第2話 アフターファイブは異世界で、
――――歓声が聞こえる。
コロシアム全体に轟く歓声は、ストレスという日々の苦行を体現した、魂の叫びともとれ、その響きは、会場内の空気を震わせ、コロシアム全体を異様な熱気に包む。
コロシアムは、民衆の娯楽として栄えたイベントだが、暴動を抑制する意味合いも合った。
観客は命を賭けた決闘に夢中になり、血で血を流す戦いに興奮し、人間が本来、備えている暴力的、衝動を発散していた。
円陣に取り囲む観客席は、古代のローマ人を思わせる、白いローブや茶色のフードを着た来場者が、隙間無く埋めていた。
皆、荒っぽい歓声を上げ、場内は沸騰する湯のように沸いていた。
コロシアムの中央は、石版で埋め尽くされた決戦場が用意され、半径はおよそ50メートル。
その中心には二人のデュエリストが、10メートルの幅を開けて、睨み合っていた。
観客席から見ると、石畳の中心に、2匹の蟻が、立ち上がり向かいあっているように見える。
デュエリスト達は、この場所の風土に、似つかわしくない服装をしている。
一人は、顔面のシワをぬぐうことが、年齢的に出来ない、四十過ぎた男。
黒髪と白髪が絡み、斑模様に見せ、目元は寝不足か、もしくは働きしぎなのか、濃いクマがあり、疲れた顔をかたどっている。
黒いスーツはくたびれて、背中も袖もシワでよれ、かなり長いこと着込んでいるようだ。
武蔵商事 営業三課 前沢課長。
「遂にこの日が来た……俺はこの日の為に、必死に得意先を回り、顧客に頭を下げて来たんだ」
前沢課長は、鬼気迫る気迫を漂わせて、目の前の一点を見つめる。
見つめる先に、もう一人の男がいる。
六十を過ぎた、狸のような男。
髪は抜け落ち、誰が見ても解る、てっぺんハゲだ。月明かりに照らされ、テラテラと氷面のように輝いていた。
顔に深く刻まれたシワと、頰や額のシミも目立つ。
でっぷりと、脂肪を蓄えた腹は、会社組織で登り詰めた人間の、貫禄と自信がみなぎっている。
まん丸の目は、ギラギラと光り、とても、リタイア間近の、老体には見えない。
ダークグレーのスーツは、この日の為に新調したのだろうか。照らされた布地は、光沢を放ち、水面に映し出された月光のように輝いていた。
武蔵商事 幕ノ内常務。
常務は、冷めた目を、自身の部下に向けながら言う。
「私に一泡吹かせようなど、無能な部下が考えることだ」
前沢課長は、スーツの内ポケットから、アルミ製の名刺ケースを取り出すと、上着を豪快に脱ぎ、天高く放る――――――――。
――――――――異世界、トラバーユ――――――――。
労働を意味する、その言葉は、苦痛や拷問が語源とされている。
ここでは、現実世界の苦行を断ち切る為、会社員達は、足を踏み入れる。
トラバーユのコロシアムでは、月に1度、決闘が行われていた。
現実世界で働く企業戦士は、上司に不満を持ち、刃向かうにも、組織のしがらみや、能力差、パワーバランスなどで、太刀打ち出来ないでいる。
そんな、企業戦士の為に、異世界の住人が用意した、決闘の場なのだ。
そして、闘技場に立つ、前沢課長も、その一人だ。
彼は日頃から、目の前の、幕ノ内常務の仕打ちに耐えかねていた。
ある日、勢い余って、彼は上司である、幕ノ内常務に、異世界での決闘を申し込んだのだ。
会社組織では、上司に報復など、そう易々と出来る物じゃない。
自分の上司を打ち負かすには、上司より出世するのが妥当だろう。
しかし、それは時間もかかる上に、心労への負担は図りしれない。
当たり前だが、自分が出世するまえに上司が先に出世し、その空いた席を誰かがが埋める形で収まり、出世する。
出世しても、常に目の上のタンコブのように、嫌味な上司の顔があるのだ。
上司が失脚するか、仕事で並外れた手腕を発揮し、上司をもしのぐ出世をすれば、嫌味な上司より上にはいけるだろう。
そんなことは、そうそう出来ることではない。
現実世界では、上司に勝つのは至難の技だ。
だが、この異世界では、営業成績だけが、サラリーマンの強さじゃない。
このコロシアムでは、名刺と言うブレーンこそが、最大の強み、最強の武器なのだ。
前沢課長は、この場に行き着くまでの課程を思い出し、
「挨拶回りや接待の準備は俺で、ヨイショはいつもあんたが持って行く。お膳立てするのはいつも俺だ。アンタは誰のおかげで、今のポストに付けた思っているんだ!」
常務は口を歪めて、反論する。
「恩着せがましいことを、部下の適正を見極め、正しく利用するのは、上司の実力だ!」
「優に事欠いて、適正の見極めだと? アンタのパワハラで、何人の部下が潰れたことか……今、この場に立つ俺は、消えて行った部下達の恨みを背負っているんだ!」
前沢課長はネクタイを緩め 外したネクタイを頭に巻き、ねじり鉢巻きを作った。
常務に、決闘を申し込む際、外して投げつけたネクタイだ。
「俺はアンタに勝って、踏みにじられたプライドを、取り戻す!」
幕ノ内常務は鼻で笑うと、彼を罵った。
「のぼせるな! ビジネスは戦場……食うかくわれるかだ!」
負けじと、前沢課長は噛みつく。
「この、てっぺんハゲぇ」
「口に気を付けろぉ!!」
二人は構え、声を揃える。
「「SERVICE、Za・N・Gyo。STAND BY!」」
先攻、前沢課長。
「俺のターン!」
名刺ケースから5枚の名刺を取り出すと、片手で扇のように持ち、更に1枚取ると、指で弾くように投げた。
名刺はブーメランのように回転し、地に落ちる。
すると、名刺は1メートル手前で、見えない力場のようなものに包まれて、宙に浮く。
そして、名刺が淡い、エメラルドグリーンの閃光を発し、輝く柱となる。
無数の雷が、地をのたうち回り、光りの柱からシルエットが浮かび上がった―――――。
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