第19話 殺害

 久保木が経営している美容院の場所は、すでに把握していた。店の前に車を止めて、中の様子を眺める。壁一面を占める巨大な窓ガラスからは、中の様子が筒抜けだった。

 働いている美容師は三人。奥の角に、監視カメラが一つ。てっきり監視カメラの類はないと思っていたので意外だった。覆面をして店の中に押し入り、クロスボウで射殺する、という計画を立てていたが、いささか目立ちすぎる。全国放送でニュースになり、大きな話題になることは間違いない。そうなった場合、久保木が店を閉めて、一人になった時を狙うほうがいいだろう。

 美容師の一人がこちらを振り向いたので、砂川は発進した。顔を見られなかっただろうか? 少し不安になる。

 最終受付は午後七時であり、そのあとに夕食をとるのだろう。奴が自炊するタイプではないことは、すでに把握していた。ある日、スーパーで鉢合わせて、殴り合いの喧嘩になりかけたことがあったのだ。

 つまり、奴が店じまいをして、スーパーに買い物に行く瞬間。そこが狙い目だった。

 七時まではまだまだ時間がある。一旦家に戻り、逃走準備を完全に整えることにした。

 通販で購入したバックパックに、必要なものを詰め込んでいく。引き下ろしてきたありったけの現金と免許証、個人情報証明証、ハンコ、会社から送られてきた離職票も一応。下着を数点。三日分の簡易的な食べ物。新しく新調した携帯電話。前の携帯電話は捨ててある。そして、クロスボウ。

 殺害現場である寝室。血のついたベッドやカーペットは完全に処分してある。床はルミノール反応が出ないよう、ホームセンターで購入したシンナーやアルコールで念入りに拭き取った。ついでに、夫婦で失踪するといった内容の手紙を、リビングに残しておくことにした。こうなれば単なる失踪と見做され、警察も動きづらいだろう。そもそも、事件として見做されない可能性が高い。

 飼い犬であるコロ助については、県外の保健所に引き渡してきた。処分をしたのは、美容整形で入院する三日前のことだった。

 薄汚れた檻に入れられたコロ助は、曇りのない茶色の眼で、じっとこちらを眺めていた。檻から遠ざかって行くと、悲しそうな声で鳴いた。特になにも思わなかった。子供が出来なかったから犬を飼っていただけに過ぎない。

 家で過ごしていると、時計の針が午後六時を回った。

 時間だ。早めに美容院が終わる可能性もある。

 美容院からスーパーは六百メートルほどしか離れていない。田舎とはいえ、人通りがまだある時間帯なので、作業は速やかに済ませなければならなかった。

 美容院から少し離れた位置に車を止めて、久保木がスーパーに行くために、外に出て来るのを待った。短い距離なので、奴はいつも車を使わずに徒歩で向かうと決まっている。数日間の監視で分かったことだった。

 午後七時。店のブラインドが下がった。

 少し時間が経ってから、久保木が店から出て来た。予想通り、手に長財布を持っている。鍵はジーンズの右ポケットに入れているようだ。

 車から出て、クロスボウを構えた。

 久保木がゆっくりとこちらを振り返ろうとする。

 躊躇わずに引き金を引いた。

 鋭い発射音。

 弓矢は久保木の左胸に突き刺さっていた。奴は小さな悲鳴を上げて、地面に仰向けに倒れた。すぐに体を持ち上げて、車の後部座席に運び入れた。小さな呻き声が聞こえた。久保木は苦しそうに言った。

「お前、砂川耕司だな……?」

「……」

 砂川はなにも答えなかった。これは単なる作業であり、脳内で思い描いていたシミュレーションに過ぎない。今のところは、上手く行っている。

 久保木は苦渋に満ちた顔で、左胸を射貫いた矢の柄を掴んでいた。どうやら、引き抜く力はもう残されていないらしい。

 ほぼ直線上の道路を走っていく。運転座席の右側には、田園が広がり、頭の悪い学生が通う高校が、ポツンと建っている。

 進むにつれて、道は右にカーブしていき、やがて真っ直ぐの道となった。

 放射能で汚れた土を詰めた、黒い袋が堆積している場所まで着く。赤い三角コーンが並べられて、侵入出来ないようになっていた。道を左手に曲がり、砂利道を抜けると、どこかの老人が作っている小規模な農園に行き着く。蔦が張りついている菜園ハウスを過ぎると、頭がもげた仏像が入った祠が見えた。

 車が通れないほど細い道に行き着くと、車から降りて、後部座席の扉を開けた。

 すでに、久保木は息絶えていた。

 後部座席から引き摺り出して、事前に用意していた手押し車に載せる。こんな大男をおぶって運ぶつもりはなかった。

 人がやって来る可能性も考慮して、手早くことを済ませていく。

 砂利道が延々と続く坂道。苔で汚れたガードレールの先には、背の高い木々が背比べをしている。

 坂道を下りた先には、電気供給に関係する建物が建っている。東日本大震災の津波により破壊され、使い物にならなくなっていた。

 門扉の鍵は破壊してあるので、手押し車を置いて、門扉を開ける。耳障りな重低音が鳴り響いた。

 手押し車の元に戻ると、死体が地面に転がり落ちていた。

 もう一度、中に死体を押し込むと、渾身の力を込めて、手押し車を安定させた。そのまま敷地内に入り、建物の扉を開ける。

 器材が邪魔で、手押し車が上手く進めなかった。横に倒して、器材の上に死体を降ろす。蠅が飛び回る音が聞こえた。

 麻友の死体を隠した位置にフラッシュライトを向けると、大量の蛆が地面を這いずっていることが分かった。

 ここなら、きっと大丈夫。誰もやって来ないはずだ。

 久保木の右手の人差し指を、大きめの鋏で切り取り、ビニール袋の中に入れた。ジーンズの右ポケットから鍵を取り出して、自分のポケットに入れる。

 死体を投げ捨てて、器材を上に被せていく。作業の途中、顔に蠅が張りついてきて鬱陶しかった。

 完全に体を覆い尽くしてしまうと、手押し車を押して、坂道を上った。車のトランクには入らないので、後部座席に手押し車を押し込んだ。

 これで、計画はほぼ完了だった。

 あと少しだけ、やらなければならないことが残っているものの。



 久保木が経営している美容院に戻ると、車を止めて外に出た。奴から奪った鍵を使い、扉を開ける。

 経営時間外なので、監視カメラは機能停止しているようだった。

 奥の扉を開けると、部屋が広がっていた。キッチンはほとんど使っていないらしく、綺麗なままだった。リビングの中には巨大なテレビがあり、棚には大量のDVDやブルーレイディスクが収納されていた。白と灰色のクッションが、調和するように置かれている。窓にはレースのカーテンがかかっており、街灯の光が入り込んできていた。

 ソファの前に置かれたテーブルの上に、携帯電話を見つけた。ロックがかかっており、指紋認証が必要だった。切り取ってきた右手の人差し指がある。ビニール袋越しにタッチパネルに触れると、認証が解除された。

 メモ帳のアプリを見てみると、銀行やアダルトサイトなどのパスワードが、ずらりと記載されていた。しめた、と思う。

 二階の自室から財布を見つけ出して、ポケットに入れた。

 家から出ると、しっかりと扉に鍵をかけた。一旦自宅に戻り、駐車場に車を止める。

 駅へ歩き、県外のATMにへと電車で向かった。

 乗車している間、空腹のために、ぐう、と腹の虫が鳴った。重い死体を載せて手押し車を押したため、かなりのエネルギーと体力を消耗したようだ。

 通りかかったコンビニに立ち寄り、店の中に入る。弁当と炭酸飲料を購入して、レジで支払いを済ませた。運転座席に戻り、咀嚼をする。

 砂川の心の中には、一種の達成感と高揚が湧き上がっていた。予想以上に上手くいっている。

 弁当を食べ終えると、コンビニ前のゴミ箱の中に捨てた。

 二時間以上も電車に揺られて、予約していたホテルに辿り着いた。ホテルの玄関前では、チャラチャラとした格好の若者が、馬鹿デカい声で会話をしていた。笑い声がここまで響いてくる。

 彼らを無視してホテルの中に入ると、受付のもとに行き、部屋の鍵を受け取った。安いビジネスホテルであるが、フロントは割と小綺麗で、天井には大きなシャンデラスが光輝いていた。

 エレベータを使い、三階に上がる。目的の部屋に入ると、リュックの中から久保木の指が入ったビニール袋を取り出して、冷蔵庫の中に入れた。

 リュックを床に置くと、少し伸びをしてから一息ついた。

 一仕事終えたあとなので、無性にビールが飲みたくなり、リュックから財布を取り出して、エレベータを下って一階に向かった。ホテルの受付に鍵を渡し、外に出る。

 玄関ではまだ、馬鹿な若者が喋っていた。

 気楽で良いな、と砂川は思った。

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