第16話 死体

 道路左手に曲がると、朽ち果てた民家の傍に、延々と砂利道が続いていることに気付いた。なにかしら感じるところがあり、中に入っていく。街灯の類はなにひとつなく、ヘッドライトだけが唯一の光源だった。

 奥に進むにつれて、道は細くなっていく。右手側に、周辺に住んでいる老人が栽培していると思われる、萎びた農作物が、小規模ながらも生えていた。少し先を行ったところには、蔦が張りついている菜園ハウスが建っていた。

 その先の道は、木々の鬱蒼とした葉が、道路まではみ出していた。人の手入れが全くされていないので、コンクリートの道路を突き破って、雑草が生えている。

 ここだ、と思った。ここなら、死体を隠せるだろう。ずっと隠しておく必要はない。一、二年間、死体が見つからない程度で構わない。その間、遠くに逃げる時間はいくらでもあるだろう。

 途中、車が通れないほど道は狭くなり、砂川は一時停止した。エンジンをかけたまま、フラッシュライトを手に、外に出る。ひんやりとした冷気が体中を包んだ。異様な寒さだった。今日はそれほど気温が低い日ではなかったが、この場所には砂川を凍りつかせるなにかがあるように思えた。

 歩いて行くと、小さな祠を見つけた。赤い屋根のペンキは剥がれている。不気味なのは、観音開きの戸が中途半端に開いていることだった。

 興味を引かれ、戸を開けた。

 そこには、頭部を破壊された小さな仏像が佇んでいた。

 砂川ははっとして足下を見ると、仏像の頭が、ころりと転がっていた。

 恐ろしいなにかを感じつつも、子供か、チンピラの悪戯だと自分を納得させる。この田舎は老人が多いので、仏像が破壊されていたら、なんらかの騒ぎになるはずだ。しかし、なんら修復もされていないということは、ここに立ち入る人はいないということを意味している。

 その先は坂道になっていた。苔がびっしりと張りついたガードレールが、辛うじて砂利道に立っていた。

 背の高い木々は延々と続いており、フラッシュライトなしにはなにも見えはしなかった。

 どろり、と嫌な汗が流れてくる。

 早く帰りたい、と砂川は思った。しかし、死体を後部座席に積んだまま引き返せば、なんのためにここに来たのかが分からなくなる。

 砂川は恐れを成す己を鼓舞して、ひたすらに行き止まりまで歩き続けた。

 辿り着いた先は、「侵入禁止」と書かれた看板がある、鉄製の門扉だった。門扉の奥には用途の分からない建物が建っている。監視カメラの類が設置されている様子もなく、単なる廃墟のようだ。

 門扉をよじ登ろうと手をかけると、掌にべっとりと異体の知れないなにかが張りついた。ライトを翳すと、鳥の糞や雨によって付着した泥水などだった。砂川は舌打ちをして、ジーンズで掌を拭った。

 軍手を嵌めて、門扉をよじ登る。敷地内に入ると、なにかの器材を踏み、メキメキと音が鳴った。一瞬、バランスを崩して転びかけるが、なんとか踏み止まる。

 建物の扉には、人が侵入出来ないよう、鎖が巻かれて、南京錠でロックされていた。しかし、手で引っ張ると、あっけなく壊れてしまう。かなり経年劣化しているようだ。

 中には、電力供給に関係している機材の類があった。津波の影響を受けたらしく、泥だらけである。こんな場所に、人が訪れることはないだろう。ここで決まりだった。

 建物から出て、もう一度門扉をよじ登り、下りる。そこからはなんだか怖くなって、必死になって車まで走った。車内のオレンジがかった小さなライトを目にした時、砂川は心底ほっとした。

 ここから、死体をあそこまで運搬する大変な作業が待っていると思うと、うんざりした。しかし、やらなければならない。

 車の時計で時間を確認すると、午前二時半を回っていた。もうこんなに時間が経っていたのか、と驚いた。

 後部座席の扉を開けて、ブルーシートに包まった死体を抱えた。硬直したそれに触れた時、体の芯が熱くなった。なぜかは分からなかった。妙に蒸し暑い。

 重い死体を運びながら、背の高い木々で囲まれた坂道を下る。フラッシュライトは尻ポケットに入れていた。段々と目が暗順応してきて、ライトなしでも周りの風景を認識出来るようになった。

 建物に辿り着き、門扉の前で呆然とした。どうやって、死体を中に運べばいいのだろうか?

 重い死体を門扉の上まで持ち上げるのは、至難の業だった。

 やるしかない、と思い、両腕の袖を捲った。渾身の力を込めて、死体を持ち上げて、敷地内に落とした。ブルーシートが剥がれて、中に隠れていた麻友が剥き出しになった。妙にむくんでいて、内側から風船のように膨れ上がって見えた。優れた容姿は見る影もないものにへと変わり、最早、本人であるかさえ、判断を躊躇した。浸潤著明の症状を呈しており、真皮露出により、死斑は消滅していた。

 長い間、死体を押し入れの中に放置していたため、腐敗菌の作用によって、鼻を覆いたくなるような、酷い臭いを放っていた。全身は白と紫を織り交ぜたような、気味の悪い肌色へと変色している。

 膨隆した顔面を見た時、砂川は小さく悲鳴を上げた。

 巨人症の如く、眼球、口唇、胸部、腹部が膨れ上がっている。角膜は完全に混濁し、瞳孔は透視不可能になっていた。

 な、なんなんだ、こいつは。こいつは、麻友じゃない。俺が一度は愛した女ではない。早く、この汚物を処理しなければ。

 もう一度、ブルーシートで包んだあとに、建物の中へ引き摺っていった。尖った器材の破片などが、死体に突き刺さり、ちょろちょろと小さな血の噴水が現れた。

 死体を建物の最深部、機材と機材の合間に置くと、外に落ちていた器材など放り、完全に覆った。これなら、ここに死体遺棄されたとは思わないはずだ。泥だらけの軍手を脱ぎ捨てて、適当な場所に放った。

 門扉をよじ登ると、また手に泥が付着した。ジーンズで拭き取ると、車まで走り出した。大きな仕事を終えたので、体は身軽だった。

 車へ戻っても、なんら変化は現れていなかった。人が訪れた形跡もない。パトカーの巡回が怖いところだったが、遭遇することはなかった。

 家に戻り、しっかりと鍵を閉めると、真っ先にシャワーを浴びた。熱いお湯が全身を流れていく。

 子供の頃、自分が人を殺し、死体を棄てに行くなど、誰が予想しただろうか?

 小学生の時は楽しかった。日が暮れるまで、友達の家で遊び、ゲームやカードゲームをし、鬼ごっこや缶蹴り、どろけいを楽しんでいた。

 しかし、中学生になると、事態は一変する。小学校時代の友達たちは急に大人びて、話しかけても、ろくに返事を寄越すことはなくなった。ニックネームで呼び合っていたのに、ぶっきらぼうに苗字で呼び合うようになった。思うように背が伸びなかった砂川は、いじめのターゲットにされた。

 なにもしなくても人は変わっていき、歳を越しすごとに、邪悪に染まっていく。そういうものなのだ。仕方がない。

 一時間以上も、ゆっくりと思考に耽溺しながらお湯を浴びて、体を洗ったあとに、風呂場から出た。バスタオルで水気を拭き取り、パジャマに着替える。ドライヤーで髪を乾かした。

 階段をゆっくりと上がり、寝室の扉を開ける。未だ、血痕や死体の腐臭は、部屋の中に染みついているようだった。

 ふと、窓を見てみると、臭いに惹き付けられた沢山の虫が、網戸に張りついていた。

 シーツの処理などは明日にしようと思い、自室に戻った。かなり疲労は蓄積されているはずなのに、なぜだか眠くなかった。

 オーディオの電源を点けて再生ボタンを押すと、哀愁を含んだピアノ曲が流れ出した。今の雰囲気に合っているような気がした。

 ノートパソコンの電源を点けて、インターネットサーフィンを始めた。調べたことは、死体の処理方法や、死体遺棄のその後のことなどだった。

 某電子掲示板では、死体遺棄に関するアドバイスなどが書き込まれていた。冗談半分なのだろうが、砂川は真剣にその書き込みを読んだ。

 午前五時を過ぎると、さすがに眠気がやって来た。一階に下りて、冷蔵庫からお茶を取り出すと、コップに注ぎ、口に含んだ。そのあと、ソファに倒れ込んで、眠りに落ちた。


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