第4話 隠蔽
バスタオルを風呂場の洗濯籠に投げ込むと、スウェットに着替えた。
リビングの掛け時計で時間を確認すると、午後十一時過ぎ。もう少しで午前零時を回るところだった。
玄関でサンダルを履いて、外に出る。冬ということもあり、冷風が吹き荒んでいる。今日は一段と風が強いようだ。
倉庫に近づくと、飼い犬が目を覚ましたようだった。二歳のゴールデン・レトリバーで名前はコロ助という。砂川の姿を見て、尻尾を振った。
血の臭いを嗅ぎつけられないかどうか、一瞬、ヒヤリとしたが、異常を感じ取っている様子はなかった。
倉庫の鍵を開けて、花見で使っていたブルーシートを中から取り出した。倉庫の中には犬の餌も入っており、コロ助はおやつを貰えると踏んだらしく、囲いに足をかけて、鼻をフンフンと鳴らしていた。
手に持ったブルーシートを砂利の上に置くと、近所のホームセンターで購入した、ドギーマンのジャーキーの袋を取り出した。ジャーキーを三本ほど手に取って、犬の囲いへと近づく。
囲いの隙間から手を入れて、砂川は「お手」と言った。コロ助は散歩で汚れた足を、従順に、手の上に置いた。囲いの中にジャーキーを全て投げてやる。ジャーキーに瞬く間に飛びつくと、美味そうに食べ始めた。
自分が自殺した場合、この犬はどうなるのだろうという疑問が頭をもたげる。近くの保健所に引き取られて、貰い手が現れなければ、殺処分されるだろう。あの意地悪な親戚共が、引き取ってくれるとも思えない。
ブルーシートを持って、玄関に近づいた。上がり框にそれを置いて、玄関から顔を出すと、コロ助は囲いに足をかけて、じっとこちらを見つめていた。その混じりけのない茶色の目には、好奇心と飼い主に対する愛情しか映っていないように見えた。
靴を脱いで、スリッパに履き替える。上がり框に置いたブルーシートを手に持ち、階段を上がる。廊下は思いの外ひっそりとしていて、急に、音楽が聴きたくなった。
持ってきたそれを寝室に投げ入れると、一階に下りて、足で扉を開け放った。キッチンの水面台で、泡状石鹸を使って、綺麗に手を洗う。砂川は軽度の強迫神経症を患っていた。
二階に再び上がり、寝室傍の自室へと入る。子供がいないため、夫妻それぞれの持ち部屋があった。麻友の部屋には常に鍵がかかっており、無断で中に入ることを固く禁じられていた。鍵の場所は知っているが、敢えて入ろうと思ったことはなかった。
自室に入ると、部屋の照明を点けた。照らし出されたのは殺風景な部屋だった。木製の大きな机とベッド、机の傍には高価なオーディオがあった。ベランダ側に一つ、隣家の方向に一つある窓のカーテンは、開け放しになっている。結婚したばかりの頃は、暗くなるとカーテンを閉めてくれたものだが、不倫がバレて関係が悪化してからは、砂川のために、わざわざ面倒なことをすることはなくなった。
カーテンを閉めたあとにオーディオの電源をつけて、CDをセットする。流れ出してきたものは、ピアノの静かなメロディだった。心身の緊張を解す効果があるとして、精神科で流されることもあるらしい。
ボリュームのつまみを回して、寝室にも聞こえるくらい、音量を大きくする。
自室を出て、寝室に入る。血の海で倒れる妻の姿は凄惨だった。復讐心に駆られて、何度も何度も、顔面を蹴りつけたために、鼻梁は左に大きくねじ曲がり、右眼は抉られて、血が垂れ下がっている。黄色がかった歯は数本折れて、シーツやカーペットの上に転がっていた。
砂川はもう一度、溜息を吐いた。
警察がやって来れば、部屋の中を隅々まで鑑識されることは目に見えている。どれだけ綺麗に片付けて、証拠を拭い取ったところで、ルミノール反応が出てしまえば、一発で自分が犯人だと分かってしまうだろう。
カーペットの上にブルーシートを大きく広げると、ベッドから麻友の死体を、その上に運んだ。ブルーシートで死体を包むと、寝室の押し入れの中に閉じ込めた。死体は腐敗し、硬直していくだろうが、一旦はこれでやむなしだろう。
仕事でもう体がくたくたで、瞼が重くて仕方がなかった。しかし、ベッドは血だらけで、眠ることなど出来はしない。死体がある部屋で眠るなどありえなかった。
一階に下りると、また強迫神経症の症状が出て、石鹸で念入りに手を洗った。
リビングのソファに倒れ込むと、すやすやと寝息を立て始めた。
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