。女子ってうどんやスープを啜っても音を立てなかったり、焼き肉のたれやお寿司の醤油とかを零さないで口まで運んだりとか、そういう能力に長けている。
ちょっとした神業だ。
「あの人は引っ込み思案だから、バスケ部以外だとあんまり話題に上がらねぇんだろうよ。だけどスリーポイントシュートに関しては達人なんだ。去年の公式戦で十本すべてを落とさずに決めたときは、味方ながら鳥肌もんだった」
透は興奮がフラッシュバックしているのか、やたらと饒舌だ。長友先輩の凄さを雄弁に語る透に、理沙は優しいまなざしで応える。
「颯太、いつかとおるくんの試合を見に行こうよ」僕にそっと耳打ちする。
「うん、行きたい。たしか七月から始まる試合が三年生の最後の公式試合だったよね、透」
「ああ、そうだ」
透は勝利のVサインを作ると、人指し指、中指の先に僕と理沙の顔を差すようにして見比べて、にんまりした。なにか言いたげだ。
僕と理沙が二人揃って横に並ぶと、いつもこんなふうだ。
僕たちが一緒にいるのを見た人は決まって驚き、ドッペルゲンガーに遭遇してしまったように
人間の反応は十人十色というけれど、そうでもないらしいことを、僕は自分の体験から学んでいた。
「なにか僕たちの顔についているかな」
「いやあ、やっぱり世界で超レアな一卵生双生児の男女ってのは、たいそう似ていらっしゃるもんだなって」
「うらやましいでしょう。私と颯太は“特別”なの」
理沙が黒めがちな瞳で僕を見た。僕はこくりと頷くと、本当はそれだけじゃないんだけどねという、人を騙しているときの後ろめたさが胸に浮かんだ。
理沙の意地悪はいいとして、僕たちは何千回、何万回と、似ている似ていると言われ続けている。このままだと、その類いの言葉にゲシュタルト崩壊を起こしかねない。
「目元とか顔の輪郭が特に似ているな。ほぼクローンレベルだ」
「双子って色々と困るんだよ。ちいさいときはだれも僕たちを見分けられない
し、理沙はすごい優秀だからいつも比べられるし」
「颯太は理沙みたいに優秀じゃねぇからな」と、透は心ない一言を遠慮せずに言い放つ。バスケ馬鹿のお前が言うな。
「能力までは似なかったんだろうな」透はそう結論づける。「でも小学生のころは今以上に似ていたんだろう。信じられねぇ。初めて会った中二でも激似だったのに」
「透くん、キョトンってしてたものね」
理沙は僕と透が出会ったときと同じように、すこし意地悪く笑ってみせた。それに合わせて僕の胸にふわっと明かりが灯った。理沙、今日はえらくご機嫌だ。
「いやさ、すげぇ似ていたもんで思わず固まっちまったんだよ。それに今でも身長はまったく一緒なんだろう。そういうのも神秘的っつうか、本当に羨ましい」
「僕はむしろ困っているんだよ、いいもんいいもん、もうすぐ遅れていた成長期がやってきて、理沙よりずっと大きくなってみせるから」
双子ってそんなに羨ましいのかな。
僕はそんな素朴な疑問を抱いたけど、すぐに意識からどかした。そんなこと僕には分かりっこない。考えてもしょうがないや。
そして僕たちはとりとめのない話をして、思う存分、花を咲かせた。時計が十二時を回っても話は尽きず、ちっとも退屈しない夜を三人一緒に過ごした。ずっとこうやって過ごしていたいなって、眠りに落ちる一秒前まで考えていた。
昨日の夜は雨がしとしと降っていたけれど、今日は嘘みたいに晴れていた。無邪気にはしゃぐ僕たちを親の代わりに見守りにきたのか、雲一つない夜空に満月がぽっかりと浮かんで、夜の闇を優しく照らしていた。
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