襖端談話
陽が落ちると土方は、佩刀を普段よりもそばに近づけて座る。下げ緒も絡まらぬように整えておいて、正座はしない。周りを警戒する癖がついている。
机に座る時ときに背にするのは、必ず沖田総司と井上源三郎の部屋という徹底ぶりであった。
土方は行灯の光にかざして、句帳を眺めている。隊士が増えたので、近藤、山南と隊内の規則を作ろうと決めたはいいが、二人が細かく指定するのでその精査に追われていた。いちいち場合に分けて指定するのが、どうも合理的に見えない。こういうものは少ない方が覚えやすく効き目があると思っているから、土方は片手で数えられる程度にまとめたかった。だがしかし手を付けてみると、どうまとめて良いものか、とんと見当がつかずうまく進まない。
そこで今朝ひねった梅の句を推敲しようとしたのだが、これもどうやら良くない。うまい具合に転がらないのだ。それでべつの句でも、と思ったところであった。
「歳三」
隣の部屋から、落ち着いた包容力のある声が聞こえる。
「源さんか」
「いま暇かね?」
これは談話の誘いである。
土方は墨が乾かないのを気にして、句帳を閉じずに立ち上がった。自分の体温が移った座布団を取り上げて、ぬっと襖を開ける。するとそこには、井上だけでなく沖田もすでに座布団を持って集まっていた。現れた土方へ、沖田が無邪気に笑いかけた。
「土方さん、何をされてたんですか?」
「……何もしとらん」
「わかり分かりきった嘘を言うもんです」
座布団を集めて襖の近くに集まっていた沖田がからかう沖田がからりと笑って、井上も少し困ったように笑う。それから井上は腰を伸ばして、土方が出てきたのを見て、何かの包みを持って引き寄せたきた。
「今日頂いたんだ。歳三も食べなさい」
「干し芋か」
すでに沖田が囲んでいた火鉢には、いくつか串に刺さった干し芋が並んでいる。冬はこうして、温めて食うのが美味い。
「まだまだあるんだ。今年はよく取とれたようだでね」
「そうかね。なら頂くよ」
土方は火鉢にくべてある芋の一つに手を伸ばした。
「あっ、それはついさっき並べたやつですから、こっちの方が温まってますよいいですよ」
沖田は自分の近くにあった芋の串を取って、土方へ手渡した。土方は黙ってそれを受け取る。
「総司、お前も食べなさい」
「源さんこそゆっくりなさってください。それは私が代わりますよ」
井上を見ると、かたわらに紐と干しいものは言った麻袋が置いてあった。どっさり貰った干し芋の束を、数個ずつ紐でまとめているのだろう。どっさり貰ったから、小分けにして保存したいのだろう。今のままでは袋が大きすぎる。
「いいんだ、総司。私のことは気にしないでいい」
井上はそう言ったものの、土方も沖田も何となく落ち着かない。
結局手に取った干し芋を戻して三人で小分けにすることになった。
「そういえば近々、仮同志の押し込みがあるようですね」
「ああ、この春入った奴らにやる」
一つひとつ干し芋を手にとっては三、四枚重さや形などを揃えるようにしてまとめる。手指が次第にねばつきを帯びてきたが、三人とも気にせずに続けていたる。
入隊して間もない者は仮同志と呼ばれ、各師範が稽古をつけて実力を見、夜中や不意のうちに配属されるであろう隊の先輩同志が部屋へ押し入って、その肝を試すことがある。そのために仮同志は、一つの部屋にまとめられていることが多い。
これで怪我をする者も多いが、それは先輩隊士にしても一緒である。こういうことが決まるのは、やはり近藤、土方が二人きりで話し合っている夜なのである。山南がいればこうはならない。
「私もやりたいな」
「もう誰がいつやるか決めてあるんだ。ややこしくなるから口出しするな」
「私は入ってますか」
「覚えとらん」
「その顔、入っていますね。よかった」
沖田は、隊務の多くに対して非常に積極的である。粛清でも見回りでもそうだ。稽古は最初の頃こそ熱心にやっていたが、子どもらと遊ぶようになってあまり真面目にやらなくなったと土方は思う。こういう男だから、子どもが懐くのも仕方があるまいし、いつもいつも打ち負かして立ち上がれないような隊士たちを相手にするよりも、随分本人の性に合っているのだろうとも思っていた。
「楽しみだなあ。私、部屋へ押し込む時が好きなんです。怯まない仮同志がいると、おっ、という気になる。逆に怯懦な振る舞いをする者がいると、自分の士気が下がってしまうのがわかる分かるんです」
「ふうん。……お前は恐ろしい男だねえ」
土方はしみじみと言った。この男にも、こういうことを思う時はある。稽古中の沖田の変わりようについては何も言わないで見ているくせに、こういうときに沖田の気性を感じて驚いてみる。
「何をおっしゃるんです。あなたなんか押し込む我々の後ろで、腕を組んで眺めているじゃありませんか」
「しかもそういうとき、歳三はだいたい笑っているね」
井上がおかしそうに口を挟んだ。よく見ているものである。
「土方さんが睨みつけて顔を覚えると、次の日にはもうその者はいませんからね。どちらの方が恐ろしいか」
近藤も来ることがあるが、だいたいは土方が押し込みを見守る。そして怯えた者からすぐに隊から爪弾きにするのである。そうして死に怯えない、屈強な“軍隊”を作り上げた。
だが、それだけでは足りない。土方は山南や近藤と言っていた、隊の規則のことを思い出した。
(……どうまとめたものか。)
土方はそう思案しながら、火鉢の炎を眺めて、ただ手だけを動かす機械になっていた。
◆ ◇ ◆
土方はすべての芋をまとめ上げると、土方は立ち上がって外の井戸に出た。手を洗うついでに、手ぬぐいを濡らす。あの二人はこれで拭けばいい。
土方は空を見上げながら、部屋へ戻った。
「歳三は器用だからなあ」
「ええ。私なんか見てください、話に夢中になるとすぐこれだ」
沖田はあまり器用ではない。持ち上げると紐の間から芋がするんと落ちるのを見て、二人はおかしそうにしている。
やや憚られたが、それでも土方は二人に問いかけた。
「なぁ源さん、総司」
土方のふい不意の問いかけに、二人が同時にこちらを見た。
「隊の中に、人を背後から斬っちゃならんという決まりがあったらどうする」
そう言いながら、ずしりと座布団に腰を下ろすした。
沖田の芋が残っているのを見て、行方は黙って手伝う手を伸ばしたす。
「私は賛成です」
涼しい顔で言ってのける沖田に対し、井上は眉間を寄せて決めかねているようである。
「うん、難しい。決まりというからには、罰があるのだろうね?」
「ああ。罰は全て切腹にしようと思う」
「それでは私は賛成できないね。あんなに無茶苦茶になってやるものを、そんなふう風に決めていたら、腹を切るより先に敵に斬られてしまう」
手元で器用に芋を紐でくくりながら、土方は思案顔になった。
「なら、主君に対する裏切りを働いちゃならんというのは?」
「それは隊にあってというよりも、士道に対してあっちゃならないことだと思いますが」
「私もそう思うよ」
「ふん」
土方は頷いた。確かにこれは、新選組という組織がここに入隊した者を、元の身分問わず武士として扱うとしている以上、前提となる条件のようである。
「だがそうなると、士道に背くことを禁ずるということだけは、きちんと隊法に明記しておきたい」
そうすることで、改めて新選組が武士の集まりであるということを知らしめたい。そういうことで隊士の気を引きしめたかった。
「それはいいですが、その隊法というのは全部でいくつになるんです?」
「いまは近藤さんと山南君の意見を聞いて、四十近くある」
そういうと沖田はさもおかしそうに肩を揺らして笑い出した。
「隊法ですよね? 私はそらんずることができる程度の方が、隊士も言うことを聞くと思いますが」
「おれだってそう思っちゃいるが、あいつらの要求が多いんだ。どうせ隊法を犯した隊士がいても、隊法と照らし合わせてああでもないこうでもないと議論するくせに」
土方は言い返しながらふと、思ったところがあるらしく立ち上がって部屋へ戻った。思った。
(……なら最初から、委細はこちらに任せてもらおう。)
そう思うとすぐに立ち上がり、部屋へ戻った。
そういう土方の後ろ姿を、沖田と井上は面白そうに見ているのを気配で察したる。
(なら最初から、委細はこちらに任せてもらおう。)
「土方さんの分は、私がやります」
「悪いね」
「元は私の分ですから」
もう夢中になってしまって聞こえていない土方の代わりに、沖田は彼の持っていた紐を手に取った。
「見てくれ」
二人が作業を終えて干し芋を頬張っていると、土方が立ち上がってまだ墨の乾いていない紙を持ってきた。土方がまだ墨の乾かない紙を手に襖を開けると、沖田と井上が並んで干しいもを食っているのが見えた。
「なんですか? もう出来上がったんですか?
「ああ」
「なになに、見てみましょう」
「まだ墨が乾いてない」
「気をつけますから」
差し出されたその言葉を信じて土方が差し出した紙を、沖田が受け取る。
「一、士道二背ク間敷事、一、勝手二金策致不可、一、勝手二訴訟取扱不可、……成る程。…これを破ればやはり切腹になるわけですな」
「うむ、ますます局内の鬼になるのだね、お前さんは」
井上の同情めいた視線を払い、土方は言った。
「このくらいなら、毎日暗唱せずとも覚えられるだろう」
「こういうことをすると、必ず半分くらいは脱走しますよ、いやもっとかな」
「ならそれを付け加えよう」
土方は立ち上がりまた文机に向かった。そして今度はすぐに戻ってくる。
「これでどうかね」
見せた紙には「局ヲ脱スルヲ不許」の文字が付け足されていた。
「うん、いいと思いますがね、私は。いかにも武士の集まりみたいだ」
沖田は嬉しそうである。井上は少し不安そうな思案顔顔をしていただが、隊法に関する不安ではない。またこの歳三が、他人から恨まれるのを哀れんでいるのである。
「よし。これを明日近藤さんと山南君に見せる。こういうことで決めたいと言ってくるよ」
「あの二人はお人好しだから、どうかな。近藤先生は良いと言ったとしても、山南さんが良いって言いますかね」
「どこが気に入らん?」
土方の手から沖田が素早く紙を取り上げる。
「切腹申付ベク候也」
「なんだ、新選組隊士に蟄居でも命じろと?言うのか」
「山南さんなら言いかねないと思うな」
「それなら外へ出て見回りをさせる方がずっといい。部屋も手狭になってやっとれん」
親切者の山南は、刑罰にも重軽をつけるべきだと言った。それに対して近藤も絆されているところがあるのか、山南を否定しない代わりに土方に頷きもしないのである。
土方はもう一度沖田の手から紙を取り返し、しげしげと見つめた。
「……勝手に金策した奴に、過料を言い渡すと?書けばいいのか?」
「本末転倒というやつですな。払えっこない」
「じゃあ切腹以外にどうするんだ」
「さあ。それを考えるのが土方さんのお役目ですよ」
「総司、あまり歳三を困らせるんじゃない。歳三だってあの二人だって、色々考えているさ」
井上が沖田を諭すが、沖田はそれでもにこにこと笑っている。火鉢のおかげで随分顔にも血色が見える。
「明日ですか?」
「そういうことになっている」
「私も聞きたいな」
「いかん、来るな」
「何故です」
「お前が来ると話が進まん」
相変わらずと言える二人の会話を、井上は黙って笑みを湛え聞いていた。井上からしたら、二人とも子供のようなものである。
「その話はもうわかったから、他の話をなさい」
「では源さんが何か話を聞かせてください」
「私かい? 困ったね。では思い出話でもしようか」
「なんのです?」
「ああ、それよりも歳三がこの間、袖にした妓楼の女の話をしようかにするかね」
沖田は瞳を輝かせている。それに答えるようにもったいぶった口調で井上が言った。
「それはぜひ聞きたいです」
「やめてくれ源さん。、そういうのは他人から聞くと、とみっともなくていけねえ」
土方は顔の前で手を振った。この男なりに照れているのである。
普段は女からもらった手紙を、気分良さそうに手紙に書いてみることもあるのだが、こうして対面だとどうも良くない。
「ではご自分の口からはどうです」
沖田の楽しそうな口調に、土方は大きくため息をついたのだった。
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