第2話
路地に入った俺を待っていたのは室外機からの熱風で外よりも暑くなったと錯覚させるような熱気だった。
とはいえもう足を踏み入れてしまったのだ、引き返すのもあれだと思い路地を進み始めると――
パァン
破裂音とともに顔の横を何かが通り過ぎて行った。
「なんだ?虫か?」
そう言ってみたものの虫があんな速さで飛ぶわけがないことも、破裂音がしないことも知っている。
これはただの現実逃避に過ぎない。なぜなら顔をあげた先には宙に浮かんだ少年と、それに対峙する少女がいたからだ。
少年は小学生高学年ぐらいだろうか、茶色がかった髪に少し釣り目がちな目が少し悪ガキっぽさをだしている。
それに対して少女は俺より頭二つ分ぐらい小さく身長は140cm程度だろうか、こちらも幼く見え、少しくすんだぼさぼさの髪をしている。
「さてどうする?まだやるか?」
「あなたを逃がしはしない、ここで捕まえる」
「ほう、やってもらおうじゃないか」
幸い二人は会話に夢中なようでこちらに気付いたような様子はない。俺はその場から離れようと後ずさりをして
「ところでそこにいるのは誰だ?虫か?」
さっき呟いたセリフをすっかりそのまま返された。
「一般人?なんでここに」
少女が振り向きながらこちらに声をかけてくるがうまく反応出来ない。
「おや、お仲間じゃないのかね?」
「彼女は違う、一般人、巻き込まないで」
「それは命令か?何故私がお前の言うことを聞かねばいけないんだ?」
「貴方だって一般人に手を出せば面倒なことになるはず」
「何、眠ってもらうだけだ心配するな」
そう言いながら少年がこちらに向けてきた物は暗くてよく見えないが銃のように見える。
銃を構えた少年とそれと向き合う少女。ここだけ見れば友達同士で遊んでいるような場面である。
しかしそれは少年が宙に浮いていなければという前提だ。それにさっきの破裂音とともに顔の横を通り過ぎて行ったもの、それがあの銃から発射されたものであるというなら納得してしまう。
ではその少年と対峙している少女は何者なのだろう。少なくともこの現実を受け入れて、銃と対峙できる根性は据わっていることはわかる。
俺は完全に巻き込まれた一般人なのである。先ほど言い放っていた眠らせるが言葉通りならいいが、この場合絶対に違う意味である。
「あ……」
『あの』と言ったつもりがうまく発音できていない。いつの間にか喉が渇き張り付いてしまっている。
「ではさらばだ少女よ」
そう言いながら少年の銃口はこちらへ向けられて――
「マッチよ!!」
その弾丸は俺に届くことはなかった。
ようやく家に戻り倒れこむようにソファーに座る。買ってきた物はもうぬるくなってしまっているが、冷蔵庫に向けて歩く気力さえ起きない。
今日はいつもと同じ平凡な日になるはずだった。いつものように学校に行って、いつものように授業を受け、いつものように馬鹿をやって、いつものように寝る、そんな一日になるはずだった。
本当は夢だったんじゃないか、そんな思いにすがろうとするがあいにく手に残された紙片が今日の出来事が夢ではなかったことを示している。
あの後、少女から渡された連絡先が書かれた紙片、それをもらった時のことを思い出しながら、やがて意識は眠りに向かっていった。
「マッチよ!!」
彼女が叫ぶとともに赤い火柱のようなものが燃え上がり、そこには中世の騎士のようなものが立っていた。
キィン
俺たちと少年の間に出現した騎士によって少年の放った弾丸ははじかれる。
「やっぱりめんどくさいなーその能力」
「そう思うなら大人しく投降して」
「やなこった」
そう言いながら再度こちらに銃を向けてくる少年。先ほどこちらを守ってくれた騎士はいつの間にかいなくなっている。
「マッチよ!!」
少女が叫び再び騎士が現れると
キィン キィン キィン
複数の銃弾がはねる音が路地に響き渡り、俺たちの前から騎士が消えると、そこにいたはずの少年もいなくなっていた。
「ふぅ……けがはない?お姉さん」
「あ……えっと、大丈夫です」
「夜は危ない……こんな道をを一人で歩いちゃダメ」
「あ、はい、すみません」
そのまま少女に説教をされてしまう。こうまで大人しく彼女の話を聞いてしまうのは先ほどの光景が忘れられないからだろう。
「……大丈夫?ちゃんと理解した?」
「あ、はい、大丈夫です」
「それと一応これを渡しておく」
そういいながら小さな紙片を渡してくる。それはまるで名刺のようで
「私の連絡先。多分ないとは思うけど、またあいつがお姉さんを狙って襲ってくるかもしれないから」
「あの、さっきのは……?」
「いい?今日のことはなるべく忘れて。本当はその名刺だって渡したくなかった、でも貴女は見てしまったから」
そう言いながらもう用は済んだとばかりに歩き出す少女は、路地を出てあっという間に見えなくなった。
一人路地に残された俺は少しの間某然としていた。空を飛ぶ少年、少女を守る騎士、分からないことばかりである。
ふと少女から渡された名刺に目を落すと“童話探偵 冬木真知”そう書かれていた。
カーテンの隙間から差し込む光の眩しさで目を覚ます。やはりソファーで寝てしまったのは体に負担がかかったらしく体のあちこちに違和感があり、グッと伸びをすればあちこちからポキポキと音がする。
そのまま寝てしまったせいで床に散らばった飲み物たちを冷蔵庫にしまうため動きだす。昨日も変わらずの熱帯夜だったが一晩放置されたこいつらは買い換えた方がいいかという頭と、それぐらいならいけるという頭が戦いながら取りあえず冷蔵庫の中に詰める。
作業を終えついでに飯にしようかと思ったが、あいにくと昨日は米を炊く暇がなかったため朝ごはんになりそうなものは何もない。普段は多くの一人暮らしの例にもれなく料理をしないのだが、食費節約という意味を兼ねてご飯だけは自分で炊くようにしている。最悪おかずがなくても米だけあればなんとかなるからだ。
これからご飯を炊いていたらとても間に合わない。仕方なく途中で買って行こうと思いリビングに戻ると床に昨日もらった名刺が落ちており、やはり昨日のことが夢などではないことを再び俺に突き付けてくるのであった。
コンビニで買った焼きそばパンを食べながら通学路を行く。今日は昨日までとは違い比較的涼しくて過ごしやすい天気をしている。毎日がこれくらいの温度であればどれだけ楽か、そう思わずにはいられない。
流石に歩きながら食べるにはもさもさしていた焼きそばパンを食べきり、野菜ジュースを口に含む。こんなものは気休めでしかないのだが、普段野菜を滅多にとらない身としては気休めであろうがなんだろうが口にしないよりはましだと自分に言い聞かせている。
ジュースを飲み一息つきながら新しいパンを袋から出す。育ち盛りの高校生であるからこそ流石にパン一つでは物足りなく感じてしまうため一応もう一つ買っておいたのだ。
もう一つはあんパン、祐一の好物である。二つ買ってきたパンのうちこちらを後回しにしたのも好きなものは後にとっておく派だからである。
歩きながらその包装を破ろうとして――
「いっただきー」
後ろから来た
「何してんだこら、人のパン返せ」
「ケチくさいこと言うなよー俺も朝飯少なくて腹減ってんだよ」
「だからって人の飯を盗るやつがあるか、サッサッとこっちによこせ」
「しゃーねーな、おっ、そうだ」
そういうや否やあんパンの袋を破るとさっと袋から取り出しあんパンを半分にちぎる、そしてその少し小さく見える方をこちらに投げて寄こした。
「半分こにしよーぜ、俺も食えてお前も食えてみんなハッピーだろ」
「いやもとから俺のだから、というか小さい方こっちに渡しただろ」
「男がぐちぐち言うんじゃねーよ」
そう言いながらあっという間にパンを完食してしまう。止めることもできずそれを見送くっていると
「なんだ?くわねーんならそっちももらうぞ」
そんなことをぬかしながらこちらのパンに手を伸ばしてくるものだから、あわててパンを口の中に押し込む、せっかくのあんパンなのに碌に味わえもしなかった。
世界史の授業を聞き流しながらグラウンドを眺める。一年せいだろうか、楽しそうにソフトボールをしている。
昨日あんなことがあったとは思えないくらいいつもと変わらない平和な時間が過ぎていく。いつも通りの退屈な授業、教室を見渡せば三分の一ほどが眠りに落ちているのだがそれを教師も注意すらしない。
後になって困るのは本人たちだというスタンスで眠っているクラスメイトに触れることなく淡々と授業を続けていく。そんな中俺も興味のない教師の話を聞き流し、それが心地よいBGMに感じられだんだんと眠りに落ちていくのだった。
今日も恭一と学食へと向かう。いつもならカレーを頼むところだが今日は朝の件もあり、素うどんとカツ丼にしておく。
混雑している学食の中なんとかあいている席を見つけ二人並んで座る。恭一は相変わらず定食を頼んでおり、今日はミックスフライのようだ。
たわいのない話をしながら食事を進める。残り少なくなった素うどんをすすっていると、先に食べ終えていた恭一が話をふってきた。
「そういえば聞いたことあるか?」
「何をだよ」
「いやなんか、最近夜に変なの出るらしいんだよ」
「変なのってなんだよ、不審者か?露出狂とかか?」
「いやそれが俺もよくわかんねーんだけどよ……」
「なんだよそれ、まあ露出狂とかなら女子はともかく俺らには関係ないだろ」
「いやだから露出狂なんて単順なもんじゃないんだって、なんか噂によると空飛んでんだって」
「ぶっ、ごほっごほっ」
恭一の言葉に思わず啜っていたうどんを吹き出しそうになるが、なんとかむせるだけにこらえる。だが一部汁などが気管に入って非常に苦しい。
「おいおい、大丈夫かよ、ほれ水飲め水」
「……さんきゅ」
恭一からっ差し出された水を飲んで一息つく。飯を食ってるときに驚かさないでほしい。
「でさ、さっきの話なんだけど、何か見た人がいるんだってよ」
「その人が浮いてるってやつ?」
「そうなんだよ、はっきりと見たわけじゃないらしいけど浮いてたんだって」
「はーいや、そんなわけないだろ、見間違えだ読み間違え」
「まあ噂程度だし、人が浮くわけないもんな」
「暑くなってきたし、変な人も出るだろーけどよ、流石に浮くってことはないと思ぜ」
「だよなーいたら結構面白いと思うんだけどなー」
「ったくそんな事言っててライスうからの期末は大丈夫なのかよ」
「げっ、そんなことわざわざ思い出させんなよ。せっかく忘れてたのによー」
「いや忘れるのはいいけどよ、今回は赤点取ったら夏休みに補講が入ってくるぞ」
「そうなんだよなー、マジで今回は赤点取るわけにはいかないんだよ」
「そう思ってるなら噂なんかにかまってないでちゃんと勉強しろ」
「へいへーい、わかりましたよ、ったくお前は俺の母ちゃんかっての」
「俺も母親になったつもりはないっての」
「まあやれるだけのことはやりますよっと」
そう言いながらスマホをいじりだした恭一を横目に内心ほっと息を吐く。まさか自分も機能遭遇して殺されかけたなんて死んでも言えない。
噂の出所がいったいどこにせよ、早くこの噂が消えてくれることを祈らずにはいられなかった。
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