第31話 虚偽

 車の中に乗り込むと、先程の警官たちの加齢臭がまだ残り香として残っていた。助手席に座り込むと、背もたれに大きく腰かけた。

「危なかった。本当に危なかった」と、砂川は言った。「開けて見せましょうか? なんて、どう考えても正気じゃなかったぜ。開けられていたら、一巻の終わりだった」

「強気に振る舞うしかなかったんだよ。少しでも躊躇する様子を見せたら、トランクを開けられて、ジ・エンドだったんだからな」

「凄い度胸だぜ、相棒」

 二人は拳をぶつけて、ニヤリと笑った。

「どうする? 死体については? 一旦、家に戻ったほうが――」

 小谷は少し考えてから言った。「それもそうだな。恐らく、周辺は検問だらけだろう。また検問に引っ掛かって、無事に済むとは思えない」

 彼は車のキーを入れて、エンジンを始動させた。

「早く、コンビニから出よう。またさっきの奴らが来たら……」

「分かってる。俺も気が気でなかったんだ」

 駐車場を抜けて、自宅にへと戻っていく。角を曲がって検問が見えなくなると、ほっと一息ついた。

「良かった。これで一安心だ」

「そうとも言えないぜ。まだ、死体の処理が残ってる。女子高生が行方不明になった事件が落ち着くまで、検問は続くと思う。そうなった場合、死体のやり場に困る」

「確かに……そうだな」

「とりあえず、部屋の中に運び込もう。トランクの中で腐り始めて、異臭を放ち始めたら元も子もない」

 コーポに戻ると、駐車場に車を止めた。この時間帯はまだ人通りがあったので、深夜になってから、事を進めることにした。

 玄関で靴を脱ぎ、部屋の中に入ると、どっと疲れが押し寄せてきた。これほどまでに体力を消耗するとは思わなかった。

 さすがの小谷も疲れたようで、布団の上に横たわった。

「悪い、砂川。深夜になるまでちっと寝るわ。零時頃になったら起こしてくれ」

「ああ、分かった」

「頼んだぜ」

 誰も喋らないので、時計の針が進む音が、やけに大きく聞こえた。時間がやって来るまでは、テレビのニュースを漠然と見て過ごした。いつになったら、麻友と久保木の死体は見つかるのだろう。なぜか、早く見つかって欲しいと願う、もう一人の自分の姿を見つけていた。

 なぜ、そう思うのだろうか?

 二人を殺してから、ずっと重いなにかがのしかかっている感覚を覚えていた。きっと、罪悪感という名の厄介な感情だろう。警察に捕まって、罪を償わない限り、この重みは永遠に続いていく。人を殺したという事実は、二度としてなくなることはない。




 目覚まし時計のアラームが鳴る寸前に、スイッチを押した。布団の中でだらしなく寝ている男に、声をかける。

「もう午前零時だぜ。相棒」

 いつまでもだらけているかと思ったが、小谷はすぐに跳ね起きた。

「おう、そうか。じゃあ、行くか」

 ゆっくりと音を立てないように扉を開けようとする。金属が軋む音。砂川は舌打ちした。こんなところで物音を立てるんじゃない。もっと慎重に、冷静に動かなければ。このコーポは築三十年以上と古く、建物のあらゆるところにガタが来ているようだ。管理会社の視界には、もはや入っていないらしい。壁も薄く、砂川は存在をバレないように、声を潜めて喋らなければならなかった。ときどき、夜遅くになると、ベッドがギシギシと軋む音や女の喘ぎ声が聞こえてくる。オナニーやセックスをしているのだろう。他人の嬌声など、聞いて面白いはずもない。コーポ近くを走る電車のけたたましい走行音。夜中のうち、何度、その音で目が覚めただろうか? 賃料が安い建物であるので、中国人や韓国人、ブラジル人など、外国人の居住者も多い。ここ周辺で治安が悪いのは、きっと彼らが原因なのだろう。整備が行き届いておらず、外壁に張りついている蔦や意味不明な植物が、その全てを物語っているように思えた。女性の居住者ほとんどおらず、いたとしても夜な夜な繁華街に出かけて行くような老けた女ばかりだ。

「作業は早めに済ませたい。このコーポは、夜遅くに帰宅する人間が多いんだ」小谷が小声で警告した。

 砂川は頷いた。「分かっている。さっさとやっちまおう」

 足音を建てないように階段を下り、一階に下りる。その時だった。大家の部屋の扉が開いた。大家は二人いる。無害なじいさんの酒井と、厄介で意地悪なばあさん、玉城だ。今日の宿直は、残念ながら腰の曲がった割烹着の老婆だった。

 老婆と砂川の目が合った。初めての接触だった。砂川の心中には、不安と疑念が渦巻いた。まさか、俺たちが階段を下ってくるのを見越して、外に出て来たのだろうか? しかし、この建物に監視カメラの類はどこにも見当たらなかった。

「おや、小谷くん。友達かい?」玉城はガラガラヘビのようなしゃがれ声で聞いた。

「ええ。今から帰るところです」小谷はそう言って、ランドクルーザーのトランクに手を置いた。「こいつの家に送っていくんですよ」

「へえ、そうかい」老婆の目が怪しく光った。なにか、グサリと刺すような言葉を秘めているような眼光だ。「そういえばね、最近、あんたの部屋から声が聞こえるんだよ」

「声……ですか?」

「とぼけるんじゃないよ!」玉城は怒鳴り声を張り上げた。脅し慣れたような声だった。「あんたがこの男を部屋に泊めていることは、とっくの昔に分かってるのさ! 隠し通せるとでも思ったかい? ええ? 居住者がやっていることなんてね、全部お見通しなのさ!」

「……」

 砂川は無言になった。この老婆は、部屋から二人の声が聞こえるというだけで、決めつけているだけだ。なんら証拠もなければ、説得力もない。この建物には、監視カメラはない。確かめようがないのだ。つまり、単なるはったり。怒鳴って見せて、鎌をかけているに過ぎないのだ。

 砂川は余裕の笑みを浮かべて、笑って見せた。玉城はこちらを睨んできた。

「なにを笑ってるんだい? もう調べはついてるんだよ!」

「なにか証拠があるんですか? 僕は小谷の部屋になんか、泊まっていませんよ」

「嘘つくんでねえ! こちとら、全部、分かっとのや!」玉城は唾を吐き散らしながら言った。「あたしゃ、分かってるんだよ。全部、管理会社に報告して、罰金を取ってやるさ!」

「どうぞ、ご勝手に」

「なんだって?」

 玉城は肩を怒らせる。

「虚偽の報告をして、肩身が狭くなるのはそちらですからね」

「……」

 彼女はなにも言えなかった。やはり、はったりだったのだ。怒鳴り声を上げて脅せば、自分の都合通りにことが進むと思っていたのだろう。

「小谷。家まで送ってくれるんだったよな?」

「あ? ああ。そうだ」小谷は気後れしたように言った。

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