第28話 爆弾

 座布団に頭を置いて、転た寝をしていた。小谷が仕事から帰ってくるまでは、まだ時間がある。

 掃除のされていない部屋。畳の上に転がっている、大量の髪の毛、陰毛、ゴミの山。頼むから、オナホールの箱くらいは片付けてくれ。

 思考は止め処なく広がっていき、やがては睡魔に負けて、夢の世界に墜ちていった。

 阿部茜……。なぜ、奴があの街にいたのだろう。転校したのではなかったのか。

 不細工な面。潰れた鼻。細く吊り上がった目。指紋だらけの眼鏡。垢抜けない服装。考えるだけで怖気がする。なぜ、俺があの女に好意を抱かれていたのか? いまいち、理解出来ない。

 窓を打つ雨音。どうやら、雨が降っているようだ。そういえば、今日は今にも雨が降り出しそうな雲をしていた。

 図書室に行ったあの日も、窓の外では雨が降っていた。薄暗く、空は雨雲によって覆われていて、まるで夜のように暗かった。

 砂川は荒浜に会うために、図書室へ向かった。扉を開けると、キィと金属の軋む音がした。部屋の中は湿度が高く、じんわりと肌が湿っていく感触があった。

 カウンターの席を見やるが、荒浜の姿はなかった。そこに座っていたのは、いじめられっ子の阿部のみだった。

 正直なところがっかりしたが、待っていれば荒浜がやって来るだろうと踏んで、本棚の合間を行き来して、読みたい本を探す振りをした。適当な本を見つけると、椅子に腰かけて読み始める。本を探している間も、読んでいる間も、どこかから常に、見守るような視線を感じていた。今思えば、彼女にずっと見られていたのかもしれない。

 容姿が整った荒浜しか視界に入らなかったが、その傍らにはずっと阿部がいた。砂川が自分に好意を抱いていると勘違いしても、仕方がなかったのかもしれない。どちらにせよ、ありがた迷惑な話ではあるが。嫌いな相手に好かれるほど、迷惑なこともない。

 覚醒と睡眠の間を彷徨っていると、不意に部屋のチャイムが鳴った。どん、どんと扉をノックする音。

「砂川ー。俺だ。早く開けてくれ」

 小谷の声。そういえば、扉に鍵をかけたままにしていた。

 座布団から起き上がると、解錠して、扉を開けた。そこに立っていたのは、雨に濡れて、頭からびしょびしょの小谷だった。

「いやあ、ひどい雨だった。傘を持っていくのを忘れちまってな」

「そんなに雨脚が強いのか?」

「ああ。職場のテレビで見た話によると、台風らしいな」

「へえ」

「お前、さっきまでなにしてた? マスでも掻いてたんじゃあるめえな」

「そんなわけないだろ。寝てただけだよ」

 小谷は玄関で靴を脱ぐと、濡れた作業服を洗濯籠にぶち込んだ。

「ちょっくらシャワーを浴びるからよ」

 そう言って、風呂場へと消えて行った。十五分ほど経ってから、彼が風呂から出てきた。ドライヤーで髪を乾かし終わったようなので、砂川は切り出した。

「街ん中でよ、偶然にも、阿部に会ったんだ」

「ああ、あいつか。そういや、この街に住んでるって話は聞いていたな」

「転校したんじゃなかったのか?」

「転校したって言っても、学校を変えただけで、実家に住んでいることは変わりないんだぜ」

「そうなのか。どうやら、あいつも仮免許試験を受けに来ていたみたいで、整形していたのに、俺だと気付きやがったんだ」

「マジかよ。そりゃあ、運が悪かったな」

「どうするよ? 麻友と久保木の死体が見つかれば、必ず警察に通報されるぜ。失踪した砂川耕司が、この街の中にいるってな」

「……確かにまずいな」

 小谷は押し入れから、カップラーメンを取り出すと、蓋を開けて加薬を取り出した。湯沸かし器に水を入れて、沸騰し始める。

「どうすりゃいいと思う?」

「それは、お前が一番よく分かってるんじゃねえか?」小谷が意味ありげに言った。

 砂川の頭頂部に疑問符が浮かんだ。

「どういう意味だよ?」

「そのままの意味さ。あいつを殺すってことだよ」

 砂川は愕然とした。

「殺すって……正気か? そんなことをすれば、足が着いちまうぞ」

「どちらにせよ同じさ。言わば延命措置だ。警察が二人の死体を見つけるのは間違いねえ。そうなった場合、阿部は警察に通報するだろう。口封じしたければ、結局のところは殺すしか道はねえのさ」

「でもよ……」砂川は乗り気ではなかった。

「なにを躊躇していやがる? お前は二人も人を殺して、死体遺棄した。充分、死刑の範疇だぜ。今更死体が一つ増えたところで、なにか意味があるか? ねえだろ?」

「……」少し考えたあと、砂川は頷いた。「そうかもしれねえな。でもよ、阿部がどこに住んでいるなんて、俺には分からねえぞ」

「俺は阿部の実家がどこにあるか知ってる。俺の家の近くだったから、回覧板を届けに行ったこともあった。あの根暗女にな」

「親御さんはどんな人なんだ? やっぱり、阿部みたいな陰気な輩なのか?」

「いんや、母親の方しか見たことはねえが、すごく優しそうな人だったな。回覧板を届けに来ただけの俺をリビングにあげて、ケーキを奢ってくれたりとかよ」

 なぜ、この男は、そうも簡単に人を殺める選択を出来るのだろうか。

「まさかとは思うが、将以外にも、人を殺してるんじゃねえだろうな?」

 窓の外で、雷鳴の音が聞こえた。部屋の照明が、一瞬だが明滅した。このコーポは老朽化が進んでいるためだろう。

 一分ほどの空白があった。小谷はなにも言わず、湯沸かし器の中にある沸騰した水をカップラーメンに注いだ。ふわふわとした湯気が立ち上っている。後入れの液体スープと割り箸を蓋の上に載せて、封をする。

 小谷はニヤリと笑った。

「どうやら、バレちまったみたいだな」

 この男が根っからの悪党であることは分かっていたので、砂川は大して驚きはしなかった。

「一体、誰を殺した? どうやって殺したよ?」

「人数が多いんで教えきれねえが、最近のだと、女子高生を殺したな」

「女子高生? そんな知り合いがいたのか?」

「見ず知らずの女だ。車を走らせてたら、部活の帰りなのか、一人で夜道を歩いていてよ、街灯がほとんどなかった。おっぱいが思っていたよりも大きくて、こう……ムラムラッと来ちまってな。ナイフで脅して、車ん中に連れ込んで、強姦して、殺して……山ん中に埋めた」

「大変な騒ぎになったんじゃないのか?」

「そうだな。大規模な捜索隊が出動したようだが、まだ運良く、死体は見つかっちゃいないらしい。我ながらラッキーだと思ってるぜ。ほら、お前がこの部屋に来た時、パトカーのサイレンがよく聞こえただろ?」

「ああ」

「俺があの女を殺したから、パトカーが近辺をパトロールしてやがるんだよ。迷惑極まりないことにな」

「そんなことをしていたら、いずれ捕まっちまうぞ」

 その言葉を聞いて、小谷はさも可笑しそうに鼻で笑った。

「そん時はそん時さ」

「サツが部屋に押しかけてきたらどうする?」

「こいつを使う」

 小谷が押し入れから取り出したのは、横に長いジュラルミンケースだった。

「そいつの中にはなにが入ってる?」砂川が聞いた。

 小谷はくっくっと押し殺した笑い声を出した。「見て驚くなよ」

 ケースから出てきたのは、狩猟用散弾銃だった。長く伸びた黒塗りの銃身が、昭明の光を反射して、鈍く光っている。

「こいつはベレッタM3Pという自動銃だ。弾倉には六発まで装弾出来るが、日本用は二発装弾に改変されている」

「高かったんじゃねえのか?」

「三八万円くらいだな。まあ、親戚の悪い奴から譲り受けたから、十万程度で済んだが」

 目の前にいる男が、とても恐ろしく思えてならなかった。引き金に少し力を込めるだけで、砂川を殺すことが出来る。

「俺はよ、爆弾なんだよ」小谷が言った。

「爆弾?」

「そう。触れたら爆発しちまう臨界点にあるんだ。常にな。俺を怒らせるんじゃねえぞ。さもないと、親友であるお前でさえも、容赦はしないからな」

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