第4話
死を覚悟して、目を瞑ると不思議な感覚に襲われた。目を閉じた後の暗闇は、自分自身が生きているのか死んでいるのかを分からなくさせた。
その時間は絶対時間では一秒となかったかもしれない、しかし旬也には無限の時間のように感じられた。
ドゴッという鈍い音が聞こえた。旬也はそれを銃声だと勘違いした。身を強張らせたが、何も変化はなかった。
目を開ける。
そこには――今さっきまでロボットが立っていた場所には――一人の女性が立っていた。
「影に隠れていて」
その女性は間違いなく、先程モニターに映っていた女性だった。服装もそのままだ。チェックのシャツ、下はジーパンを履いていた。どこにでもいる普通のグラマラスな外国人女性という印象だった。
一つだけ、その印象にそぐわない部分があるとすれば、それは手にはめた手袋だった。その手袋は手の甲の側に金属の部品が取り付けられていて、殴られたらとても痛そうに見える。
(こいつは一体どこから現れたんだ?)
旬也は窓の方へと目線を写した。まさか、この窓から? しかし、ここは三階だ。二百メートルも離れたあのロックヒルズから、この時間で、その上三階にやってくるというのは一体どういう物理学に基づいているのだろうか。
(それに……ロボットは一体どうなったんだ?)
先程まで自分の目の前に居たロボットは一体どこへと消え去ってしまったのだろうか。この女性は武器も何も持っていない。手袋以外は完全な丸腰だ。ロボットとの戦闘で、人間がロボットに勝てるはずがない。
人間が車よりも速く走ることが出来ないのと同じ様に。
人間がクレーンより重いものを持ち上げられないのと同じ様に。
人間がカメラより遠くを見ることが出来ないのと同じ様に。
人間がコンピューターより速く計算できないのと同じ様に。
人間ではロボットに勝つことは出来ないのだ。
旬也は、なんとかして現状を確認したかった。始めのロボットがどうなったのか。それだけではない。足音は四つあった。二体のロボットが居たはずだ。もう一体のロボットは一体どこにいったのか。
しかし彼はその勇気がなかった。一ミリでも壁から姿を現せば、ロボットはその正確無比な弾丸を自分に打ち込んでくるに違いない。
「君は……」
旬也はその疑問を少しでも解消しようと、金髪の女性に呼びかけた。
しかし彼女は彼の言葉を置き去りにして、旬也の目の前から消えた。
「は…………?」
消えた。
そう、消えたのだ。
同時に部屋の中は、風と轟音で包まれた。
ドゴッ!、ドゴッ! ドゴッ!、ドゴッ!、ドゴッ! ドゴッ!、ドゴッ!、ドゴッ! ドゴッ!、ドゴッ!、ドゴッ! ドゴッ!、ドゴッ!、ドゴッ! ドゴッ!。
その音は全て彼女の足音とロボットを殴りつける音だった。その間隙にロボットが発する銃声が鳴り響いた。
旬也は今、家の中がどのような有様になっているのかを想像した。旬也はタンスの影に隠れていて、部屋の一部分しか見えていなかったが、その想像はとても簡単だった。
彼女が家の中に現れ、立ち、また同時に消え去った場所でもある、その地点の床は彼女が踏みしめたことによって五センチほど沈み込んでいた。
恐らくこの部屋中が同じ様に凸凹になってしまっているのだろう。
ロボットの銃声は始め、この部屋全てを破壊するのではないか、と思うほど激しいものだった。マシンガンのような連なりの銃声だった。しかしその銃声は弱っていくセミの鳴声のようにだんだんと聞こえなくなっていった。
「もう出てきて構いませんよ。終わりました」
彼女がそう言ったので旬也は、それでも恐る恐るタンスの影から探るようにして身を乗り出し、立ち上がった。
そこにあったのは無残に廃墟とかした我家の家具たち、床、それに機能を完全に停止させたロボットだった。ロボットは四肢をもぎ取られ、所々の配線がむき出しになり、モーターの潤滑剤が床に染み出している。ロボットは完全に人工的な物体であるはずなのに、グロテスクな印象を受けた。
「初めまして。あるいは二度目でしょうか。神田旬也さん。本日は貴方をお招きに参りました」
「…………バカ丁寧な挨拶だな」
「我々は一部の才能溢れる人材を探している。ロボットに対抗しうる味方を」
「俺以外の奴を助けに行かなくていいのか?」
「その必要はありません。すでにこの町のロボット兵は全て破壊しつくしました」
「あっそう」
「もう一度確認したい。貴方は我々との戦いに参加してくれるのですね」
「あー。まー、うん」
旬也は少しついていけなくなった。
先程まで命の危険に晒されていた自分自身を助けてくれたのは彼女だ。自分にとっては命の恩人。もう少し感動的な何かが欲しかった。こんなまるで「本日はお越しいただき有難うございます」「さて、本日のご予定ですが」みたいな業務的なトーンで話されてもなんだかついていけない。
それに、目の前でロボットの戦いを見せられて――女性の身体能力を見せられて――劣等感を覚えないわけにはいかなかった。
そんな諸々込みでついていけなかった。
「悪いけど、俺はあんなすごい動き出来ないし……」
「遠慮は無粋です」
「?」
「貴方に価値があるかどうかは私達が決める。我々は貴方に価値があると判定しました。フィフティーンファイター、最後の戦いで、貴方と戦っていたのは、この私です」
最後の戦いを思い出す。あの最後の戦い、相手のキャラクターは紛れもなくこれまで戦った中で最強の人間だった。それがこの女性だったとは……。
「もちろん。本気を出したわけではありません。しかし貴方の反射神経はある一定レベルに達していると判定しました。その力をロボットとの戦いに活かしてくれませんか?」
「ああ、そうか」
旬也は少し残念な思いがした。本気で戦っていない――この言葉ほど彼を悲しくさせることはなかった。遊びとは本気でやってこそ楽しいものだからだ。
「やってやるよ。ロボットとの戦いだろ? 俺だって、いい加減ゲームには飽き飽きしていたところだからな」
「有難うございます。では……」
そういった時、彼女の右手が消えた……ように見えた。
気がつくとその右手は彼の首筋に触れていた。
違和感を覚えて旬也も右で首を擦る。
そこには今までつけた覚えのないチョーカがあった。
「在り来りなやり方かもしれませんが、貴方の首に爆弾をつけさせてもらいました。人間の力では切断できません。また、切断しようとすれば自動的に爆発します。これは我々も本意なことではありません。しかしただの根性論ではロボットとは戦えない。本来もう少し貴方との信頼関係を築いた後でなくてはならないと言うことは分かっているのですが」
旬也はついさっき命を助けてもらったことも忘れて、目の前の彼女に疑いの目を向けた。
「お前は、俺の味方なのか? それとも敵なのか?」
「私達はロボットの敵であり、全人類の味方です」
彼女はその髪の毛をどけて、首筋を露わにした。そこには旬也と同じ様にチョーカーが付けられていた。
「私もほとんど貴方と同じ状況です。少しは安心できましたか?」
旬也は頷いた。
「安心は出来たよ。だが、お前たちが一体どういう組織なのか、いや、そもそも組織なのか。何が目的なのか、どの程度信頼できるものなのか、それは依然として謎だな。だが……」
「だが?」
「俺はもう約束した。ロボット殺しに協力すると。どうせ、一度は死んだようなものだからな。しばらくは従うさ。…………ああ。忘れるところだった。有難う、助けてくれて」
旬也は手を伸ばした。金髪の女性も手を伸ばし手を握り合う。さっきはありがとう、これからよろしく、そういう意味を込めた握手だった。
「私の名前は、アンナです。どうぞ宜しくお願いします。神田旬也さん」
「こちらこそよろしく」
旬也は色々と聞きたいことがたくさんあった。
それは組織のことだったり、彼女の異常な身体能力だったり、彼女個人のことだったりしたが、それを聞くことは出来なかった。
「あの……」
そう切り出した時、
「お迎えのようですね」
と彼女が言ったからだ。
遠くからプロペラの音が聞こえてきた。
ヘリコプターは旬也のいる部屋の目の前に止まった。
ドアが開かれ、ヘリコプター内部が外部に晒される。四人乗りの小さなヘリコプターだ。そこにはコックピット以外に乗っている人はいない。
「行きましょう」
「行きましょう? 着陸するのを待たないのか?」
旬也の問いかけは無視された。彼女は旬屋の腹に片腕を抱きつくようにして、抱え込んだ。
旬也は学生カバンでも抱えるように手軽な動作で自分の体が浮遊してとても気持ち悪かった。
トン、トンと、大きな歩幅で彼女は勢いを付けると、三歩目でドアのサッシに足をかけて、跳躍した。
旬也は下を見た。
三階とはいえ、恐怖心で下腹の辺りにヒヤリとしたものを覚えた。
ヘリコプターとドアの間は悠に五メートルはあった。
着地した時、旬也はホッとした。着地は非常にスムーズだった。
「あ、俺はあの部屋に忘れ物が…………」
「心配ありません。向こうで全て用意させます。ゲームだろうと、食事だろうと、漫画だろうと、アニメだろうと。お望みのものを言ってください」
「至れり尽くせりだな。いや、有り難いんだけど……写真とかあるからさ。家族で撮ったやつ」
「ああ、なるほど。分かりました。回収班に指示しておきましょう」
ヘリコプターは既に上空に向かって飛び出していた。
どんどんと建物は小さくなり、この町の被害の全容が明らかになっていった。
ロックヒルズが最もひどかった。建物の一部が、まるで隕石に直撃でもしたかのように凹んでいた。
旬也は座り直す。
「回収班? えらく本格的だな。うん。その組織っていうやつはどんだけの規模なんだ? 一体何が目的だ? どうして君はそんなに異常な身体能力がある?」
「すべてにお答えすることは出来ませんが……。では、それについて今からお話しましょうか」
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