第23話 街
電話がやって来るまで、映画を見て過ごした。観念的な死のイメージが繰り返して描写され、登場人物は次々と不幸な出来事に巻き込まれていった。
折り返し電話があった時、砂川はトイレで小便をしていた。トイレの中で着信音が聞こえて、少し焦った。すばやく小便を終えて手を洗うと、着信に応えた。
「もしもし」
「あー、もしもし? 小谷ですけど。お宅、どちらさん?」
機嫌の悪そうな横柄な声。やはり、昔の小谷そのままだ。
「俺だ」
「ああ? その声は……」
「砂川耕司だ。少し事情があって、お前の母親には偽名を使わせてもらった」
砂川だと分かると、小谷は態度を軟化させた。
「おう、お前か。それでどうした? なんか用か?」
「お前のアパート、どこにある?」
「アパート? 宮城県の……だが?」
「そこか。そこなら行ったことがある」
「なんか、込み入った事情でもあんのか? はっきり言ってみな。悪いことをしてても、警察には通報しねえから。俺とお前の仲だ」
「人を殺したから、匿ってもらいたい」
一瞬の空白のあと、小谷は大笑した。「マジかよ。本当にやるとはな。一体、誰を殺したっていうんだ?」
「久保木英彦という男だ。俺の妻を寝取った。だから、殺した」
「ほお。死体はどこにやった?」
「家から少し車を走らせたところにある。津波で家が倒壊して、人がもう住んでいない場所だ」
「空き地か?」
「空き地ではない。夜だったから詳しくは調べてねえが、電力関係の施設だった。震災の影響で完全に設備が破壊されていて、人が来る気配もなかった」
「なるほどなあ……」一分ほど間があったあと、小谷は言った。「OK.分かった。俺も色々と困っていることがあってな」
「どんなことだ? 警察に捕まるようなことか?」
「当たり前だろ。とりあえず、さっき言った住所に来い。そこで落ち合おう」
「分かった」
電話が切れた。
小谷なら、信用しても大丈夫だろう。奴も警察に後ろめたいなんらかの事情があるようだ。通報されるとは考え難い。
ソファに置いていたバックパックとクラブケースを背負うと、玄関に向かって歩き出した。
死体遺棄自体の時効は三年だが、殺人罪の時効は二〇一○年に廃止された。一生涯、逃げ続けるしか道はないのだ。
玄関の扉を開けて、外の様子を窺った。あの老婆が出歩いている様子はない。隣家の窓から覗いていることもなさそうだ。
動き出すなら夜がいいのだが、ここ周辺は治安が悪いので、その時間帯はパトカーのパトロールが活発になる。むしろ昼のほうが安全かもしれない。
玄関口からぐるりと回り込み、防水バイクカバーに覆われたロードバイクのもとへ向かう。衝動的に欲しくなり、十万円以上もしながら購入してしまったものだ。当時、麻友は家から出て行くと言ったくらい、怒り狂っていた。
バイクカバーを剥いで、倉庫の中に入れて鍵を閉めた。地面に投げ捨てておこうと思ったが、警察がやって来た時に、ロードバイクで逃げたと思われるのも癪だった。
家の周りは砂利で囲まれているので、乗車には適さない。ロードバイクを手で持って、家の敷地外――道路にへと持っていった。
携帯電話を操作して、マップアプリを表示させる。一年ほど前に購入した自転車ホルダーに、携帯電話を設置する。これで、簡易的なナビになる。ロードバイクに跨がると、小谷のアパートに向けて走り出した。
明日の午後六時にお通夜が行われるという、福谷家の前を通り過ぎる。敷地面積はかなり広く、和風様式の堂々たる家が建っていた。車が出入りする場所を除いて、家の周りをぐるりと、よく整備された草木が植栽されている。子供の頃は、自分もあんな家に住むのだと思っていた。大人になり、現実にかえってみれば、自分が建てた家はひどくこぢんまりとしていて、まるでウサギ小屋のようだった。
福谷家の前には雑草だらけの空き地があり、気温が暖かくなってくると、虫やカエルの合唱がよく聞こえた。
角を曲がらずに真っ直ぐに進むと、目の前にテニスコートが広がっていた。休日ということもあり、スポーツウェアを着た学生がテニスをしている。よく目を凝らして見ると、奥側のコートを使っているのは、六十過ぎの老人夫婦のようだった。
比較的新しめの民家の合間を進んでいくと、犬のやかましい吠え声が聞こえた。声の方向に視線をやると、知能が高い犬種と言われるボーダー・コリーだった。表情は野性味が出ていて、とてもではないが頭が良さそうには見えない。
そのまま道を進み、止まれの標識で一時停止した。そこから右に曲がると、民家の奥に青山商事の店舗が見えた。
傍にカーブミラーがある焼き肉屋の看板を左に曲がると、建築関係の会社が目の前にあった。敷地には砂利が敷かれており、斜め方向に作業服を着た初老の男が歩いているのが見えた。会社の前には沢山のトラックが置かれていた。
仏壇専門店の敷地を横切り、国道六号線に出た。
空はどんよりとした曇り空で、今にも雨が降り出しそうに思える。三車線あり、沢山の車が行き来している。排気ガスが空気中に充満しており、ガソリンの鼻につん、と来る臭いがした。
全国的にチェーン展開している中華料理屋は、店舗を改装しているようだった。高所作業車が店に対してバックで止まっており、装置部分がペンキで塗りたくったような青色だった。作業床には二人の若い男が乗っており、黒い服の袖を捲って、白い肩が剥き出しになっていた。普段、日に照らされている肌は焼けている。
そのまま進んでいくと、大きな川を跨ぐ橋を通りかかった。この位置から見ると、雲と雲の合間から太陽の光が僅かばかり射し込んでおり、水面がそれを反射してキラキラと光っていた。エンジェルラダーと呼ばれている現象で、別名、天使の梯子とも言われているらしい。
橋を抜けると、十字路が見えた。赤信号で一時停止する。
声が聞こえたので左方向を見ると、くすんだ青色の軽自動車が止まっているのが分かった。スズキのジムニーだろう。パワーウィンドウが開いており、小さな子供たちが顔を出して、こちらを指差していた。
運転座席に乗っている、くたびれた白いシャツを着た女は、ペットボトルの蓋を開けて、飲み口に口をつけたところだった。喉が上下するところまで、はっきりと目視することが出来た。
信号が青に変わると、ジムニーは発進した。子供たちはこちらに向けて、「あー」だの「いー」だの、叫び声を上げていた。
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