第4話
昼休みは十二時から一時までだけど、一時十五分からチューニングで一時半から合奏の予定だから、最低五分前行動が自然と身についている日本人のおれたちは、昼休みが終わる十分くらい前には、誰の指示がなくとも椅子を並べ始める。
うちの音楽室はそう広くはないから、合奏は向かいの広い多目的室でやることになっていた。広いといっても二校分椅子を並べると結構ぎっちぎちで、フルートとかパーカスとかホルンとか、入り口から遠いあっち側の奴らは途中でトイレに行きたくなったら大変そうだなとかどうでもいいことを考えた。
入り口から遠いトランペットの北上は、椅子が並べ終わりそうになるとさっさと行ってしまった。おれは入り口に近いから、今から楽器の準備したら楽器もでかいし邪魔になりそうだなとは思いつつも、ぼーっとしてるのもなんだしと思って結局準備することにした。
譜面台と楽器を一緒に運ぶのは無理っつーかそもそも危ないから、何度も人の波にはばまれながら、まず譜面台を持ってきて、次に楽器を持ってきて、やっと着席。ユーフォ含む中音までは一回で全部運べるからいいよなぁ。
一瞬休憩して、おれも音出しとチューニングするかーと思って、ふぅと息を吐いた時。
「おっと!」
誰かの足がおれの譜面台に引っかかって倒れそうになったのを、間一髪で受け止める。
「あ、悪い」
「いっ、いえ……こちらこそ……すみません」
喧騒の中で聞こえた声に顔を上げると、そこにいたのは。
……そういえば、パイプ椅子を運ぶのに必死ですっかり忘れてたけど、午後も
まあでもこれも仕方ないよな、と小さくため息をひとつついてポケットからチューナーを取り出す。……っと、ひとりじゃチューニングできないんだった……。チューバのベルは上向いてるしでかいから、高音楽器みたいに譜面台に乗せて自分でチューニングとかできなくて、いつも先輩に手伝ってもらってたんだけど、こういう時に限って誰もいない。
「手伝うか?」
チューナー片手にどうすっか悩んでたら、見かねたらしい合歓木先輩が声をかけてくれてひっと小さく声が出た。
「えっ? あ、いや、あの……だいじょ……――や、やっぱり、お願いします」
大丈夫です、と言いたいところだけど、ひとりじゃできないから今回はお言葉に甘えさせてもらう。
「高い。……まだ高い。……だからって、それは抜きすぎ。口で少し低くしてみ」
ただでさえピッチが悪いのに、合歓木先輩に手伝ってもらってるなんて、緊張しすぎていつも以上にひどくなってる……と思う。すげえ揺れてそう。いろんな楽器の音が混ざりすぎて、自分の音がほぼ聞こえないからよく分かんないけど。何よりも緊張がやばい。
「ん、おっけ」
「あ、ありがとうございます。……もしよかったら、おれも手伝いますよ?」
「あー……んじゃ、お願いする」
自ら先輩に刺されそうなことを、とは自分でも思ったけど、これはお礼って名目があるし。
おれがチューナーを持った右手を上げたと同時に大音量のチューバのベーが聞こえてきて、あやうくベルの中にチューナーを落とすところだった。
合歓木先輩は最初からほぼほぼ合ってて、一瞬でチューニングは終わった。おまけにほとんどの人がよくやる、音の出だしが小さくてだんだん大きくなるやつもなくて、ただただすげえなと思った。おれ、それ中学の時からよく注意されるし、自分でもダメだって分かってるけどなかなか直らないんだよな。
「チューニング、すぐ合いましたけど、なんかコツとかあるんですか?」
気になって聞いてみる。三年も楽器をやってるのに、おれは未だにチューニングが苦手だった。耳をもっときたえろと言われたらそれまでなんだけど、もしコツとかあったら知りたいし。
「ん? コツっていうか、俺は昼休みの時に軽く合わせてたから」
「な、なるほど……」
そりゃすぐ合うわけだ。コツとかそれ以前の話だった。でも、チューニングに時間がかかるって分かってるんだったら、あらかじめ軽くでもやっておけばいいんだよな。今度からおれもそうしよう。
チューニングが終わったところで時間が気になって時計を見ると一時十三分くらいで、予定より少し早いけどコンミスの先輩が前に出て、全体のチューニングが始まる。
「ではまずマーチから。……パーカッション、準備はいいですか?」
「はい」
マーチからだろうなと思ってたらやっぱり最初はマーチだった。この曲あんまり好きじゃないし、マーチ苦手だから内心うへぇだったけど、最初に嫌なものを終わらせてしまえると思えば悪くもないかもしれない。
先生がパーカスの準備が終わったのを確認して、指揮棒をかまえる。空振りは四拍。四拍目の空振りで、管楽器が一斉に息を吸い込んだのに合わせて、おれもたっぷり息を吸い込む。そして指揮棒が振り下ろされた瞬間、聞き慣れたイントロが始まる。
……演奏し終えて思ったのは、ただただこの先輩すげえ、だった。合歓木先輩の表打ちは、きれいにきびきび行進していて、おれのはなんかだらっとした、誰ひとりとして合ってない行進だな、と思った。
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