☆五色の夢 2
みんなが部活に忙しい放課後、黒板の日付や日直が明日に変わった教室で、僕は自分の机でぼうっとしていた。
机のうえには白紙の進路希望調査がある。
それは帰りのホームルームで配られたもので、両親とよく話し合って来月までに提出しろとのお達しだ。今の教室には僕一人だけしかいない。最後までのこっていたクラスメートも二十分くらいまえに出ていった。
もしだれかがのこっていたら、ずいぶん将来のことで悩んでいるんだねと心配されていたかも。だけど僕は進路を真剣に吟味していたわけじゃない。
放課後のゆるみ切った空気を肺のすみずみまで味わうように欠伸しながら、僕はお昼に出されたハカセの謎を解こうとしていた。
ハカセの言うとおり、あの五色の夢はまるで暗示みたいだ。
なぜ僕と理沙だけ同じ色のペンキだったのか――
その答えを自分なりに探していたんだけど、さっきから考えはまとまらず、反復横跳びみたいに同じところを往復している。
なんだかこういう難しいことを考えるのって、僕一人ではもてあましてしまうんだよね。
明日ハカセに頼んで、一緒に謎解きしてもらおうかな。ハカセはなんたってフロイトの『夢判断』という分厚い本も読破している。ちょっと僕とは次元が違うんだ。
そんなことを考えていたら「おい、颯太。まだいたのか」と名前が呼ばれた。ずっと昔から聞いているような、とても耳に馴染む声。
はっと我に返ると、赤々と夕日に染められていたはずの教室は、いつのまにか鉛筆の芯が溶けだしたような暗闇に沈んでいた。
さっきまでどこからか聞こえていた、まのぬけたフルートの音もいつのまにか止んでいる。
「ま〜た、ぼんやりか」
僕の名前を呼んだのは、透だった。
テロテロとした緑のズボンに、風通しの良さそうな黒のバスケシャツ。それに紫色のジャージを羽織っていて、教室の後ろの出口にもたれていた。
足下にはパンパンに膨れた紺のエナメルバックが置いてある。そのバックの中身はきっと、クシャクシャに詰め込まれたかわいそうな制服たちだろうな。
「電気も付けず、一人寂しく座っていた颯太くんに、友達の透くんはびっくり」
透は自分の冗談で頬を緩めながら、僕の横の机に荷物を降ろした。「ああ、疲れた疲れた」とイスをガラガラ引きずるようにしてドカッと座る。
透の体からは部活後のほとばしる熱気がして、それから制汗スプレーの甘い匂いがした。
「おつかれ、透は部活あがりなの」
「ああ。今日は男子バレーが体育館で特別練習する日で、バスケは早めに切りあげたんだ。もうちょい早く終わっていたんだけど、適当にバスケの連中と
透は眼をぱちくりせながら、あくびをかみ殺すように声を振るわせる。僕はお昼のがま口みたいだとほほえんでいた。
「たまたまだよ。考えごとをしていただけ」
「釣れねぇなぁ」
透は右手にまかれているテーピングの位置を直しながら、口元にうすい笑みを浮かべている。
透たちバスケ部は夏の全国大会予選を一ヶ月あまり先に控えている。練習も激しさを増しているのか、透の手は痛々しいほどに皮が剥けていて、テーピングが捲かれない日はない。テーピングって部活動生の特権でなんだか憧れてしまう。
「期待させてごめんね。透は今から帰るつもりかい」
「そのつもり」
「ちょうどよかったよ。一緒に帰ろう」
学校指定の鞄から透明なクリアファイルを取り出す。そこには今日配られた『修学旅行のお知らせ』がすでに入っていた。
そこに進路希望調査をはさんで鞄のなかへ滑らせる。鞄は高校一年から毎日使い込んでいたおかげで、今では形もくずれ、なんだかしょげているようだ。
「おまたせ、帰ろう」
立ちあがった僕とは反対に、透は深く腰かけて黙っている。そうかと思うと、僕にまっすぐ手をのばしてきた。テーピングの白さが、透の手の無骨さを際立てている。
「疲れて立てない。引っ張って」透の甘えた声。
「もう。バスケ部のエースがよく言うよ」
口では文句をつぶやきながらも、僕はその手をつかんで立たせてあげた。
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