第3話 ルール・オブ・デュエル
現れたのは、澄ました顔の中年のオヤジ。
顔じゅうに走る、深く刻まれたシワは、現代社会の荒波に揉まれ、河川にえぐられたことにより出来た、無数の谷底に見える。
紺色のスーツを着込む、この中年男の瞳に、魂の輝きは感じられない。
まるで、その場に置かれた、等身大人形のようだ。
現代の勤め人なのだから、目に生気が感じられないのは、仕方ないとして。
突然、得体の知れぬ世界に来て、平静でいられる人間はいない。
恐らく、この人物は不思議な力により、作られた幻だろう。
異世界に満ちる、魔の力か。精霊が授けた、霊的、力か。人を象った幻の造形は、生身の人間その物に見える。
前沢課長は、深く息を吸い、観戦するオーディエンスにも、聞こえるよう、声を響かせた。
「大手電機メーカー、モットシャープ。営業二課、課長カードをフィールドに配置! モットシャープは、前年度の売り上げが2,500,000円だ!」
***
トラバーユの決闘は、ターン制で進む。
お互いのライフポイントは、10,000,000から始まり、相手の攻撃でライフポイントを消って行く。
まず、名刺を1枚選び、攻撃かサポートかの行動を選択する。
攻撃を選べば、その、1ターンで行動が終了し、サポートを選べば、フィールドに名刺を最大で5枚、置くことが出来る。
そして、この決闘の攻撃は、より高い役職に就いている、肩書きが勝ち、相手へのダメージは、名刺に属する企業の、前年度の売り上げで決まる。
先攻の攻撃名刺が、後攻の役職に負けた場合、先攻の名刺が与えるダメージは半減する。
どちらか先に、ライフポイントが0になった者が負けとなる。
名刺による、異世界での効果は、現実世界で起きた、前年度、以前の経済トピックスを元に、効力が反映される。
不正が発覚した場合、ライフポイントに関係無く失格となり、違反したデュエリストは負けとなる。
***
前沢課長が、選出した名刺の人物を見て、幕ノ内常務は感心しながら言う。
「ほぉ~、モットシャープさんには、私も世話になっておるよ。では後攻……参る!」
後攻、幕ノ内常務。
常務も同じく、ケースから名刺を5枚取り出す、1枚を人差し指と中指でつまみ出し、目の前に放る。
放った名刺が、地に落ちる手前で、力場により、地面のすれすれでピタリと止また。
そして、不気味な紅い光りの柱が、天高く登る。
それは、まるで、灼熱のマグマが立ち上がり、深紅の雷が、地面から湧き出ているようだった。
紅い光柱が消えると、ダルマのようなシルエットが浮かんだ。
いや、その表情自体も、ダルマのような威圧的な顔をしており、角刈りの髪に、スーツを着たダルマと、言い表すのが良いだろう。
大きく見開いた、まん丸の目玉。への字に歪めた口元。
前沢課長は、その貫禄に、幻とはいえ、思わず浅い会釈を送る。
それを見た、幕ノ内常務は微笑ましく見守り、高らかに言う。
「大手通販サイト、ユニゾン。専務カードを配置する。ユニゾンは、前年度の売り上げが、2,800,000円だ!」
前沢課長は、現れた中年の幻に、目を見張る。
「専務カードだと!? いきなり課長職よりも上の名刺を出して来るとは……」
名刺の肩書きを聞いた課長は、落ち着きなく、歯ぎしりをした。
二つの幻は、互いに歩み寄っていく。
その間、全く目を離さそうとしない。
当たり前だ、取引の場で、先方から目を離すなど、言語道断。
ビジネスマナーに反する。
コロシアムの中央に来た、幻達は、1メートルのパーソナルスペースを空け、睨み合う。
そして、互いに変化があった。
――――――――――――お辞儀だ。
商談の場に限らず、まずは挨拶が先だ。
頭を下げて、上体を上げた後、二つの幻は、同時に、背広の胸ポケットに手を入れまさぐる。
目当ての物が見つかったのか、幻達は相手にそれを突き出す。
名刺交換。
互いに名刺を渡しあうと、貰った名刺を確認する。
前沢課長が召喚した、モットシャープ、営業二課、課長は、相手の名刺に、隅々まで目を凝らす。
同じように、対戦相手。幕ノ内常務が召喚した、大手通販サイト、ユニゾンの専務は、受け取った名刺を墨で書き込んだかのような、ダルマの目玉で、マジマジと見る。
名刺が、そのまま目玉に、呑み込まれそうに、見えてしまう。
すると――――――――中年の幻が突然、胸を抑え、苦しみ出した。
働き盛りの中年の男性が、現代社会で健康を維持するのは、なかなか難しい。
――――――――モットシャープ、営業二課、課長はコロシアムの中央で、大爆発を起こす。
専務の肩書きに、ストレスを受けて、モットシャープ課長は心筋梗塞を起こしたのだった。
満月まで立ち上る灰色の煙り、立ちこめる粉塵を見て、前沢課長は苦虫を噛む。
幕ノ内常務は、見下すように課長に、目を向けながら解説する。
「勝ったほうのメーカーの売り上げから、負けた方の売り上げを引いた額が、君へのストレスダメージとなる」
攻撃:常務→課長
ユニゾン - モットシャープ = ストレスダメージ
2,800,000円 - 2,500,000円 = 300,000
課長のライフポイント - ストレスダメージ = 残りライフポイント
10,000,000 - 300,000 = 9,700,000
前沢課長の頭上に、現実世界では読み解けない、古代の文字が浮かび上がる。
鳥や、角などを模した、その異世界の文字は、横に8つ並び、課長のライフポイントを表しているのが解った。
そして、異世界の数字が、ルーレットのように切り替わり、一桁減って、7つになると、前沢課長に襲いかかる。
異世界の数字は、彼の周辺を竜巻のように囲む。
課長は困惑しつつも、取りまく数字を目で追う。
文字は、すぐに回転を止め、その場で時を硬直させると、前沢課長の手や足、腹などに吸い込まれる。
異世界の、未知なる力の洗礼を受けた、中間管理職たる彼は、反り返りながら痙攣。
己のダメージを認識する。
「うわぁぁぁぁぁあああああ!?」
な、何てストレスだ!? 胃に穴が空いたような激痛。
胃酸が逆流しそうな不快感。
明日の出社を考えると、憂鬱になる……。
苦痛が通り過ぎると、スーツを着た、ダルマの幻に焦点を合わせ、おののく。
やはり強い! 専務カード!
専務という肩書きにおののき、1ターン休み。
幕ノ内常務はこちらを、たしなめるように見て言う。
「しかし、君。専務との商談で、名刺を目の前に置くと言うのは、ビジネスマナーに反するのではないかね?」
課長は、力場により、膝の位置で浮く、自らが配置した名刺を見る。
く、悔しいが、その通りだ。
商談の場では、貰った名刺は、端によけて置くのがマナー。
俺は何て無礼なことをしたんだ。
フィールドに浮く、モットシャープ、営業二課、課長名刺は、突風にあおられるように消し飛んだ。
無作法により、もう1ターン休み。
前沢課長の額に、冷や汗がにじむ。
マズい、2ターンも相手に許してしまうとは……。
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