第26話 ラヴレター

 高校時代、砂川は一度だけ、女子生徒に告白をされたことがある。その女子生徒の名前を、阿部茜という。

 身長は一五〇センチ前後。脂ぎった髪は茶色がかっていて、短く切り揃えていた。寝不足のためか、いつも目の下には濃い隈があった。いつもビクビクとしており、その様子がいじめっ子たちの嗜虐欲を掻き立てているようだった。女子生徒たちには気味悪がられており、いじめに似た扱いを受けていた覚えがある。

 荒浜が転校して、高校二年生になった。入学式の日、下駄箱を開けると、ハートのシールで封をされた手紙が入っていた。

 砂川は密かに心躍った。学内でも人気がある女子生徒の顔が、次々に脳裏に浮かんでは消える。一体、誰からだろうか? 日下部彩子か? 宇野菜美か? 関本可奈か?

 手紙の裏に書いてある名前を見て、深い失望を禁じ得なかった。

 ……阿部茜。あの根暗女か。

 高校一年の入学式の時から、ずっと同じクラスだった。彼女はクラスメイト全員から忌み嫌われており、常に嫌がらせを受け続けていた。一度も会話をしたことがないのに、なぜ、あの女に好意を抱かれているのか、理解出来ない。もしかすると、小谷の悪戯なのだろうか? あいつならやりかねない。

 荒浜同様、阿部も図書委員だった。いつも、荒浜の隣カウンターに座っていたが、全く視界には入らなかった。二人では月とすっぽんである。

 手紙の内容を確認して、思わず噴き出した。そこには綿々と、砂川に対する率直な恋心が書き込まれていた。

 ……いつも図書室に来てくれるあなたへ。いつもあなたを見ていました。あなたのことが、好きです。わたしと付き合ってください。

 なんなんだ、これは。冗談にしてはよく出来ている。クラスの連中にも見せてやろう。

 教室に入ると、小谷の周りには二人の友人が集まっていた。彼らは砂川に気付いた。

「よお。おはよう」砂川はニヤリと笑った。「おいおい、なんなんだ? これは。よく出来ているじゃないか」

「なんのことだよ?」小谷は首を傾げた。

「とぼけるなって」

 ズボンの右ポケットから、下駄箱に入っていた手紙を取り出す。

「これだよ。下駄箱に入ってたんだ」

「知らねえな。誰からだ?」

「阿部茜」

 その名前を口にした瞬間、騒がしかった教室はしんとなった。

 小谷はみなの顔を見渡して、茶化した。「なんで、みんな静かになってるんだよ?」

 教室の中に笑いの渦が巻き起こった。

「どんな内容だった? ラブレターじゃねえの?」

 砂川は手紙の内容を読み上げた。そのあと、窓際に座っている阿部を見ると、耳たぶが燃えそうなくらい真っ赤になっていた。その様子を見て、小谷は気付いたようだった。

「えっ、悪戯じゃなくて、マジで阿部からのラブレターってことか?」

「ラブレター? 誰から? 誰から?」

 クラスの中心的人物である女子生徒――門脇真希子と樫原千賀が、こちらに近づいてきた。

「砂川がもらったの?」

「え? うん。そうだけど」

「見せて!」

 門脇に手紙を差し出すと、大きな声で読み上げ始めた。

「……わたしはいつも静かで目立たないけど、入学式の日からあなたにときめいていました。なにこれ! これ、マジで阿部が書いたの? 笑えるんだけど!」

 縮こまりながら本を読んでいた阿部は、ついに耐えられなくなったように、教室を飛び出していった。

「あの根暗がラブレターを書くなんてねえ……。超意外」と樫原。「砂川のどこに惹かれたんだろ?」

「さあね」砂川は他人事のように応えた。「どっちにしろ、あんな奴はお断りだけど」

「だよね!」

 どっと笑いが巻き起こった。

 門脇はなにか良案を思いついたようだった。

「そうだ! これ、他のクラスの友達にも見せてこよう! 砂川、別にいいよね? これ、借りるよ」

「いいよ。返さなくていいから。飽きたらゴミ箱にでも捨てておいて」

「りょーかい、りょーかい」

 彼女は意気揚々と、別クラスの友達に会いに行った。

 教室のチャイムが鳴る一分ほど前に、阿部は教室に戻ってきた。思い人に送ったラブレターを読み上げられ、自尊心を粉々にされた状態で。

 小谷が叫んだ。「阿部さんのお出ましだ!」

 砂川は笑った。「おい、止めろって。いじめてるみたいじゃないか」

「なに言ってんだよ。クラスメイト全員が、この根暗女のことを嫌ってるんだぜ? 躊躇する必要なんてねえんだよ」

「わっ、わたし!」

 突然に、阿部は声を上げた。まるで、蚊の鳴くような頼りない声だった。

 門脇が教室に戻ってきてから言った。「今、誰かなにか言った?」

 阿部は続ける。

「わっ、わたしのラ、ラブレター、回し読みするの、や、や、やめてよ!」

 教室の雰囲気がしんとしてから、突如、大爆笑が巻き起こった。クラスメイトたちは次々に、阿部に対する誹謗中傷の言葉を吐いた。

「阿部が喋った! こいつ、喋れるんだ?」

「口くさっ」

「気持ち悪い。さっさと教室から出てけよ!」

 彼女は顔を真っ赤にして、ニヤニヤと笑っているクラスメイトたちを睥睨したあと、砂川に近づいてきた。

「この糞野郎!」阿部は砂川の頬をぶったあと、髪の毛を強い力で引っ張った。「よくもわたしの心を踏みにじったな! 絶対に許さないからな!」

 砂川の中で、なにかが弾けた。渾身の力で彼女を突き飛ばすと、あっけなく仰向けに倒れた。

「俺に触るなよ、根暗女! 死ね!」

 阿部は目尻に涙を溜めながら、砂川を睨みつけた。

「う、う、う……」

 教室に入ってきた教師と入れ替わるように、彼女は教室から飛び出して行った。それから不登校となり、やがて、別の学校に転校していったのだった。


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