第7話 旅館
近くの旅館に電話をして、当日の予約をした。電話を終えると、携帯電話をジーンズのポケットに入れた。
椅子に引っ掛けていたダウンジャケットを羽織り、家の外に出た。施錠し、鍵がきちんとかかっているかどうかを確認する。
柵の中で、コロ助がふんふんと鼻を鳴らして、こちらに対して自己主張していたが無視した。
黒塗りの軽自動車に乗り込む。旅館に着いたのは、約三十分後だった。
仙台漁港の海沿いにある旅館で、「あらはま」という店だった。
車を走らせながら、高校生の時、「荒浜」という苗字の、物静かな女子学生がいたことを思い出した。砂川はその子が好きだった。
彼女は図書委員を務めており、彼女が担当の日を見計らっては、度々、図書室を訪れていた。「お前、あの子が好きなんだろう」と、当時の友達にはよくからかわれたものだ。
適当に図書室で本を物色して、当たり障りのないものを見つけると、カウンターに座っている彼女に本を差し出した。
荒浜涼子は本を受け取って、なにも言わず、伏し目がちにバーコードを読み取って、砂川に手渡した。
彼女は二年生になってから転校してしまった。学校からいなくなるその日まで、ほとんど会話を交わすことはなかった。きっと、嫌われていたのだろう。
あらはまの駐車場に辿り着くと、車は数台しか止められていなかった。まだ混んでいる時間帯ではないのだろう。車を止めて、外に出る。
海岸線から流れ込んでくる、塩を含んだ海を渡る風が、砂川の鼻孔をくすぐった。こんな場所に住むことが出来たら、どれだけ幸せだろうかと思う。
旅館は和風建築の建物で、もともとあった大きな旅館を改築して作られたものだという。玄関から中に入ると、傍にある蓄音機が古めかしい音楽を奏でていた。壁に設置してある説明には、大正時代に作られたものだと書いてあった。他にも、証文箱、有明行灯、キャッシュレジスター、テレビ受像機などが展示してあった。
旅館の女将が現れて、挨拶を交わしたあと、砂川の荷物を運ぼうと手を差し伸べた。その時、女将の面影に、図書委員の彼女の姿が重なった。
砂川は、思わず声を上げていた。
「も、もしかして、荒浜涼子さん?」
「え?」
女将が顔を上げると、顔がはっきりと見えるようになった。ぱっちりとした大きな眼に、色白の肌、茶色がかった地毛、砂川より頭一つ分低い身長……やはり、荒浜さんだ。
「砂川くん……なの?」
「うん」
「そうだったんだ……。旅館の近くに住んでたんだね」
荒浜が自分の名前を覚えているとは思わなかったので、砂川は今更ながら驚いていた。ほとんど話したことなどなく、転校したあとは、存在など忘れ去られていると思っていたのに。
「今日は一人なの? 砂川くんは、結婚しているって聞いていたけど」
「そ、そうなんだ。日頃の疲れを癒そうと思って……」
「お仕事はどうしたの?」
「今日は有休を取ったよ」
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